23日、東京五輪の開会式が国立競技場で開催された。

 皆さんはテレビでご覧になっただろうか。

 英国ではBBCが昼12時から午後4時まで、中継で放送した。筆者は選手団の入場場面は時折席を外したものの、ほぼ全体を視聴した。

 無観客の開会式という前代未聞の設定、式の直前には楽曲の作曲担当者と制作・演出チームのショー・ディレクターだった人物とが辞任する危機があり、一体どうなることやらと思ったが、期待をはるかに超えた内容であるように感じた。

 日本国内に住む方の感想(非常に厳しい判断を下している方もいらした)と筆者の感想は若干異なるかもしれない。

 「外の視点」として、英メディアの報道と、筆者の感想を記してみたい。

英メディアは概ね高評価

 英国のメディアによる五輪報道は、長年日本に住む特派員と五輪のために東京を訪れている報道陣による。

 特派員は開会までに至った様々な紆余曲折を熟知しており、その報道は日本に住む人の反応を踏まえた上でのものになるはずだ。

 タイムズ紙を筆頭とする複数の英メディアは、それまでは開催に否定的な視点を提供してきた場合でも、開会式自体には高い評価を与えている場合が多い

 例えば、タイムズ紙のリチャード・ロイドパリー東京支局長兼アジア版編集長は開会式が「優雅、質素、精密」であったとする記事を書いている(全文閲読には定期購読者になることが必要)。

 開会式・閉会式の制作・演出チームのディレクター(統括役)務めていた小林賢太郎氏は過去にユダヤ人大量虐殺を題材にしたコントを発表していたことが判明し、22日、解任された。しかし、東京五輪・パラリンピック組織委員会の判断で、内容の見直しはしない形で実施された。

 ロイドパリー氏は、記事の中で、小林氏の歴史上の虐殺行為についての認識は貧相なものであったものの「美しい仕事を残した」という。「開会式は危機の中で開催される五輪ということで、勝ち誇ったような雰囲気ではなく、抑制された式になると言われていた。小林氏が手掛けた開会式は、微妙、繊細、静かながらも壮観で、穏やかなジョーク、軽妙なほのめかしでいっぱいだった」。

 いくつかの例を挙げた後、ロイドパリー氏は開会式が優雅、質素、精密さを表現したと書き、「こうした特質は世界が日本から想起するものであるし、日本人が誇りに思うことでもある」。

 そして、東京の開会式には「2008年の北京五輪のような攻撃的な国家主義は見られず、2012年のロンドン五輪の開会式にあった、生意気な人物が見せる利口さもなかった」。

 「プレスリリースによれば、開会式のショーのコンセプトは『感情によって一つになる』だった」。どんな感情か?「もっとも明白なのは、緊急事態宣言が敷かれる都市で、世界中が新型コロナのパンデミックに襲われる中、五輪が始まったことへの安心と驚きだった」。

筆者が見た開会式

 ロイドパリー氏の記事が指摘した、「優雅、質素、精密さ」、「静かながらも壮観」、「安心と驚き」を筆者自身も感じていた。

 北京五輪でもロンドン五輪でも、それぞれ素晴らしい開会式が行われ、「一体、東京五輪はこれ以上何ができるのか」と思ったものだ。

北京五輪の開会式とは(ウィキペディア)

 しかし、今になって思うと、北京五輪の開会式は「大きさ・豪華さで勝負」という印象を残した。

 ロンドン五輪の開会式は、英国が誇る産業革命の歴史や所得の大小にかかわらず医療サービスが無料で受けられる「国民医療サービス(NHS)」などをモチーフとして選んだ。

ロンドン五輪の開会式とは(ウィキペディア)

 北京五輪が国力の大きさを世界に見せつけた開会式だったとすれば、ロンドン五輪はいかに自分たちが世界に先駆けてトレンドを作ってきたかを誇示する開会式だった。

 後者では、まさにロイドパリー氏が言うところの「生意気な人物が見せる利口さ」が表に出ていた、ともいえる。

 例えば、筆者が思い当たるのは「世界に先駆けて産業革命を実施」、「世界に誇る国民医療サービス」、「ワールドワイドウェブを考案したティム・バーナーズ=リー氏の登場」、「世界的に著名なジェームズ・ボンド映画のもじり」など、「私たちって、すごいでしょう、賢いでしょう!」という要素が並び、確かに「すごいね!賢いね!」なのだけれども、自己満足的だったようにも思うのである。

 「東京は北京やロンドン五輪の開会式をどうしのぐのだろう」、と筆者は思ったものだ。

 しかしながら、実は「しのぐかどうか」という物差しで見るべきではなかった。

 考えてみれば、23日の五輪開会式は「どうだ、東京は(あるいは日本は)こんなにすごいんだぞ」という、いわば「勝ち誇った雰囲気」を見せる機会であるべきではなかった。新型コロナの感染が影を落としており、多くの人が延期あるいは中止を求めていた。日本にいる皆さんがよくご存じのように、当初の予算を大きく超過の上に、スキャンダル続きでもあった。

 開会式の番組が始まってすぐに気づいたのは、静けさ(無観客であったせいもあるだろう)、真剣さ(パンデミックが広がる中、真剣にならざるを得ない)であった。浮かれている場合ではない、というメッセージだった。

 新型コロナで亡くなった方を追悼するためのダンサーによるパフォーマンスや、コロナの犠牲者及び1972年のミュンヘン大会でイスラエルのメンバーが殺害されたテロ事件で命を落とした人への黙とうはまさにこうした真剣さを表すシーンだった。

光る知力、アート

 開会式が進む中で、青い衣装を身に着けたパフォーマーが50の競技のピクトグラムをパントマイムで紹介し、発光ドローンを使って東京大会のシンボルマークが夜空に浮かび上がった。

 日本の知、アート、テクノロジーの凄みがにじみ出たように筆者は思った。

 在英日本人としては、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「イマジン」が世界中のアーチストらによって歌われたこと、英ロックバンド、クイーンの「手を取り合って」もフィーチャーされたことがうれしかった。後者の曲は日本語の歌詞と英語の歌詞が混じっている。

 圧巻は、テニスの大坂なおみ選手による、聖火台への点灯だった。

 周知のように、大坂選手は日本人と母とハイチ出身の米国人の父を持つ。幼少の時に米国に移住。

 大坂選手は、全仏オープン開幕直前の5月末、「心の健康が無視されている」として期間中の記者会見を拒否し、1回戦勝利の後、棄権した。今月の英ウィンブルドン選手権は、欠場。そんな同選手が東京でこのような形で姿を見せてくれたことは、テニスファンならずとも、多くの日本人にとって格別うれしいことだったのではないか。

 今後、コロナ感染の拡大次第では五輪が最後まで続けられるのかどうかは分からない。

 筆者は延期か早期時点での中止を支持してきたが、開会となった以上、選手の皆さんには全力を尽くしていただきたいと思っている。

聖火を点灯する大坂選手
聖火を点灯する大坂選手写真:長田洋平/アフロスポーツ

開会式での花火の様子
開会式での花火の様子写真:青木紘二/アフロスポーツ

森前会長とけじめ

 しかし、感染状況以外で気になっていることがある。

 それは、女性蔑視発言で辞任した、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森元会長の処遇である。 

 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の歓迎会が18日、東京の迎賓館で行われたが、出席者の中に森前会長がいた。

 皆さんは、おかしいと思わないだろうか。

 女性蔑視発言の責任を取って、森氏は辞任した。現在の東京IOCは森氏との間に線を引いたはずである。

 なぜ彼が呼ばれ、そして森氏はこれを受けいれたのか。

 森氏がバッハ会長の歓迎式に出席するということは、現在のIOCが森氏の女性蔑視発言を問題視していないことを示すのではないか。問題視したからこそ、森氏は辞任したのではなかったのか。

 19日、加藤官房長官は、森氏が「元総理の立場で参加をされたと聞いている」と述べているが、直近では東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長であり、問題発言がきっかけとなって辞任した事実は変わらない。

 東京五輪は、開催までに様々なスキャンダルがあった。一連のスキャンダルは最後の最後まで五輪開催の可能性を揺るがせた。直近では過去にはいじめの加害をメディアに伝えた人物、ユダヤ人虐殺をネタとしてコントに入れた人物などが表舞台を去った。

 過去の歴史を学びながら未来に向けて進んでいく若い世代のためにも、元に戻ってはいけない。けじめをつけたはずの人物を再度受け入れてしまえば、いつまでも過去から逃れられなくなってしまう。新たな一歩を日々踏み出していこう。