トルコの国民投票で大統領の権限強化に賛成派が51%、エルドアン氏が人気の理由とは
トルコで16日、大統領の権限を強化する憲法改正案についての国民投票が行われ、賛成派が過半数を占める結果となった。
99.97%の票が数えられた段階で、賛成派が51.41%、反対派が48.59%を占めた。選挙管理委員会も、16日夜の段階で賛成派が過半数となったことを認めている。投票率は85%ほどになった見込みだ。
BBCの報道によると、エルドアン現大統領の支持者たちが各地で勝利を祝う一方で、最大都市イスタンブールでは反対派が抗議行動を行った。
主要野党は結果に異議を申し立てる予定だ。最大野党で世俗主義の共和人民党(CHP)は、当局が認証印を押していない投票用紙も含めた可能性があるとして最大60%の再集計を主張している。
エルドアン氏は報道陣に「今日、トルコは歴史的な決定を行った」、「私たちはトルコ史上最も重要な改革を実現した」と述べた。
憲法草案の中身は?
憲法草案によると、次の大統領選挙、議会選挙は2019年11月3日に行われる。
大統領は5年が1期となり、2期まで務めることができる。
大統領は直接、役人を任命できる。これには閣僚も入る。
首相職は廃止される。
大統領は司法介入もできる。
大統領は国家非常事態宣言を発令することができる。
など。
エルドアン氏は、昨年夏のクーデーター未遂事件から9か月たち、トルコの安全保障を確実なものにし、過去にあった連立政権崩壊といった事態を防ぐためには大統領の権限強化が必要だ、と主張してきた。事件では約240人が死亡し、エルドアン氏自身にも身の危険が迫った。
独裁体制になるのではないかと懸念が出る中、エルドアン氏は憲法改正後の大統領制はフランスや米国の大統領制に似ていると述べている。
すでに事実上は独裁体制?
今回の国民投票では、有権者の意見は真っ二つに割れた。昨年6月の英国でのEU残留か離脱かについての国民投票(52%が離脱、48%が残留)の結果に非常によく似ている。正式な投票結果が確定するまでに、さまざまな抗議運動や異議申し立てが出てきそうだ。
フランスのテレビ局「フランス24」の報道によると、テレビの選挙報道は「90%がエルドアン支持の内容だった」という。それでも51%ほどしか獲得できなかったのだとすれば、反エルドアン勢力はかなり根強いものだったと言えそうだ。国内の3大都市―イスタンブール、首都アンカラ、イズミールでは憲法改正案への反対票が賛成票を上回った。
反対派の国民の大きな懸念は、憲法改正によって事実上の独裁政治が行われる可能性だ。すでに現実化していると見る人もいる。昨年のクーデター未遂事件後、クーデターに何らかの形で関係していたとして数万人規模の市民が逮捕され、10万人以上が職を追われている。
メディア現場でも粛清が行われている。トルコ人ジャーナリストのヤブズ・ベイダー氏によると、当局に逮捕され、投獄中のジャーナリストや編集幹部は150人から160人に上る。政府批判を紙面、ニュースサイト、ソーシャルメディア上で行うと粛清の対象になってしまう。
トルコ出身だが今はオランダに住むジャーナリスト、エフェ・ケレム・ソゼリ氏の調査によると、2007年から政府によるメディアの検閲範囲が次第に広がってゆき、2015年には国家の安全保障に損害を与えるウェブサイトは、政府が4時間以内に閉鎖できる権利を持つようになったという。
「メディアのほとんどを政府が直接、間接的に支配しているのが実情」(トルコのメディア状況をモニターする「ターキー・ブロックス」のアルポ・トーカー氏、談)ということもあり、今後、さらにメディア統制が厳しくなるのは必須だ。
エルドアン大統領はなぜ人気か
政府を批判する人にとっては「独裁者」だが、熱狂的な支持者も多く持つのがエルドアン大統領だ。
一つには、与党の親イスラム政党AKPが経済発展を大きく実現したことが挙げられる。過去10年間の平均経済成長率は4・5%。製造業、輸出も大きく伸びた。ただし、2014年から成長率は2・9%に下落しており、失業率も10%ほどになった。
それ以上に大きな支持を得ている理由として、これまでにほかの政党が耳を傾けてこなかった人々、つまり敬虔なイスラム教徒の国民の立場に立ったこと、と言われている。「自分たちの思いを代弁してくれる人物」としてエルドアン氏を見ているのだ。
トルコの国民はほとんどがイスラム教徒なのだが、トルコは政教分離の国だ。これまでは、建国以来の政教分離が維持されるように軍部及び司法界が「見張り役」となってきた。イスラム主義が政教分離の原則を脅かすほどに伸張していると判断されれば、場合によっては軍部がクーデターを起したり、検察が解党令を出す、といった事態が何度も繰り返されてきた。
結果として、世俗主義の政治家たちがトルコの政界を牛耳ってきた歴史があった。
アタテュルクによる改革
政教分離の原則は、トルコの建国以来だ。
1923年、トルコ共和国の初代大統領になったのが第1次世界大戦の英雄だった将校ムスタファ・ケマル(後のケマル・アタテュルク。「アタテュルク」とは「父なるトルコ人」の意味)。トルコの前身はオスマン帝国だが、アタテュルクはイスラム教を政治の場から廃し、徹底した西欧化、近代化を進めた。
1924年、議会にカリフ制の廃止を決議させ、新憲法を採択させる。マドレッセと呼ばれる宗教学校やシャリア(イスラム法)法廷を閉鎖し、1925年には神秘主義教団の道場を閉鎖して、宗教勢力の一掃をはかった。
新たな文化の導入が始まる。1928年、憲法からイスラムを国教と定める条文を削除し、アラビア語表記を思わせるトルコ語の表記をアルファベットに変える運動を開始する。男性がかぶるターバンやトルコ帽(「フェズ」)は着用を禁止された。男性も女性もこれまでのトルコ風服装ではなく、スーツ、西欧風ドレスなど西欧化が奨励された。女性のイスラムのベールは法律で禁止はされなかったが、あまり望ましくないもの、とされた。
1934年には、西欧人のように、それまで姓を持たなかったトルコ人に姓を持つことを義務付ける創姓法が施行された。
2029年まで、続投も可能
エルドアン大統領が生まれたのは1954年。父は黒海の沿岸警備隊員だった。
13歳で一家はイスタンブールに引っ越した。エルドアン氏は市中でレモネードやパンを売って学費を稼いだという。
イスラム系の学校に通学した後、マルマラ大学で経営学の学位を取った。
1994年には親イスラム系政党・福祉政党の候補者として、イスタンブールの市長に当選した。しかし、4年後、「モスク(イスラム教の礼拝所)が私たちの兵舎だ」で始まる詩を公的場所で読みあげ、宗教的な扇動を行った罪で投獄されてしまう。福祉政党も解党されてしまう。
2001年、後に首相、大統領となるアブドゥラー・ギュル氏とAKP党を結党する。02-03年、選挙で過半数となり、政権を担当。首相に就任した。
国民の直接選挙によって初めて選ばれた大統領になったのは2014年だった。
憲法改正で大統領の権限が強化されると、2029年まで続投することも可能になる。