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英ガーディアン紙名編集長の功績を振り返る -ウィキリークス、スノーデンNSA報道を主導

小林恭子ジャーナリスト
ロンドンのキングスプレースにある、ガーディアンのオフィスの外観(写真:ロイター/アフロ)

(日本新聞協会が発行する月刊「新聞研究」の7月号、リレーコラム「世界のメディア事情 -欧州」に掲載された筆者の原稿に一部補足しました。)

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近年の英国メディアで、大きな権力を相手にし、ひるまずに闘ってきた編集長と言えば思い浮かぶのが、左派系高級紙ガーディアンのアラン・ラスブリジャー氏(61歳)。ぼさぼさ頭に黒縁めがね、学者然とした人物だ。同氏は5月末、20年間にわたる編集長職を退任した。

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在任中は、世界的に注目を集めた数々の調査報道を手がけてきた。例えば、内部告発サイト「ウィキリークス」から入手した情報を基にした、米外交公電の暴露報道(2010年)や、米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン元職員から情報提供を受けた、米英の情報機関による大規模な情報収集の実態報道(2013年)など。

調査報道に加えて、ラスブリジャー氏が力を入れてきたのが、デジタル戦略だ。「デジタル・ファースト」(デジタル版をメインとして編集する)を他紙に先駆けて採用し、外部から人やアイデアを積極的に取り入れる「オープン・ジャーナリズム」を実践した。

日本同様、英国でも紙の新聞を読まない人が増えている。人出もお金もかかる調査報道を継続し、率先してデジタル化を進めてきたガーディアンの変身を、改めて、一つの時代の終焉の機会に振り返ってみたい。

特集面編集で頭角を現す

ザンビアで生まれのラスブリジャー氏はケンブリッジ大学で英文学を専攻し、卒業後は地元紙に勤務した。1979年にガーディアンに入ったが、数年で他紙に転職。1988年、週末版用の雑誌創刊のためにガーディアンに戻った。1992年には特集記事をまとめた付録冊子「G2」を創刊し、94年、特集面の編集長に就任した。

1995年1月、労組スタッフ、経営陣、スコット・トラスト(ガーディアンを最終的に所有する非営利組織で、独立したジャーナリズムを保障するために設置された)の支持を得て、同紙の編集長となった。

日々のニュースを他紙に先駆けて報道したかどうかよりも、特集面編集での手腕が買われたようだ。

就任直後から、ラスブリジャー氏は度重なる名誉毀損の裁判と戦う羽目になった。

その1つが1995年、武器売買に絡む賄賂疑惑だ。賄賂の受け取り手として名指しされた閣僚から名誉棄損で提訴されたが、賄賂の証拠をつかんだことで、99年、閣僚は偽証罪と司法妨害で有罪となった。

近年では日曜大衆紙による電話盗聴スキャンダル事件(2009-11年)、ウィキリークスと協力しながらの米軍戦闘記録・米外交公電報道、スノーデン報道などが記憶に新しい。

筆者が最も印象深いのはスノーデン報道を巡って、ガーディアンに及んだ強い圧力だ。

スノーデン氏から授かった情報を引き渡すようにと当局側から要求されたラスブリジャー氏は、これを拒み、代わりに情報が入っているパソコンのハードディスクを破壊する羽目になった。

下院の内務委員会にラスブリジャー氏が召還され、議員らに「国益に反する報道」について正される場面もあった。報道の意義を切々と説明した同氏は、圧力をかけられても、報道は続けるという姿勢を内外に示した。ガーディアンはスノーデン報道で2014年の米ピューリッツア賞公益部門の金賞を獲得している。

紙面改革にも積極的で、2005年には縦に細長いベルリナー判を導入した。英国の新聞でこの判を用いるのは、ガーディアンとその日曜版にあたるオブザーバー紙のみだ。08年には約1700人に上る編集・制作スタッフをロンドン・キングスプレースの新オフィスに移動させた。

デジタル化、オープン化

ラスブリジャー氏はさまざまなイノベーションを実行した編集長でもあった。

20年前、ガーディアンは平日約40万部を発行し、まだウェブサイトはなかった。現在、紙の発行部数は17万6000部ほどに大きく減少した。しかし、ウェブサイト開始(1999年)を手始めにデジタル版を「主」とする編集方針に移行。知識人が意見を寄せる「コメント・イズ・フリー」というブログ欄を新設(2006年)し、ガーディアンの知的空間を広げた。サイトは1日700万人のユニーク・ブラウザーを持つまでに成長した。ガーディアンは今や、世界で最も読まれる、英語圏のニュースサイトの1つとして認知されている。

外に開かれた=オープンな=ジャーナリズムを実践し、読者の意見を取り上げる選任の編集者を置いた。「コメント・イズ・フリー」の新設もオープン化の一環である。ツイターによる情報発信も積極的で、時には編集長自らがスクープ情報を出した。

ラスブリジャー氏を引き継いだのは創刊以来初の女性編集長となるキャサリン・バイナー氏(44歳)だ。

オックスフォード大学で英語を専攻後、月刊誌コスモポリタンでメディア界に入った。英日曜紙サンデー・タイムズを経て、1997年からガーディアンに勤務。18年の間に婦人面担当、土曜日版の付録雑誌の編集長、特集面編集長を歴任した。ラスブリジャー氏同様、じっくりと取材した企画を長く手がけた。オーストリア版ガーディアンの電子版を成功裏に立ち上げた後、米国版の編集長としてニューヨークに勤務した。

デジタル・ジャーナリズムに造詣が深いバイナー氏はデジタル・ファースト戦略を踏襲する見込みだ。紙媒体の不振による負債を減らし、さらに国際的なガーディアンにすることも目標となりそうだ。調査報道は今後も続くだろう。メディア環境激変の中、どのようなイノベーションを繰り出すか、英国内外で注目されている。

社を離れた人も

一時代を築いた人が辞めると、職場の雰囲気が変わるーすくなくとも、そんな風に感じる人は多いかもしれない。

ラスブリジャー氏がガーディアンを去る前後、数人が別のメディアに転職している。まず、これはラスブリジャー氏が去る前の話になるが、副編集長だったイアン・カッツ氏がBBCテレビの夜の時事解説番組「ニューズナイト」のエディター職になった。ラスブリジャー氏がいたら、いつまでも自分は編集長になれないと思っていたのかもしれない。

次期編集長候補の1人になっていたが惜しくも敗れたジャニーナ・ギブソン氏(ガーディアンの米国版やウェブサイトを統括)は、9月から米バズフィードの英国支部の編集長に就任する。

ガーディアンのウィキリークス報道、スノーデンNSA報道で活躍したジェームズ・ボール記者もバズフィードに移籍する。バズフィード英国版にはほかにも、サンデー・タイムズ紙、BBC,調査報道専門記者などが続々、集まっている。

デジタル化を率先して進めた後で、優秀な記者が選んだのはガーディアンではなく、バズフィードだった・・・これも時代の移り変わりを示しているようだ。

ラスブリジャー氏の今後だが、今でもツイッターで精力的に情報発信中だ。今年10月からは、オックスフォード大学のカレッジの1つ、レディマーガレットホールのプリンシパルに就任予定。2016年にはスコット・トラストの会長職を務める。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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