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「一時は自殺まで考えた」 -ラグビー選手がゲイであることを告白

小林恭子ジャーナリスト
同性愛者であることを告白したラグビー選手スタンリー(サンデー・タイムズ紙面)

同性愛者同士の結婚が昨年から可能になった英国だが、同性愛者であることを公にすることをためらう人は少なくない。特にタブー視される業界の1つがスポーツ界だ。 

これは、同性愛や同性愛者に対する恐怖感や嫌悪感、いわゆる「ホモフォビア」に基づいた、ファンからの抵抗、批判、冷やかし(ソーシャルメディアや競技会場などで)や、スポンサーが支援を取りやめるなどの事態を選手側は恐れるからだ。同僚や組織の上層部からも冷やかしがあったり、場合によっては冷遇されてしまう可能性もある。

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本当の性的指向を隠し続けた一人が、「イングランド・セブンズ」の選手サム・スタンリー(23歳、ニュージーランド出身)だ。同性愛者であることが分かれば、ラグビー選手としてのキャリアは崩壊するーそう思っていた。一時は自殺も考えるほどに思い悩んだ。しかし、30日の英サンデー・タイムズのインタビュー記事の中で、思い切って自分の性的指向を明らかにした。ツイッターにはカミングアウトの勇気をたたえるメッセージが並んでいる。

「自分は他の少年とは違う」

スタンリー選手が「自分は他の少年とは違う」と感じたのは「10歳から11歳の頃」だったという。「でも、違うことを認めたくなかった。そのうちにガールフレンドもできて、いつかは普通に戻るだろうと思っていた」。

現在までに、5年間、交際をしてきた男性は「ローレンス」という。出会ってすぐに恋に落ちたが、ローレンスに思いを伝えるまでには時間がかかった。「当時、彼は20年間の結婚生活の後に家を出たばかりだったし、子供たちもいたから」。

交際を始め、ロンドン郊外で一緒に住むようになってからもごく一部の友人を除いては、ほとんどの友人たちやラグビー仲間の間では一切ローレンスとの仲は秘密だった。スタンリー選手はローレンスを彼の「従兄弟」として紹介し、もし仲間が家に突然遊びに来たときでもばれないように、あえて別の寝室をローレンス用として準備しておいた。

「ラグビーが天職」というスタンリー選手にとって、同性愛者であることが公になれば「マッチョな」スポーツを続けられなくなるーこのために、なかなか本当のことを公表できなかった。

しかし、いじめ防止運動「立ち上がれ(スタンド・アップ)財団」に深く関わるラグビー選手ベン・コーエンのアドバイスが次第にスタンリーの心を解放させた。

他のスポーツ選手の告白も後押しとなった。その1人は元ウェールズ代表選手ガレス・トーマス。家族や同僚に秘密にしていたが、同性愛者であることを2009年に打ち明けた。後に書いたメモワール「プラウド」によると、同性愛者であることを隠し続けた年月は「まるで時限爆弾を抱えているようだった」。何度か自殺未遂も試みた。2006年、5年前に結婚した妻に自分の本当の性的指向を告げた。

9月に始まるラグビー・ワールドカップの決勝戦のレフリーとなる見込みのナイジェル・オーウェンズが同性愛者であるとカミングアウトしたのは、2007年だった。告白後も「友人、家族、同僚たちがこれまで通りに接触してくれた。まるで生まれ変わったように感じた」と当時語っている。オーウェンズ自身、1996年に自殺未遂をしたことを認めている。

スタンリー選手はサンデー・タイムズに対し、こう語っている。

「何百万人もが真実を言えず、同様の状況にあるのではないか。例えばローレンスのように、女性と結婚をしていても、同性愛者であったりする場合は、自分自身が事実を受け入れることができない」。

もっともっと多くの人、スポーツ選手たちがカミングアウトすれば、同性愛者であることが「問題ですらならなくなる。何年もかかるかもしれないが、勇気を出してくれることを望んでいる」。

別の選手の母は複雑な思いも

今月、ほかにもカミングアウトしたラグビー選手がいた。2人の子供の父親でもある、キーガン・ハースト選手(27歳)だ。結婚生活が破綻し、妻に自分が同性愛者であることを告げた。「妻は最初、なんとも言わなかった。何故なのか、どんな思いでいるのかを説明した。二人とも・・・・泣いていた」(サンデー・ミラー紙の記事より)。

母親のウェンディーさん(スペイン在住)には電話でカミングアウト。「冗談はやめて、と言ったわ。でも、冗談じゃないことに気づいたの」(同紙)。

まずはいったん、電話を切ったウェンディーさん。喉に塊ができて、しゃべれなくなった。泣いた。衝撃だった。怒りも感じた。一晩中寝られなかった。「裏切られた思いがしたわ。母なのに、まったく気づかなかったことに傷ついた。自分が一番息子のことを知っていると思ったのに」。

いまだ現状を呑み込むのに苦労しているというが、「何であろうと、息子は息子よ。いつでも息子のことは誇りに思ってきたし、これからも誇りだわ」。

大企業の経営陣もカミングアウト

英国で同性愛行為が違法でなくなったのは1967年(イングランド・ウェールズ地方。スコットランドでは1981年、北アイルランドでは1982年)で、同性愛者への差別は法律で禁止されている。

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しかし、実際には「カミングアウト」という言葉が示すように、勇気を持って打ち明けるほどの事柄として認識されている。

昨年春には、国際石油資本BPの元CEOジョン・ブラウン氏が書いた、同性愛者に対する差別や偏見をなくするための本「ガラスのクローゼット」が反響を呼んだ。

ブラウン氏も同性愛者であることを長年、秘密にしていた。「公的生活と私的生活は別」という認識の下、家族にも友人にも告げないままで生きてきたが、2007年、元ボーイフレンドとの間柄を大衆紙に暴露されそうになり、急きょ、辞任を決意した。

辞任の日、男性との恋愛関係を複数の新聞が大きく報じる中、会社を後にした。

同性愛者であることを公表する事態に追い込まれたブラウン氏だったが、その後、次第に心が解放され、嘘をつかなくてもよい状態に安堵感を抱くようになったという。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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