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仏紙襲撃事件に重なるユダヤ人迫害の歴史 ―パリ政治学院教授に聞く(下)

小林恭子ジャーナリスト
シャルリ・エブドの8月12日号

今年1月上旬、仏週刊紙「シャルリ・エブド」の襲撃事件で12人が殺害され、引き続いて発生したテロ事件で数人が亡くなった。筆者は1月中旬にパリに行き、数人の識者に背景を聞いた。事件から7ヵ月後の現在、あらためて、パリ政治学院教授ファブリス・イペルボワン氏の主張を紹介してみたい。

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「仏エリートはインターネットを理解できていない」

―今日の話を聞いて、フランスに対する見方が大きく変わった。

イペルボワン教授:それは悪いことをした。でも今でも食べ物はおいしいし、たくさんのぜいたく品がある。

―フランス社会のネガティブな面を聞いたが、政界が理想的で、完全である国はほとんどないだろう。

確かに、フランスの政界は完全さからははるかに遠い。特にインターネットを取り込んでいないのが致命的だ。政治システムがインターネット時代を生き延びることができないようになっている。主要エリートはインターネットを理解できない。中国のエリートはネットを完全に知っている。どうやって使うかを熟知している。フランスはまったく理解できていない。

―フランスにはリッチな文化がある。だからインターネットのような新しい世界に容易には移っていけないのではないか。

そうかもしれないが、現在、時間をとって考えている暇はない。中に飛び込まないと、あっと言う間に期限切れになってしまう。

(極右政党「国民戦線」党首)マリーヌ・ルペンの世界観はインターネットを生き残るだろう。これは大きな、別の脅威だ。もし彼女が政権を握るようになれば、大きな監視体制を敷くだろう。今こうしている間にも進んでいる。

巨大な規模の監視体制に関して、フランスは世界でも第1級だ。米国よりも優れているのではないか。リビアの故カダフィ大佐から「イスラム国」(IS)まで、世界中で監視システムを売ってきた。フランスのテクノジーを使って、国民を監視し、反抗勢力と戦っている。

フランスも今後、内部の反抗勢力に対してまったく同じことをするだろう。これは基本的に言えば、対ムスリムである。シャルリに賛同しない多くの人だ。

もしルペンがこうしたツールを手に入れ、使うとすれば、非常に汚いことになるだろう。

1月中旬、パリの共和国広場に置かれていた追悼のメッセージ数々
1月中旬、パリの共和国広場に置かれていた追悼のメッセージ数々

「融合」は可能か

―フランスのムスリム(イスラム教徒)はどうしたらいいのだろう?融合するか、フランスを去るのか。

融合はできない。融合できるのは高等教育を受けた人たちのみだ。私が教えるパリ政治学院にもムスリムの学生がたくさんいる。学生数の三分の一は劣悪な環境で育った若者用にリザーブされているからだ。

こうした学生たちは、学位取得後はフランスを離れる。米国、英国、南アフリカに向かう。自分を優れた才能をもった人物として受け止めてくるところに行く。ムスリムとしてのみ扱われない場所に行く。

フランス国家には彼らは融合できない。例外は政治家になることだ。やればできる、という「良い例」として奨励される。

しかし、95%は学位を持っておらず、ゲットーに住んでいる。仕事へのアクセスがない。ゲットーの外ではアパートに住めない。ムスリム系の名前だとほとんどのパリの地域ではアパートを借りられない。だから、たとえお金があっても、ゲットーの中に住まざるを得ない。

私が住む街の隣にあるような、良い環境のゲットーに行くこともできるが、お金がないと、貧しいゲットーに行くことになる。いずれにしてもゲットーにいる。これがフランス国家が言うところの「フランスは回っている」ということの実態だ。

ゲットー化にならないように法律がある、と言う。しかしそれは実行力がない。ムスリムやアラブ系の名前で求人に応募すれば、仕事を見つけるのは非常に難しいからだ。白人でも仕事を見つけるのが難しいのに、ムスリムであれば特に難しい。

―外国人はどうか?

日本人は問題ない。何か違うものがあると見られるからだ。別の価値を持ってきてくれる、と。日本の文化は歓迎だ、と。しかし、アルジェリアの文化となると、いらないとなる。アパートを借りるのも日本人なら問題ない。

―厳しい現実だ。

確かにそうだ。そういう現実を認めたがらないので、さらに厳しくなる。ムスリムたちが「現実を見てほしい。ひどい国だよ」と言う。その一方でフランスの政治家たちは「これは真実ではない」、「こういうことを指摘してはいけない」、と言う。

どの政治家も「問題が存在しない」という。「ほかのコミュニティーはない。フランス市民だけだ」と。政治家は現実を否定し続けている。現実を見ずにどうやって問題を解決できるだろう。ひとりでに解決はしない。

シャルリ・エブドの8月12日号
シャルリ・エブドの8月12日号

―こういう点を指摘する新聞報道は?

あるが、多くはない。

私は2008年から14年初頭までジャーナリストだった。この問題についてたくさん記事を書いてきたが、いつもトラブルに陥った。

例えば、風刺週刊紙「カナール・アンシェネ」などで働いてきた数人のジャーナリスト仲間とともに、世界各国政府による監視体制を暴露報道した。複数のメディアに向けて書いた。

世界の監視国家の実態を調べて報道したが、社会党は私たちを貶めるチームを作り、「陰謀主義者たちだ」というイメージを作り上げた。国民の多くが「ああ、この人たちは陰謀主義者たちなのだな」、「ばかげたことを言っている頭のおかしいやつらだ」、と思うようになった。

しかし、2013年6月、スノーデン報道が発生すると、私たちは陰謀主義者ではなく、ジャーナリストなのだということを国民が分かってきた。すると、またも私たちは政権党に近い勢力から攻撃を受けた。これがフランスの言論の自由の現実だ。報道の自由の現実だ。

―これはオフレコ情報か?

違う。すべて公になっている。もし私が、また「目を開けてご覧なさい」と書き出したら、自分の身に何が起きるか分からない。たぶん、別の名誉毀損キャンペーンが起きるだろう。

―日本にもさまざまタブーがある。

どこの国にもある。多くの場合、米国の言論の自由のように、隣人を傷つけないようにしながら書く。地元の文化的なタブーを避けようとするだろう。

フランスでは冒涜はタブーではまったくない。フランスの文化の核になる部分だ。しかし、多くの国ではタブーだろう。故意に隣人を傷つける人はいない。「みんなが幸せに生きられるように」、というのは日本ではそうかもしれないが、フランスではそうではない。

「キリスト教的なムハンマド」

―シャルリ・エブドの1月14日号の表紙にはイスラム教の預言者ムハンマドが登場した。「すべて許す」という意味の文章がついていたようだが、どのように受け取ったか?

キリスト教的なムハンマドに見えた。つまり、このテロ行為を行った人を許す、と。シャルリを支持し、テロ犯を許す、と。いずれにしても、ムスリムにとっては大きな侮辱であることには変わりはない。世界中のどのムスリムにとっても大きな侮辱だ。

フランスの伝統とムスリムの世界の間に大きなギャップがある。90%の非ムスリムと10%のムスリムとの間のギャップ、そしてフランス国内と国外のムスリム世界とのギャップもある。大きな災難となるのは必須だ。(終)

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イペルボワン教授へのインタビュー記事は当初、東洋経済オンラインの筆者記事に掲載された(1月24日付「フランス式『言論の自由」は、普遍的ではない』」)。記事はインタビューの半分ほどを要約したものである。今回の(上)(下)は、若干の重複も含めた、拡大版である。同サイトにはさまざまな識者のインタビューや論考が寄せられている。(「パリ連続テロとイスラム、そして日本」)ご関心のある方はごらんいただきたい。

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ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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