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デジタルセキュリティーを学ぶ -英調査報道センターのワークショップで考えたこと

小林恭子ジャーナリスト
英調査報道センターのウェブサイト

「トゥルー・ネット」とインターネット

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藤井大洋氏の小説「Gene Mapper-Full Build-」(ハヤカワ文庫)の中に、「トゥルー・ネット」という言葉が出てくる。

現在私たちが使っているインターネットが崩壊した後にできた、デジタル上のネットワークだ。この本によれば、インターネットは2014年、開発者たちが埋め込んだミスのために「崩壊し、人類を追放=ロックアウト=」したのだという。開発者たちは、「人権、プライバシー、経済、国家という領域との齟齬(そご)・・・新しいことを思いつくたびに」、「後戻りのできない扉に向き合ったことだろう。それでも、未来の扉を開くことを優先したのだ」。

トゥルー・ネットについて詳しく書かれているわけではないが、インターネットの次に来る存在として(フィクションにせよ)、想像力が刺激された。果たして、どんな世界が広がっているのだろう。

私たちの生活はもうインターネットなしにはやっていけないようになっているが、2013年、エドワード・スノーデンのリークによって、米国家安全保障局(NSA)が行っている巨大な範囲・量の電子情報の収集が暴露されてから、ネット上の情報が知らぬ間に特定の組織に集約されていることへの不安感は、いっそう強まったのではないか。

といって、個人のレベルでは具体的に何をすればいいのだろう?

私自身は不特定多数の人に情報を発信することが仕事だから、ネットにもたくさん情報を出すし、ソーシャルメディアを一通りやっている。

その一方で、大手ネットサービスのほとんどががほんの一握りの米国企業であることへの危機感や不安感を持つ。

世界的な汚職事件の実態や諜報情報などを扱う仕事をしているわけではないものの、海外に住む友人・知人あるいは取材対象者が私と他愛ないコンタクトを取ることで、なんらかの不利を被る可能性がないわけではない。例え自分を守る必要がなくても、相手を守るにはどうしたらいいだろう?

とにかく、少しずつでも学ぶことが必須と思い、まずは英調査報道センター(Centre for Investigative Journalism)が開催した「インフォセック(InfoSec)・ワークショップ」(17日)に行って見た。

***

開催場所はロンドンのゴールド・スミス・カレッジの一室だ。緑が美しい中庭の向かいに新設された建物の3階に部屋があった。

参加したのは筆者のほかには、スイスからやってきたジャーナリスト(女性)、カレッジの学生(女性)、IT関係の企業に勤める男性、ほかに人権団体で働く男性二人。

講師はオランダ出身のアーエン・カンフュイス氏だ。テクノロジー系コンサルタント会社Gendoの共同創業者でチーフ・テクノロジー・オフィサー。以前には米IBMなどの主要テック会社に勤務。政府や公的組織へのアドバイスをしたり、テクノロジー政策についてのスピーチもひんぱんに行う。

長髪をなびかせ、黒い大きなリュックを肩にかついで部屋に入ってきた。現在は、元MI5(英内務省管轄の情報機関)のパートナーとともにベルリンに住んでいるという。

午前中はデジタル時代の情報の取り扱いについて。午後は各自が持ち寄ったラップトップを使って、いかに機密を維持しながらネットを使うかを学んだ。

「ビッグデータを疑う」

「何も隠すものがないなら、監視されても別に大丈夫だろうという人がいる。本当にそう言えるのだろうか」―。午前のセッションの冒頭で、カンフュイス氏は参加者に問いかけた。

「本当に何も隠すものがないなら、ジャーナリストとして十分に仕事をしていないのではないか」

カンフュイス氏は空港でのセキュリティチェックの甘さを指摘する。「今のままの体制では、重要機密を運ぶのは実に簡単だ。例えばUSB一つあればいいのだからー」

「乗客は念入りに荷物チェックやボディー・チェックをされるけれども、乗組員の補助員として搭乗するときに、大きなバッグを手に持っていても、チェックされなかったりする」

「データは良いようにも、悪いようにも使われてしまう」

「オランダ・アムステルダムでは、長い間、人種やそのほかの社会的背景によって地図が作られていた。当局は、いさかいが起きないようにと善意でこのような地図を作っていた」

「しかし、第2次大戦で独ナチスによる軍政が敷かれたとき、ドイツ側はどこにユダヤ人が住んでいるかをすぐ見つけることができた。多くの人がアウシュビッツに送られた」

現在は「ビッグデータが良いということになっている。しかし、すぐに結論に飛びついてしまう傾向がある。データを集めること自体がすごく簡単になってしまったからだろう。例えば、自閉症の人の数と機能食品の摂取量の増加をグラフにすると、同様の形になる。しかし、この2つは本当に関連性があるのだろうか?自殺率と弁護士の数の関係はどうだろう?統計学の知識を持っていないと、データの読み方を誤る可能性が高い。これはデータジャーナリズムの罠だろう」。

スノーデン・リーク

「誰もがスパイ行動をしているといっても過言ではない。2001年にすでに欧州ではスノーデン・リークが明らかにした状況が報告されていたが、誰も何もしなかった」

「改めて、スノーデン・リークで分かった、NSAの情報収集の実態を少し振り返ってみよう」

「NSAはすべてについて知りたがっている。例えば地球温暖化についての国際交渉で、相手国側の情報を入手していた。独のメルケル首相については、首相就任の何年も前から監視していた」

「NSAはメタデータ、つまり、誰と誰が情報を交換しているかのみを収集すると説明してきたけれども、そうしようと思えば、中身を見ることも可能だ」

「光ケーブルを通る情報を収集しているから、ある人のメールの中身を変えることも不可能ではない」

「Facebookにとって、私たちは顧客ではない」

「フェイスブックにとってあなたは顧客ではない」(ワークショップ資料より)
「フェイスブックにとってあなたは顧客ではない」(ワークショップ資料より)

「便利だからということで多くの人がFacebookを利用している。写真で顔を認証でき、あなたの情報はサーバーからは削除されない。データは付加価値がついて高く売れるが、保存することは安価でできる。そのデータを広告に売ってお金をもうけているのがFacebookだ。だから私たちは製品であり、顧客は広告主になる」

「英国の情報傍受機関GCHQが間に入り、偽者のアカウントを作ることも可能だろう」

「米CIAがアップストアにバックドアを作っていた、という話もあった」。

携帯電話・スマートフォンはどうする?

「セキュリティーを確保できないのが携帯電話だ。重要な取材相手や情報源と話すときに携帯電話を使ってはいけない。コーヒーショップで情報源と会った時にスマートフォンを持っていかなくても、あなたの近くにスマホが3台ほどあれば、情報収集者はあなたの居場所を特定できる。カメラもマイクも付いているスマホはコンピューターと考えて欲しい」

「電源をオフにしていても、本当に切れているかどうかは分からない」

「コンピューターに非常に小さなチップを入れて、情報を流せるようにする場合がある。こうした類のコンピューターを使うと、あなたのキーストロークが情報収集者に流れる。今後10年間で、こうした動きは加速するかもしれない」

米当局がプリンターに「工作」?(ワークショップ資料より)
米当局がプリンターに「工作」?(ワークショップ資料より)

「プリンターをオンラインで買わないように。米情報当局が配送センターで情報収集用のチップを入れていることがある」

「こうした種類の動きは1990年代から欧州ではすでに報道されていたが、欧州連合=EUは地域内での技術開発に大きな投資をせず、失敗した」

「ネット上の通信に暗号をかける人を否定する動きがある。しかし、プライバシーは人間の権利ではないだろうか」。

私たちにできること

「対抗することはできる。少しの時間と努力が必要になるが」

「例えば、メールを書いているときに、『あなたがこれを読んでいるとしたら、スノーデンになってくれ』と入力してみたら、どうか」

「ソーシャルメディアを使うなら、実はベルリンにいても、アムステルダムにいるかのような情報を流すという手もある」

中古のラップトップを買って改造する(ワークショップの資料より)
中古のラップトップを買って改造する(ワークショップの資料より)

「情報を保護するために、新たなラップトップを買って、そこで重要な情報を交換するという手もある。中古のラップトップーー150から200ドルぐらいーーを買い、ハードディスク、モデム、ワイファイなどをはずし、すべてをUSBから起動させる形で利用する」

「ブラウザーは複数使う。例えばChromium (クロミウム)やファイヤーフォックスとプラグイン、TOR(トーア)など」

「パスワードは20文字以上が最も安全だ」

「TORと暗号化メールを使えば、NSAでも追跡できない」

情報の筒抜け状態

午前中のセッションの内容は、筆者にとってはいささかショックだった。

ワークショップの1週間前に新しいラップトップを買った私は、「便利だから、いい」とは言えなくなってきた。スマホとタブレットを持ち、グーグルをメールと検索で使う私の情報は筒抜け状態だろう。(昨年、あるロンドンのコンテンツ制作会社から仕事をメールで依頼されたことがあった。まったく知らない会社である。実際にその会社を訪ねて打ち合わせをしたときに、履歴書を送りましょうかと言ったら、「すでに情報はあります」と言われた。担当者は、ラップトップの画面上に履歴書に載るほどの私についての詳細な情報を出して見せた。)

Facebookにとって、私は顧客ではない、「製品」なのだーこれも言われてみればそうなのだが、衝撃ではある。私にとっては非常に便利なサービスで、友人、知人との情報交換、近況報告にぴったりなのだがー。「人間=製品」という関係だけであるなら、実に味気ないことになるが、どう考えたらよいか。

大手ネット企業のルールにそのまま従わなくても良いことを示したのが、アップルの音楽ストリーミングサービスの一件だ。アップル側はユーザーが最初の3か月間は無料でストリーミングを体験できるようにし、この期間は、アーチストにはお金を支払わないことにした。これに歌手のテイラー・スウィフトが「それじゃ困る」と反旗を翻した。そこでアップルは折れた。こんなケースもあるのである。

さまざまな米大手メディアのサービスを「どうせ無料だから」「広告で経営しているから仕方ない」で済ませていいのだろうか?仮想トゥルー・ネットの世界だったら、どうなっていただろう?お昼休みに、そんなことをいろいろ考えていた。

NSAによる情報収集については、グーグルほどの優秀なテック企業がどうして感知し、防御できなかったのかとシュミット会長に聞く機会(2013年11月、ロンドン)があった。「ケーブル自体から情報を取られていたので、防げなかった」そうだ。(同社はこれに対抗するための施策を発表している。

何気なく使っているインターネットだが、そこまでやるのか、というところまで情報の取り合いがある。これが現実だ。

暗号化メールをインストールする

午後は暗号ソフトをインストールし、使い方を学んだ。

インストールしたのはGPG(メール用)、ADIUM(チャット用)、TrueCrypt(データ用)。

このうち、まずトライしたのがメールの暗号化だ。通常のメールソフト「サンダーバード」をインストールし、「Tool」、「Add-Ons」, 「Extensions」から「Enigmail」を選択。

この後の具体的なステップは以下の電子ブックレット(英語)「ジャーナリストのための情報セキュリティ」(Information Security for Journalists)をダウンロードするか、メールの送り方(第5章)をごらんいただきたい。

ダウンロードの段階で右往左往した後、細かい設定で迷っていると、ゴールド・スミス・カレッジの卒業生で、人権活動家、歌手としても知られるシルキー・カーロ氏が適切なアドバイスをしてくれた。

設定を一通り終えて、ほかの参加者やカーロ氏にメールを送ったり、受け取ったりを練習した。

メールの送受信に行くまでが結構大変で、途中、脱落しようかと思ったが、カーロ氏が我慢強く教えてくれた。

手際よくアドバイスをくれるカーロ氏はコンピューター・セキュリティに造詣が深い経験者のように見え、「何年ぐらい、かかわっているのか」と聞いてみた。「2年ぐらい。私もまだ学び始めたばかりよ」。

カーロ氏は先のブックレットの共著者でもある。ネットのセキュリティーについて意識するようになったのは、ウィキリークスによる米軍の機密情報のメガリークがきっかけだったという。「何とかしなければ!」と強く思ったのはスノーデンによるNSAの情報収集の実態の暴露だった。

「暗号化メールは使っていないとやり方を忘れてしまう。練習のためにでもいいから、いつでもメールを送ってね」と言われた。

メールの練習をしただけだが、結構大変だなと思った。慣れればなんていうこともないのだろうがー。また、暗号メールを送る場合、相手も暗号メールを受け取るほどの知識やシステムが必要になる。いくつかの情報統制があるといわれる国に住む人と情報を交換したい自分にとってどれだけ役に立つだろうかとも思ったが、まずは1つの経験だった。

カンフュイス氏によると、ブックレットは近くアップデートされる予定で、「メディア企業のセキュリティはどうするか」について書き加えるつもりだという。

現在、ブックレットは複数の言語に翻訳されているが、日本語はまだない。これからもアップデートされる予定であるため、大学などの公的機関が翻訳作業に加わってくれることを望んでいる、ということだった。関心のある方は連絡をしてみてはどうだろう。

ちなみに、英調査報道センター(Centre for Investigative Journalism)は7月2日から4日まで、ロンドンで夏の会議を開催予定だ。出席者を見ると、国際サッカー連盟(FIFA)の汚職事件を追い続けたアンドリュー・ジェニングズ氏をはじめ、そうそうたるメンバーが並ぶ(プログラム)。筆者もぜひ行って見たいが、この期間は国外に出ているので不可。ジャーナリズムを勉強中の方、関心のある方で、金銭的に余裕のある方に、ぜひお勧めしたい。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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