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「泣く子も黙る?」超パワフルな英新聞界が法による規制の可能性に、徹底抗戦! その1

小林恭子ジャーナリスト
かつての「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」紙の1面の一部

おとり取材や裏情報の買収で政治家や企業の不正を暴く一方で、有名人の私生活やスキャンダルをあの手この手で暴露する、英国の新聞界。無名の市民がいったん事件の容疑者になってしまったら、実名・顔写真入り報道は日常茶飯事だ。後で無実であることが判明したらー?それはもう「後の祭り」。汚名を着せられたままの人生となる。

「報道の自由がある」と自負する英国の新聞界は、超パワフルだ。その論調によって総選挙の結果を左右できると見なされているために、政界ににらみを利かせられる。さらに、うっかりしたら私生活についての中傷記事を延々と書かれてしまう可能性があって、政治家にとっては怖い存在だ。

そして、こんな新聞界の言論を規制する団体や特定の法律は、事実上ないにも等しい状態が続いてきた。検閲によって印刷物を規制した最後の法律は、17世紀末に失効している。

しかし、29日昼に提出される報告書が、過去300年以上新聞界が享受してきた報道の自由を脅かすことになるかもしれないー。そんな懸念にかられた新聞界は、「法による規制、反対」という趣旨のロビー活動を白熱化させている。

この報告書は、通称「レベソン委員会」がまとめたもの。「レベソン」とは、委員長となったレベソン控訴院裁判官の名前に由来する。昨年7月、キャメロン英首相が英国の新聞界の文化、慣習、倫理を検証するために設置した。

そのきっかけは、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド(News of the World)」(「NOW」紙)による、大規模な電話盗聴事件だ。

―ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙とは

英国の新聞は、内容によって大きく2つに分けることができる。

1つはタイムズ、ガーディアンなどの高級紙。これは日本でいうと、全国紙に当たる。もう1つが大衆紙(小型タブロイド版なので、タブロイド紙ともいう)だ。後者は、有名人のゴシップ、セックス、スポーツ記事などが中心で、高級紙の何倍もの部数で売れている。

NOW紙は、日曜にのみ発行されている大衆紙で、日曜紙市場では英国でトップの部数を誇った。おとり取材や、スターの弱みを握り、その秘密を「告白」させてインタビュー記事を作るなど、ありとあらゆる手段を使って、スクープを飛ばした新聞である。

しかし、大規模な電話盗聴事件が発覚したことで、昨年7月、168年の長い歴史を閉じ、廃刊となった。

この盗聴事件、もともとは2005年ごろに発覚し、07年にはNOW紙の記者と仕事を手伝った探偵とが逮捕・禁固刑となっていた。しかし、当初思っていたよりもはるかに多くの盗聴行為が行われていたことが後になって、次第に分かってきた。

2009年、ガーディアンの報道をきっかけに、捜査を広げるべきだという声が出たが、当時のロンドン警視庁幹部はこれを却下。NOWの当時の編集幹部や、発行元の会社の幹部も、「記者一人が関係していた事件」として、組織ぐるみではなかったと主張し続けた。

新聞界の自主規制団体「報道苦情委員会」(PCC)もNOWや発行元の幹部の話を信じてしまった。

ーミリーちゃん事件で、山が動く

盗聴事件が、国民の心を大きく動かしたのは昨年夏のこと。

ミリー・ダウラーちゃんという14歳の少女が、2002年、ロンドン南部で失踪した事件があった。自宅でアイロンがけをする様子が、よくテレビのニュース番組の中で紹介された。多くの英国民がミリーちゃん失踪事件を長年記憶していた。

昨年7月上旬、ガーディアン紙は、NOW紙の記者らが、このミリーちゃんの携帯電話の伝言メッセージを聞いていた、そして、古いメッセージを消していた、と報道した(後に、消していたかどうかは不明となっている)。メッセージが消されていたため、ミリーちゃんの両親は娘がまだ生きていると思い、望みをつないでいたのである。もしこれが真実だとすれば、プライバシー侵害どころではない。他人の電話の伝言を聞いていた、そしてことによったら伝言を消していたというのは、刑事事件の捜査妨害にもなりかねなかった。

そこでようやく、警察が動き出した。国民の中に、「そんなことまでしていたのか!」という大きな怒りがわきおこった。もはや著名人の電話が盗聴されるレベルの問題ではなくなった。

ガーディアン紙の報道によれば、さらに続々と盗聴例が出てきた。小学生女児らの殺害事件で、その家族の携帯電話を盗聴していた、あるいは、イラクに派遣された英兵の携帯電話にアクセスしていた、など。どの例も、国民の心をかき乱した。

国民の怒りの急上昇振りに、NOWの発行元ニューズ・インターナショナル社は、何か行動を起こさざるを得なくなった。そして、ガーディアン紙の報道から数日後の7月7日、NOW紙の廃刊を決定した。電光石火の決断であった。

ー首相にも火の粉が

キャメロン首相にも火の粉が降ってきた。

というのも、2005年の盗聴事件の際にNOWの編集長だったアンディー・クールソン氏を、官邸の広報責任者として雇用していたからだ。ミリーちゃんの電話盗聴事件が発覚した頃までにクールソン氏は辞任していたけれども、雇用していたことで首相の判断に疑問符が付いた。その上に、7月8日、クールソン氏は、電話盗聴と汚職の疑いで逮捕されてしまったのである。

窮地に追いこまれた首相が立ち上げたのが、レベソン委員会であった。NOWの盗聴事件のような違法行為が今後起きないように、新聞界の慣行や倫理を検証するのが目的だ。

NOWでの電話盗聴事件を追うと、警察、メディア、政治家の癒着が浮かび上がってくる。

例えば、なぜ警察が、初期捜査で一部の盗聴についてのみ、取り上げたのだろうか?2009年にガーディアン紙が盗聴は当初よりもはるかに大規模に行われていたと指摘した際に、なぜロンドン警視庁は再捜査を簡単に却下したのか?

また、NOW関係者による「たった一人の記者が関係していただけ」という説明が、なぜ長い間、検証されてこなかったのかー?

キャメロン首相の政治的なおよび個人的な関係にも、この事件は影を落とした。NOW紙の元編集長を官邸の広報責任者にしていたことは先に書いた。これに加え、NOW、および同紙と同じ発行会社が出している大衆紙サンの元編集長で、発行元ニューズインターナショナル社のCEOにまで昇進したレベッカ・ブルックス氏とキャメロン氏は個人的な友人同士でもあった。パワーエリートたちが、公私共にくっついている状況が見えてきた。

また、ニューズ・インターナショナル社の親会社は米メディア複合企業ニューズ社だ。この会社のCEOはメディア王と呼ばれる、ルパート・マードック氏。マードック氏は、1970年代末のサッチャー保守党政権以来、英メディア界、および政界で大きな影響力を持つといわれてきた。

とすると、例えば、マードックとキャメロンやほかの政治家とが癒着していたがために、電話盗聴事件が本格的に捜査されてこなかった、とも言えるのではないだろうかー?そんな風に思う人も出てきた。

不十分な捜査を行ったロンドン警視庁では、マードック・メディアとの近すぎる関係に疑念が持たれ、当時の警視総監と、先に2009年の再捜査を却下した幹部とが辞任する事態にまで発展した。

こうして、NOW紙での電話盗聴事件は、政界、メディア界、警察を巻き込む、大きな事件として認識されるようになった。

ー報告書が問題とするのは何か?

昨年秋に始まり、今年夏に終了したレベソン委員会の公聴会には、プライバシー侵害の犠牲者となった著名人に加えて、新聞経営者、編集長、記者、私立探偵、放送業界経営陣、人権擁護団体の代表者など、190人近くが出席し、質疑応答を受けた。

29日に発表される、委員会の報告書のポイントは、NOWでの盗聴事件のような、常軌を逸した報道が行われないようにするにはどうするかについての提言だ。具体的には、新聞界の規制の見直しである。果たして新法を立法化するのかどうか。

ー法的規制か、否か?

この文章のはじめの方で、英国の新聞界を規制する法律が事実上ないと書いた。

少々説明を補足したい。

1930年代、当時の保守党党首スタンリー・ボールドウィンは、新聞界を「責任を持たない(果たさない)権力」と呼んだ。「まるで、売春婦のようだな」、と。

ここでの「新聞」とは、当時の新聞王ビーバーブルック卿とロザミア卿が出していたデイリー・エキスプレス紙とデイリー・メール紙である(ちなみに、両紙は現在も健在)。この2つの新聞を使って、ビーバーブルックとロザミアは、保守党が大英帝国内での自由貿易政策を採用するよう、圧力をかけていた。

英国の新聞界が最後に法的に規制を受けたのは、1694-95年ごろ。「印刷・出版物免許法」が失効し、2度と更新されることはなかった。これで当局の認可を得ずに出版物を発行することができるようになった。

第2次大戦後、新聞界の巨大過ぎるパワーを抑えるためにいくつかの調査委員会が開かれたが、新聞界は常に「自主規制」で自分たちの力を維持してきた。

現在、業界の規制団体として挙げられるのは「報道苦情委員会」(PCC)だが、これは基本的に、新聞の読者からの苦情を受け付けることと、業界内の倫理規定を決めるのが主な仕事だ。PCCへの参加は各新聞社の意向に一任されている。

PCC設立のきっかけとなったのは、新聞のプライバシー侵害などの過熱報道に業を煮やした世論を背景として立ち上げられた調査委員会「カルカッタ委員会」(1991年、委員長のデービッド・カルカッタ議員の名前を取った)。2年後、委員会は、PCCが規制機関としては十分に機能していないとして、新聞報道の苦情を取り上げる裁判所の設置を推奨した。

しかし、当時のメージャー政権はこの裁判所の設置まではいかず、1997年に発足したブレア政権も後回しにして、今日に至った。

英国の新聞報道は、汚職、名誉毀損、通信傍受法など一般的な法律によって規制されているものの、新聞を保護するあるいは規制する特定の法律があるわけではない。

例えば名誉毀損に値する報道があった場合、PCCに苦情を言っても、該当する新聞に小さな謝罪記事が出るのがせいぜいなため、裁判で解決する形になる。しかし、裁判費用が巨額となるため、訴えることができるのは著名人など一部の人に限られる。一般市民にとっては、泣き寝入りしかないのが現状だ。

また、規制の話になると、一斉に徹底抗戦の様子を見せるのが英新聞界だ。規制といえば、「自主規制」しか、認めないのだ。

やりすぎの報道があるにしても、「法的規制は必要ない」と考える政治家や一般市民、人権団体なども、実はかなり多い。まさに「報道の自由」に関わる問題だからだ。

それでも、さすがにNOWでの盗聴事件以降、「今のままではいけない」という意識が新聞界にも共有されてきた。今回に限っては、何らかの新たな方法を導入せざるを得なくなってきた。

特に、昨年秋からの公聴会で、報道被害にあった人々が次々と証言を行い、新聞界のマイナス面が大きくクローズアップされてしまった。何もしないでは済まされなくなってきた。

小説ハリー・ポッターシリーズの作家JKローリングさん、歌手のシャーロット・チャーチ、俳優ヒュー・グラント、各新聞の編集長、記者、探偵、キャメロン首相をはじめとする政治家、警察関係者など、さまざまな人が証言を行った。その模様はレベソン委員会のウェブサイトでライブ中継された上に、その書き取ったものがサイトに後で掲載され、一種のドラマがずっと続いてきた。(つづく)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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