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テーマは冷戦時代と9.11。秋の実録映画を面白くしているベネディクト・カンバーバッチ!?

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
『クーリエ 最高機密の運び屋』

感染者数は減少傾向にあるものの、近く訪れる第6派にどう備えるか?これ以上備えようがない!という相変わらずのジレンマに苛まれるパンデミックの2021年・秋。それでも映画に関してはこの季節にこそじっくりと向き合いたい作品が公開される。テーマはズバリ実録物。扱うのが”冷戦時代に暗躍した素人スパイの体験記”と、今月で20年が経過した”9.11の黒歴史”。素材自体にあまり鮮度はないのだが、どちらも着目点が面白い。俳優たちの熱演、演出のレベルも高く、映画を通して歴史的事実の裏側に潜む人間のドラマを味わい尽くすには絶好のチャンスだ。

鉄のカーテンを潜ったスパイの素顔は一般人の実業家だった!?

素人スパイがモスクワでターゲットに接近していく
素人スパイがモスクワでターゲットに接近していく

まず1本目は、米ソ間の核武装競争が激化した冷戦時代が背景の『クーリエ:最高機密の運び屋』だ。ソビエト連邦の最高指導者として君臨するフルシチョフが恐怖政治を敷き、敵国アメリカに対して核兵器の脅威をちらつかせていた頃。ソ連国防省参謀本部情報部、略してGRUに所属する高官、オレグ・ペンコフスキー(メラーブ・ニニッゼ)は、密かに機密情報を西側に提供する見返りとして亡命計画を立てていた。一方、CIAとMI6はソ連に出向いてペンコフスキーに接触し、機密情報を持ち帰るミッションを託せる人材を探していた。彼らが白羽の矢を立てたのは、プロの諜報員ではなく、なんと、東欧諸国に工業製品を売り捌くビジネスマンのグレヴィル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)だった。一般人の方が目立たないと踏んだからだ。

スパイが一般人に化けて敵側に潜入する話ならこれまで嫌ほど見てきたが、場合によって逆もアリなのだ。まさにあり得ない実話。とんでもないぶっつけ本番。そんな意外性に富んだ導入部から始まる映画は、やがて、迷った挙句、殺されるかもしれない状況に身を投じてしまったウィンが、ソ連に入国し、ビジネスパートナーを装ってペンコフスキーと接触し、互いの立場を理解して親密な関係を築くまでを、スリルたっぷりに見せていく。その間、観客はウィンと一緒にサドンデスのスパイゲームに付き合うことになる。いつソ連側が事実を察知するのかという、確実に訪れるであろう恐怖の瞬間を想像しつつ。

『クーリエ~』が描く主たる歴史的事実は、ペンコフスキーがウィンを介して西側に提供した、ソ連のミサイル配備に関する機密情報が、折りしも発生した”キューバ危機”を回避するきっかけになったこと。”キューバ危機”とは、ソ連がアメリカに近いキューバに核ミサイルを配備したことで、対アメリカと一触即発の事態に陥った緊急事態を指す。

自ら放ったスパイを駒として扱う核戦争よりも冷徹な諜報戦争の実態や、誰も信じられない旧ソ連共産主義の闇、そして、事実発覚後、ペンコフスキーとウィンが辿った劇的な運命、等々、随所に見せ場が用意されている本作。しかし、予定通り進んでいた諜報活動に危険が迫っていることを察知したCIAとMI6から、任務からの即時撤退を指示された時、ウィンが取った行動こそが、劇中で最も意外性に富むターニングポイント。ここでドラマが一気にヒートアップする。

脚本を気に入って製作も兼任したカンバーバッチ

巻き込まれ戸惑うカンバーバッチが魅力的
巻き込まれ戸惑うカンバーバッチが魅力的

ウィンに扮するカンバーバッチの感情を押し殺した演技が秀逸だ。監督のドミニク・クックはかつてBBC制作の歴史ドラマ『ホロウ・クラウン/嘆きの王冠(シーズン2)』(’16~)を監督していて、同作でカンバーバッチはリチャード3世を演じたことがあった。本作の脚本を読んだクックは、それをカンバーバッチに送付。彼が適役であることは、脚本家のトム・オコナーとプロデューサーのベン・ピューも同意の上。即座に目を通したカンバーバッチは脚本を気に入り、自ら製作を兼任するほどの入れ込み様だったという。

無実の人物が収監される"地獄の要塞収容所"その実態は?

2本目は昨シーズンの賞レースにも参戦した『モーリタイアン 黒塗りの記録』だ。9.11同時多発テロから2ヶ月後、西アフリカに位置するイスラム国家、モーリタニア。主人公のモーリタニア人、モハメドゥ・オールド・サラヒ(タハール・ラヒム。多くの映画賞で候補入りも納得の名演)は、ある日突然、アメリカ政府によって同時多発テロの容疑者として誤認逮捕され、そのままキューバにあるグアンタナモ湾収容キャンプに収監される。そこは、2002年にジョージ・W・ブッシュ政権がテロに関与した疑いのある人物を収監するために作った”地獄の要塞収容所”だった。

サラヒvsナンシー@グアンタナモ・キャンプ
サラヒvsナンシー@グアンタナモ・キャンプ

物語は、アメリカ人とアメリカ政府を敵に回しても、サラヒの無実を立証するために立ち上がる弁護士、ナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)と、米軍からサラヒを断罪せよとの指令を受けた海兵隊検事、スチュアート・カウチ(ここでもベネディクト・カンバーバッチ)が、いかにして被告の無実、または有罪を勝ち取るかを、緊迫感溢れるショットを駆使して描いていく。その間に明らかになるのは、グアンタナモで看守がサラヒに対して行っていた性的暴行を含む耳を疑うような拷問の実態や、ナンシーが求めた再三の開示要請に対して、米政府が送り付けてきた機密書類の驚くべき中身、等々。

テロへの激しい憎悪が罪もない人間の尊厳を踏みにじる蛮行と、いまだ続く負の連鎖。映画が伝えようとするテーマは依然リアルだが、バイデン政権がアフガニスタンからの完全撤退を決意した後に公開されるこの日本では、すでに公開済みの諸外国よりも、受け取るメッセージはより複雑で生々しいはずだ。

カウチを演じるカンバーバッチ
カウチを演じるカンバーバッチ

映画の基になっているのは、サラヒが2015年に発表した回顧録”GUANTANAMO DIARY”。アメリカ政府が収容所での拷問の実態を認めるきっかけになった話題の手記は、当初、アメリカ政府の検閲により多くの部分が黒く塗りつぶされていたが、それを乗り越えて発刊される。そして、同書は世界的ベストセラーとなり、人々に衝撃を与えた。

2本ともベネディクト・カンバーバッチが演技と製作で協力

回顧録にいち早く着目し、映画化を熱望したのはベネディクト・カンバーバッチだった。実は劇中で彼が演じるカウチの心理的な変化が、物語に明確な方向性をもたらしている。秋にプッシュしたい2本の実録ドラマは、偶然か否か、どちらもカンバーバッチが表と裏で大きな役割を果たしているのだ。

今や本国イギリスとアメリカの間を頻繁に往復しながら、オールジャンルで活躍する人気俳優のベネディクト・カンバーバッチ。今年のベネチア国際映画祭でジェーン・カンピオンに銀獅子賞(最優秀監督賞)をもたらした『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(11月に劇場公開、12月1日よりNetflixで独占配信)では、1920年代のアメリカ、モンタナ州で暮らす無慈悲な牧場主を演じている彼。今年の秋は9月、10月、11月と立て続けにベネディクト・カンバーバッチを味わう秋になる。

9月のベネチア国際映画祭に妻のソフィー・ハンターと共に現れたカンバーバッチ
9月のベネチア国際映画祭に妻のソフィー・ハンターと共に現れたカンバーバッチ写真:REX/アフロ

『クーリエ:最高機密の運び屋』

9月23日(木・祝)、TOHO シネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

(C) 2020 IRONBARK, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

『モーリタニアン 黒塗りの記録』

10月29日(金)、TOHO シネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

(C) 2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED.

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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