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トップアスリートでブランドの顔。ドキュメンタリー『大坂なおみ』が映し出す2つの顔

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
カラフルなドレッドヘアをたくし上げる大坂なおみ(写真:ロイター/アフロ)

 今週、大坂なおみの姿が明日、開会式を迎える東京オリンピックの会場になる”有明テニスの森公園”でキャッチされた。早くから東京オリンピックへの出場を明言していた彼女は、カラフルなドレッドヘアで気温30度を超えるコート上に現れ、ウィム・フィセッテ・コーチらと談笑しながら、軽いフットワークを披露。近く始まる試合への準備に怠りがないことをメディアに証明した。大坂は今、臨戦態勢にあるのだ。

 去る5月、フレンチオープンで試合後の会見を拒否した結果、ローラン・ギャロスから早々に撤退。アスリートのメンタルヘルス問題を提起した後、続くウィンブルドンもスキップした大坂だが、一方で、メディアに登場する頻度は全くスローダウンしていない。今月11日には、ニューヨークのThe Rooftop at Pier 17で開催されたESPYアワード授賞式に、ルイ・ヴィトンの大胆なトップスとスカートで登場した大坂は、同伴した恋人のコーディに見守られながら、栄えある最優秀女性アスリート賞を授与された。また、有名なスポーツ雑誌”スポーツイラストレイテッド”の水着特集号で、日本人として初めて表紙を飾るという栄誉にも授かる。SNSを使ったファッションフォトの拡散は相変わらずだ。

 そんな風にコート内外で話題には事欠かない大坂なおみに関するドキュメンタリーが、実にタイミングよくNetflixより配信中だ。まず、本作の見どころを簡単に紹介しよう。

黒人差別の被害者の名前を記したマスクでコートに現れた2019年のUSオープン
黒人差別の被害者の名前を記したマスクでコートに現れた2019年のUSオープン写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 2019年の全米オープンで敬愛するセリーナ・ウィリアムズを破って初のグランドスラム制覇を成し遂げた20歳から22歳までの2年間に密着するミニシリーズ『大坂なおみ』は、少女時代から全米で一躍スターになるまでを追った”成功”、テニスプレーヤーとして新たな可能性を見出そうとしていた矢先に、よき相談相手だった元NBAプレーヤー、コービー・ブライアントを不慮の事故で失い、精神的に揺らぐ姿を映し出す”覇者の精神”、そして、彼女なりの方法でBLM運動への意見を表明する”新たな地図”、以上3つのパートで構成されている。

 ここで紹介されるエピソードには、テニスファンは勿論、ニュースで報道されたものが多く含まれているため、正直に言うと大きな発見は少ない。しかし、『タイム』(‘20年)でアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にノミネートされたアフリカ系アメリカ人のギャレット・ブラッドリーは、ところどころでレアな大坂の肉声や無防備な姿を拾うことで、単なるスポーツドキュメントとは一味違う不思議なリアリティを掴み取ることに成功している。

 例えば、L.A.の緑豊かなエリアに時価700万ドルと言われる豪邸を構えてみたものの、だだっ広い家の中で一睡もできず、夜通しスマートフォンをいじって過ごす大坂がいる。ホテルの一室に用意された施術台に横たわり、ケアトレーナーの茂木奈津子氏に体をマッサージしてもらいながら、TVから流れる試合の様子に耳を傾ける大坂がいる。(側にあるソファではコーディが携帯をいじっている) エレン・デジェネレスがホストを務める人気トーク番組の控室では、本番前にヘアドレッサーが大坂のヘアを丹念にブローしている。

 そして、大坂自身のセルフィ画像も挿入される。映し出すのは、敗戦後、彼女が半ば呆然としながら深夜の街を当て所もなく歩く姿だ。そこには『歩くか、寝ないで気を失うか、どっちかしかないのよ』という本人のナレーションが被さる。

 そうして、人々ははっきりと感じ取ることができる。テニスプレーヤーとは、トップアスリートとは、何と優雅で、同時に、何と孤独な存在であるかという皮肉な現実を。まして、20歳でテニス界の頂点に立ち、その位置をキープすることを義務付けられた1少女にとっては。

2018年USオープンの大坂チーム。右端がスチュアート・ダギッド氏
2018年USオープンの大坂チーム。右端がスチュアート・ダギッド氏写真:Shutterstock/アフロ

 しかし、筆者が最も強く感じたのは、大坂なおみが”大坂なおみ”というビッグ・プロジェクト、もしくはブランドの看板だということだ。本作には珍しくプロジェクトのキーパーソンが登場する。大坂が所属するエージェント会社、IMG(インターナショナル・マネージメント・グループ)のテニス部門のシニア・ヴァイス・プレジデント(上級副社長)、スチュアート・ダギッド氏だ。ダギッド氏のミッションは女性アスリートとして史上最高額の年収66億円(約6億円が賞金)といわれるスポンサー収入を維持すること。ナイキ、ルイ・ヴィトン、TAG Heuerを始め世界の名だたるハイブランドから支払われる莫大な契約金である。

 本作では、IMGが2019年の暮れに”NAOMI PARTNER SUMMIT”と題されたランチョンを主催し、そこで新しくチームに加わったフィセッテ・コーチを紹介するシーンがある。招かれたのは世界各国から集まってきたスポンサーの担当者たちだ。その中にはANAや日産自動車の大坂担当と思しき日本人の顔もある。彼らはフレンチオープンで記者会見を拒否した後、大坂が鬱状態にあることを告白して議論を呼んだ際、いち早く大坂支持を表明した。それは、大坂なおみの人としての素直なあり方がスポンサーの賛同を得た結果であり、IMGにとっては多額の損失を免れた瞬間でもあった。

 今や巨大エージェントとして業界では絶大な影響力を持つIMGの前進は、アメリカ、フロリダ州にあるスポーツ・トレーニング施設、IMGアカデミー。創設者は日本からIMGにテニス留学した錦織圭からテニスの才能を引き出したニック・ボロテリー氏だ。錦織少年のテニスを”ショットメーカー”と表現した恩師である。1987年にIMGアカデミーはスポーツ総合マネジメント企業である現IMGに買収され、サッカーやバスケットボール等に裾野を広げ、アスリートの育成とマネージメント業務の両輪で今に至っている。現在、IMGに所属する日本人アスリートは、大坂、錦織をはじめ、松山英樹、浅田真央、紀平梨花、石川佳純、平野歩夢、五十嵐カノアとジャンルは多岐にわたる。

今年の全豪オープンを制して優雅に写真に収まる大坂
今年の全豪オープンを制して優雅に写真に収まる大坂写真:ロイター/アフロ

 話を大坂なおみに戻そう。IMGには多くのアスリートやタレントが属する”IMG MODELS”という部門があり、俳優のガル・ガドットやミラ・ジョボビッチ等と並んで、大坂なおみもモデル部門に登録されている。人気フォトグラファー、アニー・リーボヴィッツが撮り下ろした”VOGUE”のカバーや、全世界で話題沸騰の”Sports Illustrated”の水着特集も、モデルとしての大坂のステイタスの高さを表したものだ。

 2年間、大坂なおみの素顔に密着したドキュメンタリー『大坂なおみ』は、繊細な神経をすり減らして熾烈なテニスの世界で必死に生き抜こうとする人気アスリートの姿と、同時に、スポーツビジネスの夢と現実を図らずも映し出した話題作。そう総括することもできそうだ。因みに、今朝、大坂は8月30日から開幕するUSオープンへのエントリーを発表した。

Netflixドキュメンタリーシリーズ『大坂なおみ』7月16日(金)より全世界独占配信

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。TV、ラジオに映画コメンテーターとして出演。

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