フレディ・マーキュリーが才能と引き換えに神に差し出したものは?「ボヘミアン・ラプソディ」が切ない理由

 去る10月24日、東京のTOHOシネマズ六本木ヒルズに集まった映画ファン、音楽ファン、そして、世代を超えた"クイーン"ファンは熱狂していた。伝説のロックグループの足跡に寄り添ったであろう激しいドラマに惹きつけられ、また、劇場の音量をフルにして客席を振動させる旧ウェンブリー・スタジアムで行われた"ライヴ・エイド"でのパフォーマンスに、ステージと観客の一体感に、心底圧倒されて。終映後、客席から巻き起こった拍手は、恐らく、その場の雰囲気に迎合したものではなく、本当に自然発生的に巻き起こった感情の発露だったと思う。少なくとも、同席した筆者はそう感じた。思えば、クイーンをここまでリアルに体感できたのは、1981年に彼らが音楽を担当した映画「フラッシュ・ゴードン」のプレミア試写会(会場は今は亡きテアトル東京)以来のこと。あの時、フレディ・マーキュリーは体調不良を理由にステージには登壇しなかったのだが。

 今回の映画では、そのフレディに扮したラミ・マレックの役作りをまず評価しなければなるまい。時代を象徴するロックシーンの中でも、特に、放ったヒットナンバーの個性的な世界観と完成度で他の追随を許さない"クイーン"を率いたボーカリスト兼作曲者であり、同時に、そのマッチョで艶めかしいステージ・パフォーマンスが性差を超越してファンの目を釘付けにしたフレディ役は、どう演じようが、批判の目に晒させることは確実だったはず。しかし、マレックは類い希な才能と引き換えに、凡庸ながら居心地のいい幸せを神に差し出した天才の才気と孤独を、特に物語の後半、その細い体から絞り出すように演じて、フレディとは似て非なるルックスから来る違和感をいつしか忘れさせる。けだし名演。よって、早くも一部ファンからオスカー確実の声も上がっている。

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 発売は不可能と言われた代表作"ボヘミアン・ラプソディ"が音楽業界の常識を覆してヒットチャートを駆け上がっていくプロセスの高揚感と、ヒットを受けてよりゴージャスになっていくフレディのパフォーマンスとコスチューム、それに反比例してチーム・バランスを崩していくグループとしての"クイーン"etc。それらはある意味描き尽くされてきた実録業界もののパターンだ。しかし、監督のブライアン・シンガーはフレディのセクシュアリティが彼にもたらす孤独の中身を、シンガーの考察を以て分析、描写することで、この物語に終始途切れぬ切なさを書き加えている。ゲイであることを自覚した時から、恋人、メアリー・オースティンとの関係を断念し、他のメンバーが設ける家庭とは無縁である自分を否応なく自覚し、さらに、メンバーが幾度となく口にする「俺たちはファミリーだ」というフレーズにすら強い違和感を感じ、徐々に彼らと距離を置くようになるフレディの苦悩が、実に生々しく伝わってくるのだ。

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 だからこそ、すべてを振り払って再び決起するクライマックスの"ライヴ・エイド"が期待以上に胸に迫ってくる。クリエイティビティの違いによって解散したり、成功によって培った友情にひびが入るのではなく、世界中のファンが今も愛する"クイーン"は、フレディ・マーキュリーの早すぎる死によって終わりを告げたことを改めて分かった上で観ると、巨大スタジアムを揺るがせる"伝説のチャンピオン"は、"ウィ・ウィル・ロック・ユー"は、そして、怒濤の"ボヘミアン・ラプソディ"は、涙なくしては凝視できない。

 11月2日に全米公開された本作「ボヘミアン・ラプソディ」が、公開1週目で5000万ドルを上回るヒットを記録したことはご存じだろう。それを「予想外」だと市場関係者は診断しているが、果たしてそうだろうか?来る11月9日の日本公開日には、切なさと興奮で一体化するファンで劇場は埋め尽くされる。そんな風に予想している。

『ボヘミアン・ラプソディ』

配給:20世紀フォックス映画

11月9日(金)より、TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて公開

(C) 2018 Twentieth Century Fox