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SKE48・荒井優希プロレス本格参戦の仕掛け人、高木三四郎は「プロレス界の秋元康」

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
東京女子プロレスの高木三四郎社長(写真提供:東京女子プロレス)

 SKE48の荒井優希の参戦で注目度が急上昇している東京女子プロレス。荒井の参戦発表以降はプロレス・マスコミだけではなく、時事通信などの大手一般メディアにも取り上げられ、プロレスファン以外からも注目を浴びている。

 国内業界最大手団体の新日本プロレスでさえ「プロレス村」の外にニュースを届けるのは難しいのに、創設10年目の女子プロレス団体が大きな波を起こしている。

 荒井のプロレス本格参戦を実現させたキーマンであり、東京女子プロレスを運営するのが、CyberFightの代表取締役社長を務める高木三四郎。

 「プロレス界の秋元康」と呼べる天才プロデューサーの高木が手掛ける東京女子プロレスは、アイドルファンの心にも確実に刺さる。荒井優希をきっかけに東京女子プロレスを観戦するファンに伝えたい「アイドルと女子プロレスの共通点」とは?

荒井優希のプロレス参戦は赤井沙希以来の大きな反響

 2012年に団体旗揚げした当初は、「週刊プロレス」などのプロレス専門誌にも扱ってもらえなかった東京女子プロレスだが、「文化系女子プロレス」と言われる独自のカラーを貫き、団体として順調に成長を遂げている。

 その裏には仕掛け人である高木を始めとするスタッフたちの数々の戦略があった。

 「荒井さんの参戦は、かなりの反響があるとは想定していたんですけど、想定を超えていた。弊社はタレントさんのプロレスデビューに関しては、過去にも多くの事例がある。2013年に俳優の赤井英和さんの娘の赤井沙希さんがデビューしたときも、かなりのインパクトがあったのですが、それ以来の大きな反響ですね」

 「浪速のロッキー」と呼ばれた元プロボクサー、赤井英和の娘である赤井沙希は、松嶋菜々子らを輩出した「旭化成グループキャンペーンモデル」などモデル、タレントとして活躍。2011年にはドラマ「マッスルガール!」で現女子プロレスラーを演じていた。

 2013年7月にプロレスラーとしてデビューすると、14年には東京スポーツのプロレス大賞で女子レスラーとして初となる新人王に選ばれ、女子プロレス界を代表する存在へと成長を遂げた。

 赤井はデビュー当初から、男子レスラーとの試合が多い。所属も東京女子プロレスではなくDDTプロレスリングで、5月4日にも男子外国人選手とのタイトルマッチが組まれている。

アイドル出身レスラーの多い東京女子プロレス

 「文化系女子プロレス」と呼ばれる東京女子プロレスは、アイドルグループとのコラボレーションや、プロレス興行の中にアイドルのライブを混ぜるなど、積極的にプロレスという枠の中にアイドルを取り組んできている。

 「最初はそこまでアイドル、アイドルした団体にするつもりはなく、通常の女子プロレス団体の1つとしてスタートしたのですが、アップアップガールズさんとのコラボレーションとか、やっている間にそういう路線になっていきました。あと、東京女子プロレスは『鎖国』を打ち出している団体で、基本的には他の女子プロレス団体とは交わらない。戦力をゼロから作っていくのは難しい部分もあり……(アイドルやタレントからのレスラー転身が多い)。そういったことも、東京女子プロレスでアイドル化が進んだ理由の1つです」

 荒井だけでなく、東京女子プロレスにはアイドルやタレント出身のレスラーが非常に多い。それはアイドルには、『魅せる』という天性の武器を備わっているからだと高木は説明する。

 「女子プロレスラーからスタートする(一般の)子たちは、お客さんに見られ慣れていない。だけどアイドルは、『見られること』に対してレスラーよりも感性が豊かな方が多い。そういうこともあり、アイドルやタレントさんとのプロレスとの取り組みはかなり前から行っている」

 プロレスは純粋に勝ち負けだけを競うスポーツではなく、目の前の相手と戦うと同時に、リングを取り囲むファン、そしてテレビの向こう側のファンとも戦っている。ファンの心を掴めないと、一流のレスラーとしては認められない。これはアイドルにも共通しており、歌やダンスが上手いだけではトップアイドルにはなれない。トップアイドルになるためには表現力が必要不可欠で、この表現力がプロレスラーとしても大きな武器となる。

「大社長」と呼ばれる天才プロモーター高木

 高木はDDTを主戦場とする現役プロレスラーとしての顔を持つ一方で、「東京女子プロレス」、「DDTプロレスリング」、「プロレスリング・ノア」、ドラマ「俺の家の話」にも協力した「ガンバレ☆プロレス」の4団体を傘下に持つCyberFightの代表を務める経営者でもある。

 父親がテレビ局で技術者として働いていたこともあり、幼い頃からクリエイターとしての感性を磨かれ、その独特のセンスで唯一無二のイベントを作り上げてきた。

 その鋭い感性はプロレスの仕掛け人としても発揮され、「本屋プロレス」を始めとする「路上プロレス」など従来のプロレスの型を破った独自のスタイルを築いた。

 秋元康が中央大学の大学生時代から放送作家としての能力を発揮していたように、高木も駒沢大学在学時にサークルのイベンターとして2000人を集めるなど、天才学生プロデューサーとして知られていた。

 「学生としてイベント運営の組織をしていて、男の子よりも女の子の方が活発で団結力もあることが分かりました。女の子だけのサークルとして作った『ギャルサークル』は、大きなヒットとなりましたが、それをプロレス界に持ち込んだのが東京女子プロレスです。DDTという柱があり、その女子版を作りたいとして立ち上がったのが東京女子プロレスでした。女子選手の方が男子よりもプロレスラーとしての感情表現は豊かで、SNSの発信も積極的にします。その辺りに女子プロレスの可能性を感じました。大学時代に培われたものは、プロレスの運営でもいきています」

 天才プロモーター高木がこれまでの経験に、アイドルファンとして培ってきたものをミックスさせた団体が東京女子プロレスなのかもしれない。

高木のアイドルの原点はおニャン子クラブ

 高木が中学生だった1985年にデビューした「おニャン子クラブ」は、高木が初めてはまったアイドルグループ。秋元康がプロデュースしたおニャン子は、普通の女子高校生がトップアイドルになる過程を追える「昭和のAKB48」だった。

 「僕らの世代が意識したアイドルグループは『おニャン子クラブ』ですね。『夕やけニャンニャン』という看板番組があり、そこで活躍していたグループですね」

 高木はプロレスラーになってから、2010年に「TKG48」というおニャン子クラブとAKB48を合体させたようなユニットを作ったことがある。おニャン子と同じくメンバーには会員番号を授けたTKG48には、「ミスター・プロレス」こと天龍源一郎も会員番号17番(おニャン子の17番は演歌歌手に転身した城之内早苗)で名前を連ねていた。

 「TKG48は遊び心から作ったおニャン子クラブのパロディです。名前はAKBさんから借りて、会員番号はおニャン子から付けました。当時は、まさか僕が将来的にAKBさんとお付き合いさせていただき、一緒にお仕事をさせてもらうとは思ってもいませんでした」

 現在、東京女子プロレスのトップの象徴である「プリンセス・オブ・プリンセス」王者の辰巳リカが、2015年に「ケンドー・リリコ」から改名するときにも高木のおニャン子愛が炸裂している。

 「僕らの世代で『リカ』と言えば、『立見里歌さん』か『リカちゃん人形』しかなかったので、立見里歌でいこうと決めました。そこに、藤波辰巳(現、藤波辰爾)さんのドラゴンイズムを加えて、立見ではなく辰巳にしました。これを立見里歌さんがどこかで見てくださり、立見里歌さんが辰巳リカを応援に来てくれました」

 おニャン子では渡辺満里奈(会員番号36番)と国生さゆり(会員番号8番)が好きだった高木は、国生のライバル的な存在だった新田恵利(会員番号4番)を2013年に特別ゲスト的な立場としてDDTの大会に参戦させている。

女子プロレス界に導入したAKB48システム

 1987年におニャン子クラブが解散してからは、しばらくアイドルから離れていた高木だが、2005年に秋元康が結成したAKB48には「篠田麻里子さまがきっかけで興味を抱いた」。

 AKBを有名にした総選挙もプロレス界に取り入れて、2010年から「DDT48総選挙」を開催。2010年と言えば、本家AKBでは第2回選抜総選挙が行われたときである。

 「アイドルが人気投票って、どぎついことしているなぁって思いました。でも面白いと思って、我々DDTでも総選挙をやってみたんです。なかなか好評でした」

 DDT版総選挙はただのお祭りイベントではなく、レスラーの意識を変え、試合の質も上がったと高木はその効果をこう口にする。

 「総選挙のおかげで選手の意識がすごく変わりました。以前よりも体づくりに熱心になり、表現力も豊かになりました。技術も向上して試合のクオリティが上がりました。常にファンがどう受け止めるかを考えて動くようになったんです。ただ練習して強くなるだけがプロレスラーではないと実感できる機会になったと思います」

 フットワークの軽さと頭の柔軟性を備える高木は、良いと感じたものは高木流にアレンジしてすぐにプロレスに取り込んできた。

 「AKBさんは秋葉原の劇場で定期公演をやっているアイドルグループらしいと知り、色々と調べました。斬新だったのはCDセールスに握手券を付けたことですね。この試みがとても当たって、既存のアイドルグループにはなかったもので、これをプロレスに取り入れられないかというところから興味を持ちました」

 東京女子プロレスはアイドルのライブ会場のように豊富なグッズが用意されており、グッズの物販にも力を入れている。ただグッズを売るだけではなく、購入者の名前入りでサインしたり、コロナ禍の今はインターネットサイン会などのイベントも開催したりする。

SNSを有効活用するプロモーション

 いち早くSNSに取り組み、プロモーションツールとして活用した高木は、1997年に旗揚げされ、当時の年商が500万円だった弱小団体のDDTを、3000億円近い売上高を出している一部上場企業の「サイバーエージェント」へ2017年に譲渡。

 大手IT企業であり、Abemaという独自の動画配信サービスを運営しているサイバーエージェント・グループに入ることで、経営基盤がしっかりしただけでなく、プロレス団体が躍進するためには必要不可欠な強力な「メディア」も手に入れた。

 Abemaという大きなメディアがバックについた今でも、SNSによるプロモーションを疎かにすることはない。

 「もともとDDTは後発団体で、発足当時は『FMW』や『W★ING』などのメジャー団体から分かれたり、メジャー団体を離れたレスラーが立ち上げたりした団体がインディー団体の主流で、僕らのようなインディーの中から生まれたインディーはありませんでした。DDTが出来た当初はプロレス業界から黙殺され、『週刊プロレス』などのプロレス専門誌にも取り上げられませんでした。自分たちで情報を発信していくしかなく、当時はホームページにいち早く注目して、そこで情報を発信していくようになり、ブログやツイッターなどネットを使った情報発信に力を入れてきましたが、元は専門誌で取り上げてもらえないから始めたものでした」

超ド・インディーから業界第2のグループへ

 プロレスメディアからも相手にされなかった超ド・インディー団体だったDDTだが、アイデアマンの高木と共に既存のメジャー団体が手を出さなかった路線を歩み続け、業界最大手の「新日本プロレス」と女子プロレスのトップ団体である「スターダム」を傘下に持つ「ブシロードファイト」に次ぐプロレス業界2位のグループへと大躍進を遂げた。

 DDT及び東京女子プロレスのサクセスストーリーは、秋葉原の劇場オープン初日にファンが7人しか集まらないところからスタートして、国民的アイドルグループまで上り詰めたAKB48を彷彿させる。

 どちらも斬新なアイデアで業界に旋風を巻き起こし、誰からも相手にされなかった「色物」が業界をリードする存在へと変貌していった。

アイドル・ヲタにこそ勧めたいプロレスの世界

 48グループがファンを惹き付ける大きな要因の1つに、一般の素人女子がトップアイドルになる過程をリアルタイムで見て、応援できることが挙げられる。選抜総選挙に代表されるように、ファンの応援熱や頑張りが推しているアイドルの成長に大きく関係してくる。

 女子プロレスも同じで、新人レスラーがトップレスラーへ成長する過程を楽しめる。そして、ファンの応援はアイドル以上にレスラーが成長する肥やしとなり、レスラーを成長させるのはファンの存在だ。

 トップアイドルグループ出身の荒井優希が、新人レスラーとしてデビューするこのタイミングは、プロレスの世界に足を踏み入れるのに最適のタイミング。しかも、秋元康に匹敵する天才の高木三四郎がプロデュースするのだから、今後の展開も非常に楽しめること間違いなしだ。

荒井優希、プロレス本格デビュー戦

「YES! WONDERLAND 2021~僕らはまだ夢の途中~」

2021年5月4日(火) 11:30から

【無観客大会配信】インターネットテレビ局『ABEMA』格闘チャンネルで無料生中継

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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