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2011年にNFL転向を考えていたレブロン獲得に名門カウボーイズが動いていた

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
2011年にマイアミ・ヒートでプレーしていたレブロン・ジェームズ(三尾圭撮影)

 身長206センチ、体重113キロの恵まれた肉体を武器にNBA現役ナンバー1選手の地位を手に入れたレブロン・ジェームズ。筋肉の鎧を身に着け、NBAだけでなく、もしもNFL選手になったとしてもリーグ屈指の選手になっていたはずと言われるほどのアスリート能力の持ち主だ。

 高校生の途中まではアメフトもプレーしてワイドレシーバーとして活躍。オハイオ州屈指の選手だったが、夏のバスケットボールの試合中にケガをしたことで、アメフトを諦めてバスケットボール一本に専念した。

 大学アメフトの強豪、オハイオ州立大学のアメフト部が奨学金を提示したほどの実力を持つアメフト選手だった。

筋肉の鎧をまといながらも常人離れした跳躍力を誇るレブロン・ジェームズ(PHOTO BY KIYOSHI MIO)
筋肉の鎧をまといながらも常人離れした跳躍力を誇るレブロン・ジェームズ(PHOTO BY KIYOSHI MIO)

 先週にはロサンゼルス・クリッパーズのドク・リバースHCがレブロンがNFLでプレーすれば、歴代最高のアメフト選手になっていたと発言。

 レブロンがNFLでプレーしたらと夢見るアメフト・ファンも多いが、2011年にNFL転向を真剣に考え、ダラス・カウボーイズが獲得に動いていたとの裏話をレブロンの親友が明かした。

 2010-11年シーズンにクリーブランド・キャバリアーズからマイアミ・ヒートにフリーエージェント(FA)移籍したレブロンは、ヒート生え抜きのドウェイン・ウェイド、トロント・ラプターズからFA移籍してきたクリス・ボッシュと「ビッグ3」を結成。2003年のドラフト1巡目(レブロンは全体1位、ボッシュは全体4位、ウェイドは全体5位)でNBA入りした仲良しトリオはNBAファイナルまで勝ち進んだが、ファイナルではダラス・マーベリックスの前に2勝4敗で敗退した。

2011年NBAファイナルでプレーするヒートのレブロン・ジェームズ(PHOTO BY KIYOSHI MIO)
2011年NBAファイナルでプレーするヒートのレブロン・ジェームズ(PHOTO BY KIYOSHI MIO)

 そのオフにNBAは労使交渉がまとまらずに7月1日からロックアウトに入り、選手たちはチーム施設から締め出されて、練習も満足にできない状態だった。シーズンが開幕するかどうかも分からず、レブロンはNFL挑戦に気持ちが傾き、バスケットボールではなくアメリカンフットボール用のトレーニングに励んでいた。

 シアトル・シーホークスのピート・キャロルHCはNFLの新人最低年俸であれば獲得してもよいとツイッターでレブロンと交渉を始め、レブロンの名前入りのシーホークスのユニフォームを準備した話は2011年当時に報じられたが、シーホークスだけでなくカウボーイズも興味を示していたことが明らかになった。

 5月18日(日本時間19日)に『アンインターラプテッド』のポッドキャストに出演したレブロンは「ロックアウトがどれくらい長引くか分からなかったので、本気でNFL挑戦を考えていた」と振り返り、「40ヤード走の練習をしたり、ベンチプレスの回数を増やしたりした」とアメフト用の練習に取り組んでいたと告白。

 まだアメフトには未練があるようで、「高校最終学年でアメフトをプレーできなかったのが心残りで、今でもアメフトをプレーする夢を見るんだけど、いつもアメフトのフィールドを走れない。夢の中ではロッカールームでアメフトのユニフォームに着替え、フィールドに向かって走り出すんだけど、いつもそこで他の夢に切り替わるか起きてしまう」と夢の中でもアメフトをプレーできないジレンマを打ち明けた。

 レブロンの高校からの親友で、高校時代には一緒にバスケットボールとフットボールをプレーしたマーベリック・カーターは、「ジェリー・ジョーンズから契約書が送られてきた」とNFLの名門球団、ダラス・カウボーイズの名物オーナー、ジェリー・ジョーンズがレブロンに契約書を送った裏話を披露。レブロンと一緒にポッドキャストに出演したカーターは、レブロンのマネージャーも務めている。

 ロックアウトが解除されて、NBAのシーズンは2ヶ月遅れで開幕したために、レブロンはカウボーイズからの契約者にサインして送り返さなかったが、カウボーイズ・ファンのレブロンは今でもその契約書をオフィスに飾っているという。

高校時代のレブロン・ジェームズ。高校途中まではバスケットボールとアメリカンフットボールの両スポーツをプレーしていた(PHOTO BY KIYOSHI MIO)
高校時代のレブロン・ジェームズ。高校途中まではバスケットボールとアメリカンフットボールの両スポーツをプレーしていた(PHOTO BY KIYOSHI MIO)

 2006年シーズンのプレーオフのシーホークス戦。1点差を追うカウボーイズは最終クオーター残り1分19秒の場面でのフィールドゴールのチャンスを得る。なぜかホルダーに出てきたQBのトニー・ロモがボールをファンブルしてカウボーイズが敗れた場面は、今でもNFLプレーオフの時期になると「Destiny(運命)」の表示と共に繰り返し放映される。

 この試合を戦ったカウボーイズとシーホークスの2チームがレブロン獲得に動いたもの「運命」。レブロンがカウボーイズに入団していれば、その後のロモのNFL人生も違ったものになっていたのかもしれない。

NHKのNFLプレーオフ放送宣材で「Destiny」といじられるのが恒例となっているダラス・カウボーイズ時代のトニー・ロモ(PHOTO BY KIYOSHI MIO)
NHKのNFLプレーオフ放送宣材で「Destiny」といじられるのが恒例となっているダラス・カウボーイズ時代のトニー・ロモ(PHOTO BY KIYOSHI MIO)

 

 スポーツに「もしも」は禁句だが、もしも2011年のNBAロックアウトが長引いて、レブロンがNFLに挑戦していたら、レブロンはどのくらい活躍していたのだろうか?

 その答えは誰にも分からないが、NFLが作った「レブロン・ジェームズはアメフトでどれだけ支配できたか?」の動画を観て、自分なりの答えを見つけ出してみてはいかがだろうか。

 レブロンのアメフト挑戦は、マイナーで苦戦してメジャーに上がれなかったマイケル・ジョーダンの野球挑戦よりも成功したことだけは確かだろう。

 

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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