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日本人投手初となるメジャーで一桁背番号を背負う山口俊はトレンドセッターになれるか?

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
山口俊が入団したブルージェイズの本拠地「ロジャース・センター」(三尾圭撮影)

 トロント・ブルージェイズに入団した山口俊の背番号が1になると発表された。山口は日本人投手としては初となるメジャーで一桁背番号を背負うが、日本人に限らずメジャーでは一桁背番号の投手はとても珍しい。

 今のように番号が背中に付けられて「背番号」となったのは1929年のことで、クリーブランド・インディアンズとニューヨーク・ヤンキースの2チームが始めた(それ以前には、袖に番号を付けるチームは存在した)。

 当時の背番号の選び方はレギュラー選手の打順。1番打者が1番を着け、2番打者は2番を着ける……。ヤンキースで3番を打っていたベーブ・ルースの背番号は3で、4番打者のルー・ゲーリックは4番だった。ちなみに9番は控え捕手に与えられる番号で、投手の背番号は二桁番台となった。

 その「伝統」が長年守られ、投手が一桁の番号を着けるのはタブー視されていたので、メジャーでは一桁の背番号を着ける選手はほとんどいなかった。

 メジャーリーグで背番号1を着けた代表的選手と言えば、大半の人がオジー・スミスの名前を挙げる。

 セントルイス・カージナルスで1980年代から90年代にかけて活躍したスミスは、「オズの魔法使い」の異名で呼ばれた守備職人。13年連続でゴールドグラブ賞に輝き、華麗な守備だけでお金を取れるスーパースターだった。

 スミスの影響が大きく、メジャーでの背番号1は遊撃手(もしくは二塁手)が着けるケースが多い。

 トロント・ブルージェイズで背番号1を背負うのは山口が18人目だが、山口より前の17人の内訳を表にしてみた。

山口俊以前にブルージェイズで背番号1を着けた選手。守備位置は背番号1初年度に最も多く守ったポジション(三尾圭作成)
山口俊以前にブルージェイズで背番号1を着けた選手。守備位置は背番号1初年度に最も多く守ったポジション(三尾圭作成)

 ブルージェイズでも二塁手、遊撃手のミドル・インフィールダーが11人と圧倒的に多く、山口は日本人投手として初めて一桁背番号を背負うだけでなく、ブルージェイズの投手として初めて背番号1を着ける選手にもなる。

 ちなみにブルージェイズの背番号1と聞いて、多くのファンの頭にすぐ思い浮かぶのは2000年に西武ライオンズでもプレーしたトニー・フェルナンデス。ゴールドグラブ賞を4回獲得、オールスターにも5度選ばれた名遊撃手はブルージェイズに3回、合計12シーズン所属したが、3度の所属全てで背番号1を着けてプレー。2008年にはカナダ野球殿堂入りも果たした名選手で、ブルージェイズ史上7人しか選ばれていない「レベル・オブ・エクセレンス(準永久欠番に値する球団を代表する名選手)」として本拠地球場「ロジャース・センター」の壁に名前が掲げられている。

ブルージェイズの歴史に名前を残す名選手の証である「レベル・オブ・エクセレンス」にはトニー・フェルナンデスの名前も掲げられている(三尾圭撮影)
ブルージェイズの歴史に名前を残す名選手の証である「レベル・オブ・エクセレンス」にはトニー・フェルナンデスの名前も掲げられている(三尾圭撮影)

 メジャーで投手が一桁番号を背負うケースに話を戻すと、20世紀にはとても珍しいケースで、「火の玉投手」と呼ばれた殿堂入り投手のボブ・フェラーがメジャーでデビューした1936年に1年だけ背番号9を着けたこともあるが、一桁背番号を背負ってマウンドに立つ選手はほとんどいなかった。

 21世紀に入ると、個性が認められる時代となり、一桁背番号の投手が少しずつ現れ始めた。

 2018年にはタンパベイ・レイズの背番号4番、ブレイク・スネルが背番号一桁の投手として初めてオールスターゲームで登板。サイ・ヤング賞にも選ばれたが、これも背番号一桁の投手としては史上初で、エリート投手が一桁背番号を着ける時代がやってきた。

 スネルが「最も好きな数字」と言う背番号4を着けてメジャー・デビューを果たしたのは2016年。2015年にはメジャー全体で3人しかいなかった背番号一桁の投手が、16年には倍増して6人に増えている。

 アメリカ国外の唯一のメジャーリーグ・チームであるトロント・ブルージェイズは、これまでの伝統に囚われずに先発投手が一桁背番号を着けることが多い。

 2003年から07年まで先発ローテーションの一角を担ったジョシュ・タワーズが7番、サイ・ヤング賞投手のダグ・ドレイベックの息子で2010年から14年までブルージェイズで投げたカイル・ドレイベックが4番、2017年のWBC決勝戦ではアメリカ代表として先発のマウンドを任され、大会MVPにも選ばれたマーカス・ストローマンもメジャー・デビューした2014年からニューヨーク・メッツにトレードされる2019年シーズン途中まで6番を着けていた。

1990年にサイ・ヤング賞を獲得したダグ・ドレイベックの息子、カイルは2006年ドラフト1巡目でフィリーズに入団し、09年オフにロイ・ハラディとのトレードでブルージェイズに加入した(三尾圭撮影)
1990年にサイ・ヤング賞を獲得したダグ・ドレイベックの息子、カイルは2006年ドラフト1巡目でフィリーズに入団し、09年オフにロイ・ハラディとのトレードでブルージェイズに加入した(三尾圭撮影)

 2019年のブルージェイズはシーズン途中まで在籍した開幕投手のストローマンが6番、昨秋のプレミア12でアメリカ代表の一員でもあったクレイトン・リチャードが2番を背負い、先発ローテーション投手2人が一桁背番号を着用。ストローマンはシーズン後半にトレードで放出、リチャードもシーズン終盤に解雇されたために、2019年シーズン終了時点ではブルージェイズの投手で一桁背番号はいなくなってしまったが、山口がブルージェイズの『新しい伝統』を受け継いだ。

 山口がメジャーで活躍すれば、一桁背番号を選ぶ投手がますます増えるかもしれない。

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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