二世の重圧について、メジャーリーグの二世選手に聞く。

(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 プロスポーツは実力だけが頼みの世界。プロアスリートだった親の職業を継ぐべく、幼いころから鍛錬しても、必ずしも同じようなプロ選手になれるわけではない。

 父親がメジャーリーガーで、自分も野球をしたいのならば、父親から指導を受けられるし、父の職場であるメジャーリーグの球場で練習することもできる。何よりもプロアスリートの父親からその才能を受け継いでいるという恩恵がある。

 しかし、プロスポーツは他の業種に比べると、できるだけ大勢の人に見てもらうのが商売なだけに、どこへいっても、誰の息子であるかが、すぐに人に知れてしまう。子どもにも「有名税」がのしかかることもある。

 彼らはいかにして周囲からのプレッシャーと闘っているのか。

 今年3月、ブルージェイズのキャバン・ビジオに二世としての重圧について聞いた。

 ビジオの父はクレイグ・ビジオ。アストロズ一筋で1988年から2007年まで20年間プレーし、通算3060安打を記録。野球殿堂入りを果たしている。

 息子キャバン・ビジオは右投げ左打ちの二塁手で、1995年生まれの25歳。2016年にブルージェイズから5巡目で指名され、昨シーズンにメジャーデビューを果たした。

 キャバンはこう言った。

 「子どものとき、高校に入る前くらいまではプレッシャーを感じていた。トーナメント大会に出場したとき、みんな、僕のことを誰か知っている。そして、僕の父が誰なのかを知っている。そういうときには、あれが、ビジオの息子だよ、という声や、ビジオの息子だけど、たいしてうまくないね、という声がよく聞こえてきた」

 リーグ戦とは違い、トーナメント大会ではこれまで対戦したことのない他州のチームとも対戦する。多数の人に「ビジオの息子」であることが知れわたり、「ビジオの息子」として品定めされてきた。

 しかし、成長するに従って、父の名前ではなく、キャバン・ビジオという一人の選手として歩み出せるようになった。

 「小さいときにそういう声に悩んでいたこともあったのだけれど、高校に入ってから、自分が自分の名前を作っていくんだ、ということができるようになった。大学からリクルートされはじめたことで、プレッシャーも軽くなっていった。僕はただ、自分が愛しているゲームをして、僕自身であろうと考えるようになった」

 ブルージェイズは二世選手が多く、ビジオの他にボー・ビシェット(父・ダンテ)、ブラディミール・ゲレロ・ジュニア(父・ブラディミール)、トラビス・ショー(父・ジェフ)らも、実績あるメジャーリーガーの息子だ。

 二世選手であることをチームメートと共有できることの良さはあるのだろうか。キャバン・ビジオはこう言う。

 「父がメジャーリーガーだといっても、一人ひとりの子ども時代の経験は違う。僕の父が引退したのは僕が12歳のときだったから、バットボーイをしたこともあるし、選手のまわりにいることができた。ボーはお父さんが引退したときに4歳だった。でも、お父さんはロッキーズでコーチをしていたので、そのときにボーはお父さんの近くでいろいろ経験しているしね。ブラディも、また、それぞれに経験している。自分たちの経験を共有できるのはいいことだと思う。でも、今は、それぞれに自分たち自身で、お互いにつながっているんだ」

 キャバンは今も父のクレイグとは1週間に一度か2週間に一度のペースで電話をしている。

 「野球の話をしないことはないけど、家族の話とか、生活の話とか。僕にとっては彼は父親で、殿堂入り選手であることはその次でしかない。父はとてもそのことをよくわかってくれていると思う」

 球史に名を刻む活躍をした選手には、一般人が悩むことのない子育ての難しさがあるということは容易に想像できる。特に同性で親と同じスポーツをしているのなら、なおさら難しいだろう。

 祖父、父、自身、弟もメジャーリーガーで、二世監督でもあるレッズのベル監督は筆者にこんな話をしてくれた。

 「祖父も父も、僕たち兄弟から、できるだけ重圧を取り除くようにとても注意してくれていた。僕たち自身が、僕たちの野球を楽しめるようにサポートしてくれていた」。

 クレイグ・ビジオも、息子の背負うプレッシャーが少しでもなくなるように気を配っていただろう。その息子は今、自分はキャバン・ビジオである、という自信にあふれているように見えた。