勉強と運動部、どちらにお金をかけるべきか。

(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 先日、私は米国の公立校では、運動部や文化部の課外活動の指導をする教員に、報酬が支払われていることをレポートした。

 無償のコーチが存在も… 北米の教員にとっても運動部の指導はブラック労働なのか

 米国の全ての教員が課外活動の指導に対して報酬を得ているわけではない。国土も広く、格差のある国でもあり、州や地域によってさまざまな違いはある。それでも、一般的には日本の教育委員会に相当する学校区と教員の労働組合との労使協定により、課外活動の指導は基本給の業務に含めるのかどうかを、各学校区で線引きをしている。そして、業務に含まれないのであれば、課外活動の指導をした場合に報酬をどのくらい支払うかを決めていることが多いようだ。

 米国の運動部はシーズン制で活動期間はおよそ3カ月。その3カ月の指導に対し、5000-6000ドル程度の報酬が相場のようであると伝えた。

 日本では、課外活動の指導が教員の仕事に含まれるのかどうかあいまいなまま。わずかな手当しか支払われない。やりたくないのに「ノー」と言えずに引き受けている教員もいるようだ。忙しい時間をやりくりし、金銭的に報われず、課外活動の指導をしている教員の方からすれば、米国のやり方は悩みの少ない「明朗会計」のように映るかもしれない。

 しかし、米国内にも問題がある。

 公教育の予算は住民が収める税などが主な収入源である。それなのに、授業に割かれる予算の割合に対し、運動部の運営に割かれる予算が多過ぎるという指摘があるのだ。運動部が使っているお金は、課外活動の指導に対して教員に支払う報酬だけではない。用具や設備、試合会場に行くためのスクールバスの使用、審判に支払う審判料などもある。

 少し古いが「コロラドアン」が2013年に報じた内容を紹介する。それによるとコロラド州フォート・コリンズには大規模高が4校ある。その4校では運動部に割かれている予算が、それぞれの学校予算の約10%近くに達している。生徒ひとりあたりにどの程度のお金をつかっているかに換算すると、運動部の生徒ひとりあたりに使われているお金は、数学、英語、科学の授業でひとりあたりの生徒に使われているお金の約2倍近く。フォート・コリンズ市だけが特別なのではないだろう。米国の他の州や他の都市からも、このような報道を時々、目にすることがある。

 「米国はスポーツを教育とみなしているから、しっかり予算を割いている。指導する教員にもお金を支払っている」という説明は聞こえが良い。しかし、そのために、全生徒の利益になる教科学習の予算にしわ寄せがきているのならば、看過できないことだと思う。

 米国の運動部は全生徒が参加するものではない。それどころか、トライアウト(入団テスト)があり、希望しても入部できない生徒もいる。運動が苦手なためにトライアウトではじかれて運動部に入ることができない生徒の保護者も、複数の運動部や文化部で活躍する生徒の保護者も、住民として税金を納めている。同じように税金を納めているのに、運動部に入っていない生徒は、運動部にいくら予算が割かれても、その恩恵を受けることができない。

 低所得世帯が多く、それほど税収を得られていない学校区では、運動部の予算にいくら割くか、教科教育の割合とのバランスをどのようにとるかは、さらにシビアな問題になる。リーマンショックの後には、教科教育の予算を確保するために、アメリカンフットボール部の活動を休止した学校があり、アメリカンフットボール部休止の決定まで、かなりの反対があったという記事も読んだ。

 家計のレベルでいえば、お金の使い方は、その人やその家族の生き方を表していると言われる。学校区の予算は、その学校区が子どもたちにどのような教育をしたいか、何を身に着けて欲しいかを金額で表現するものと言えるかもしれない。

 米国の場合は、教科教育と比較して、運動部にお金が割かれ過ぎているという批判がある。ただし、運動部に予算をいくらつけるのかという議論や攻防は、学校における運動部のあり方という根本を問い直す重要な機会になり得るとは思う。そういった観点から、日本でも、お金の話とともに、学校における運動部の位置や理念を考えてみてもよいのではないか。