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吉本興業6000人、米国マイナーリーガー5000人。椅子取り競争と低収入の類似点と相違点

谷口輝世子スポーツライター
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 吉本興業に所属しているタレントが、会社を通さずに、しかも、反社会的勢力の会合で仕事をしていたことが明るみに出た。報酬を得ていたことも後になってわかり、関わったタレントが引退するとかしないとか、社長の会見がぐだぐだだったとかで、泥沼化している。

 その混乱の勢いを借りて、吉本興業に所属をしている芸人の一部が、会社からほとんど報酬をもらっていないとSNSで投稿すれば、サラリーマンとは違う、売れていない、力がないのだから仕方がないのではないかという意見も出た。

 吉本興業はおおよそ6000人の芸人を抱えているという。米国メジャーリーグ傘下のマイナーリーグには、5000人強のマイナーリーガーがいる。吉本のようにひとつの会社に6000人がいるわけではなく、メジャー30球団の傘下マイナーリーグでプレーするマイナーリーグ選手の総合計が5000人くらいということだ。

 芸能界も米野球界もトップにまで登り詰めることができるのはほんの一握り。オンリーワンの存在、ベスト・オブ・ザ・ベストになれば、一般の労働者には手の届かない収入を手にすることができる。しかし、まだ、何者でもない下積みの芸人やマイナーリーガーは、給与所得者の平均収入よりも安い金額しか得られない。

 現在の規定では、プロになって1年目のマイナーリーガーは月に1100ドル(約11万9500円)が支払われる。米国の最低時給7ドル25セント (約788円)で週40時間労働したという計算を基準にしており、1100ドルという数字になっている。二十歳前後の若者が手にする金額としては悪くはないのかもしれないが、この1100ドルは野球の試合が行われるシーズン中しかもらえない。マイナーのシーズンは5カ月しかない。

 昨年3月には、経営者側に有利な「セーブ・アメリカズ・パスタイム・アクト」という法律が作られた。一言で表すならば、マイナーリーガーが「残業」をしても、その残業分には時給を支払わなくても良いということをクリアにした法律である。野球選手という仕事に「残業」という概念は適していないと判断され、コーチの指示で早出練習をしたり、バスでの移動に時間がかかったり、雨で中断して試合終了が遅くなったりしても、経営者側は1100ドルしか支払わなくて良いということだ。マイナー選手の労働に対する報酬は、活動時間から計算すると、結果的には国の定めた最低時給を下回っていることが多い。けれども、法律違反ではない。

 数年前には、一部のマイナーリーガーが、報酬が国の最低時給を下回っていることを理由に訴訟を起こしていたのだが、「セーブ・アメリカズ・パスタイム・アクト」によって、こういった訴訟を退ける狙いもあったようだ。

 マイナーリーガーは、シーズン中はホームスティやルームシェアで住居費を抑え、オフになるとアルバイトをする。アウエーの試合の日には、25ドルの食事手当が支給される。芸人も兄さんや姐さん、師匠に食事の面倒を見てもらうことがあるようだから、マイナーリーガーも芸人も空腹はしのげるということか。

(メジャーリーグのすぐ下の3Aの選手では、平均して月に1万ドル(約109万円)を稼ぐが、この支払いもシーズン中だけであり、野球選手としての年収は5万ドル(約543万円)で米国人の平均収入額とほぼ同じ程度である)

 最下層のルーキーリーグや1Aから、メジャーリーグにまで上がってくるのは、おおよそ10人に1人か、9人に1人の割合とされている。1人のメジャーリーガーを輩出するために、表現は悪いが、残りの人たちは「使い捨て」になる。それでも、夢を追いかけるためには、マイナーリーグという場所に飛び込むしかない。

 ちなみにマイナーリーグ選手たちは、春のキャンプ、スプリングトレーニング期間は給与が支払われていない。これは、約6週間かけてのトライアウトとみなされていて、お金をもらうためのパフォーマンスではないとされているからだ。この理屈でいえば、吉本興業は、芸人のなかに給与ほぼゼロ円の人がいるが、これはトライアウト、オーディション期間であり、仕事ではないので給与は支払っていないと、言い逃れることもできるかもしれない。(それでも食事手当と経費は会社が負担するべきだろう)

 芸能も、スポーツも、決まった枠を大勢で取り合う椅子取りゲームの業界。能力のない者、不運な者には厳しい世界だ。給与をもらえない芸人も、タダでキャンプ期間を過ごすマイナーリーガーも、金銭面の苦しさは似たようなものかもしれない。

 「セーブ・アメリカズ・パスタイム・アクト」の成立時には、これを批判する報道が米国内でいくつも出た。いかにも経営者寄りだと。それでも、米野球界のように、契約書を作って、法律によって選手の給与を抑えようとするほうが、身内意識の口約束よりは「明朗会計」なのかもしれない。

 けれども、どちらが良いか、マシかを考えるのは、私には難しい。メジャーリーグ機構は、「セーブ・アメリカズ・パスタイム・アクト」の法を成立させるのに、巨額のお金を使ってロビイ活動をしたという。お金をかけて法を作り、マイナーリーガーの報酬を抑えたメジャーリーグ機構のほうが、吉本興業よりもよほどしたたかな怖さを持っているようにも感じる。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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