あまり報道されていない「選手の出場機会増」ー新潟県高校野球連盟の投球数制限ー

(写真:アフロ)

 新潟県高校野球連盟が22日、来年の春季県大会限定で投手の投球数を1試合につき、1人100球までとする投球数制限を導入することを明らかにした。

 22日の朝日新聞は、杵鞭義孝・県高野連専務理事が「県内大会に限るが複数投手の育成、障害予防が狙い」と説明したと報道。地元紙の新潟日報は22日の電子版で「故障予防や選手の出場機会増などが目的」と伝えている。

 その後、各メディアがさまざまな反応について伝えた。選手の肩や肘を守るためには良いことだとする一方で、選手の少ないチームが不利になる、トーナメント方式にはそぐわない、もっと投げたい選手もいるという声がったようだ。そもそも投球数制限だけで、選手の肩や肘を守れるのか、という意見もある。

 目的のひとつである「選手の出場機会増」について詳しく伝えている記事は、インターネットのニュース検索では見つけることができなかった。

 私にとって、選手の出場機会増について考えることは、勝利の価値観を揺さぶられることでもある。

 控えの投手はエースよりも劣ることが多いから、控え投手という立場になる。エースに代えて彼らの登板機会を増やすことは、チームとしては勝利確率が下がることを意味する。投球数制限で投手交代が多くなり、外野手や内野手がマウンドに上がる回数が増えれば、控えの野手の出場機会が増えるかもしれない。これによっても、ベストメンバーと比べて、勝利確率の低下につながるかもしれない。

 「複数投手の育成を迫られる」という表現は、チームを指導する大人の考えを表したものだ。投手交代をしても、勝利確率を維持できるエースと同等の力を持つピッチャーを作らなければいけない。

 けれども、投球数制限規則は、控え投手にとってはうれしいことなのではないか。他のポジションも守りながら2番手、3番手投手でもある選手は、登板機会が増加することについてどのように考えているのか。投球数制限の影響で出場機会が増えるかもしれない控えの野手は、どう考えているのか。

 2004年、米国のJosephson Institute of Ethics Sportsmanship Studyが選手である子どもたちを対象にある調査を行った。控え選手でも勝てるチームでプレーしたいか、よく負けるチームでも、自分が試合に出られるほうがよいのか、と質問した。結果は72%の選手がよく勝利するチームの控え選手になるよりも、負け越しているチームであっても、たくさんプレー機会がある方が良いと答えたそうだ。(私はこの調査結果をデトロイトのユーススポーツ団体の資料で知った。対象が高校生かどうかは不明)

 日本の高校球児の考えが、米国の子どもたちと同じかどうかは分からない。何よりも、米国のスポーツはリーグ戦形式であるが多い。トーナメント方式は負けてしまえば、もう次の試合をすることはできない。次の試合をするためには、勝たなくてはいけないし、勝利確率が上がるようにベストメンバーを使い続けなくてはいけない。そういうジレンマがある。

 投球数制限で出場機会が増えるかもしれない控え選手は、自分が試合に出たらチームが負けてしまうかもしれないから、自分は試合に出ないほうがいいと考えているのだろうか。

 もしも、自分が試合に出たらチームが負けてしまうから、試合に出ないほうが良いと思っている控え選手が多数派ならば、それは、スポーツの楽しさ、野球のおもしろさを十分に味わっていない選手が多いということなのではないか。控え選手たちがそのような考え方をしなければいけない環境があるならば、それこそが、子どもたちの野球離れに結びついているのではないかと懸念する。

 投球数制限規則の導入は、子どもたちの野球離れを防ぐ意図がある。肩やひじの怪我を防ぐ目的だけでなく、出場機会増加によって得られるプレーする喜びも、野球離れに大きく貢献してくれるはずだ。この規則によって勝敗では不利になるチームは、逆に捉えれば、多くの選手が野球を楽しむという点では有利になるのではないか。が、やっぱり、トーナメント方式とは相性が良くないと思ったりもする。