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乳児期からの超英才教育に挫折した選手が、48歳で現役復帰。

谷口輝世子スポーツライター
(写真:アフロ)

 

 9月13日付のニューヨークタイムズ紙電子版のスポーツ面に、赤いアメリカンフットボールのユニホームを着た、顔にしわの刻まれた中年男性の写真が大きく掲載された。

 見出しには「トッド・マリノビッチ、ーフットボール界の訓戒ー48歳で再びプレー」とある。

 トッド・マリノビッチは、米国で子どものスポーツ問題が語られる時に、必ずと言ってよいくらい出てくる人物である。この見出しにもあるように、選手の育成について、親を戒める存在として有名なのだ。

 マリノビッチの父は元プロアメリカンフットボール選手でマーヴ・マリノビッチ。父マーヴは自身の引退後からトレーニング法の研究に励んでおり、生まれてくる自分の子どもを超早期教育することにした。

 父はトッドが乳児の時からアメリカンフットボール選手になるための英才教育をしてきたと言われている。父が決めた食品を食べ、父が決めたトレーニングをしてきた。少年時代には父が選んだ個人コーチから指導を受けた。3歳の時にはトレーニングとして腕立て伏せをしていたというエピソードもある。

 父の筋書き通り、トッド・マリノビッチは南カリフォルニア大のアメリカンフットボール選手になり、NFLのレイダーズからドラフト1位で指名された。

 しかし、成功へのシナリオは思わぬところで頓挫する。マリノビッチは大学時代から麻薬依存症に陥っていた。薬物の問題もあり、NFLではわずか2シーズンしかプレーできなかったのだ。

 

 マリノビッチが壊れていったのは、父親の厳格な英才教育が原因ではないかと言われてきた。米国の子どものスポーツの問題で、彼の名前がしばしば登場するのは、最も有名な超英才教育の“失敗例”とされているだからだ。

 失敗した親と子として名前を挙げられても、マリノビッチの人生は続いている。

 ニューヨークタイムズ紙によると、 ワールド・デベロップメンタル・フットボール・リーグのコヨーテズというチームのQB(クォーターバック)をしているという。華やかなNFLとはかけ離れた条件で、プレーしても報酬は得られないらしい。現在のマリノビッチの主な収入源は、自身のアート作品の販売と講演料だという。

 それでも、マリノビッチは、若い選手たちに混じり、若い選手たちの助けを得て、薬物やアルコールの影響のない状態でプレーしようとしている。実は、過去にもNFL以外のリーグでプレーしたこともあったが、薬物依存を断ち切ることができなかった。本人も周囲も、今度こそ、の思いだろう。

 記事には、父とは仲直りしたが、父はアルツハイマーを患っている、とある。

 完ぺきな選手になるようにと、ミスを許さなかった父。父のことを激怒中毒者と呼んだこともある息子。

 幼少期からの父の厳格な管理と英才教育が息子を薬物依存にしたのか。父のやり方がスーパースターを育て損ね、息子から一人の市民としての生活する力さえ奪ったのか。因果関係は誰にも分からない。ニューヨークタイムズの取材に、息子は「それはちょっとアンフェアだと思う。彼(父親)は自分が持っていた情報で最善のことをしようとしたのだから」と話したそうだ。48歳。父親を許し、受け入れ始めたのかもしれない。

 マリノビッチが今度こそ、薬物から抜け出せるように願う。そして、超英才教育の哀れな末路というレッテルを剥がしてほしい。これから、子どもの英才教育問題で、その名前が挙げられることがあっても、「そして、ようやく立ち直った」という一言が付け加えられるように。

 

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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