「罰走」は体罰か。米国の議論から

(ペイレスイメージズ/アフロ)

 東京都教育委員会は25日、特別支援学校の高等部1年生の男子生徒がバスケットボール部の活動中に熱中症で倒れ、意識不明の重体になったと発表した。1日も早い回復をお祈りする。

 報道によると、顧問教員に罰として科された約10キロのランニング中だったという。都の教育委員会は「過度の負担をかける不適切な指導だった」として体罰を認めたそうだ。

 米国でも、子どものスポーツで、罰として走らせることは、体罰か否かが議論されている。ただし、今回のように、突破するのが困難な目標タイムを設定し、それを切れなかった罰として高温下で10キロのランニングをさせることは論外だろうが。

 私が米国でこの論争を見かけたのは、2012年秋だった。アイオワ州デモインの高校で、アメリカンフットボール部の10年生(日本の高1生)の生徒が、同校の一軍チームの選手に向かって蔑むような発言をしたため、コーチが罰としてランニングを命じた。その後、ランニングを科された生徒側から、罰としてのトレーニングは、学校の定めているいじめや体罰禁止の規則に違反するものだという訴えがあったという。

 罰としてのランニングはいじめや体罰なのか。米国人にも関心のあることだったのだろう。地元紙の報道だけでなく、他の米メディアでも取り上げられた。

 2012年10月8日付けのUSAトゥデー紙はこのように伝えている

 「悪い態度や不出来なパフォーマンスの罰として、特別にランニングさせることはアイオワ州の高校運動部のフィールドから間もなく消えていくことになるだろう。特別に走らせることは、長い間、規則に従わない生徒への罰であったが、アイオワ州のアスレチックディレクター(学校運動部の管理責任者)たちは時代が変わったとしている」。

 同紙を含む複数の米メディアの報道から、規則違反や不出来なパフォーマンスの罰として走らせることは、米国の学校運動部でも日常的に行われていたことが推測できた。チーム内での紅白戦で、負けたチームに罰としてランニングや腕立て伏せをさせるということは、私も何度か見かけたことがある。

 アイオワ州の高校での出来事をきっかけにした米国で起こった議論は、子どもに身体活動を強いることが、体罰に相当するかどうか、ということだ。

 米国は半数以上の州で学校での体罰を禁止している。アイオワ州もそのひとつ。同州の法律では生徒を叩いたり、蹴ったりするだけでなく、故意に痛みや苦痛を引き起こすような身体活動を強いることも禁止している。しかし、例外事項として、「体育の授業や運動部活動で理に適った活動を求めることはできる」ともされている。

 アイオワ州デモイン学校区では調査の末に、暴言に対する罰としてランニングを強いることは体罰にあたると見なした。しかし、州のカリキュラムに沿った体育の授業中に生徒の能力に応じて走るように指示することや、運動部活動でランニングするように指示することそのものは、体罰ではない。

 実際には、生徒の能力に応じて走るように指示することは簡単なことではないかもしれない。もし、苦しさを感じさせてはいけないという理由で、負荷がほとんどかからないスピードで短い距離ばかりを走らせていたら、子どもたちは、体力や走る力を得られない。指導者が、適切な負荷を見極めて、それを指示するというのは難しい。が、やっていかなければいけないことでもある。

 米国では、罰走に代わる指導法に変えていくという流れが出てきている。同時に、ランニングを子どもに指示するとき、どこまでがトレーニングの一環で、どこからが理不尽な身体活動の強要なのか、どのような条件設定ならばトレーニングで、どこからが身体活動の強要なのか、という議論も続いているようだ。