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五輪選手の「お母さん、ありがとう」CMに、ちょっと苦しくなるとき。

谷口輝世子スポーツライター
(写真:アフロ)

 先日、石けん会社のCMが炎上していることをインターネット上で知った。それをきっかけに、以前からあるCMが気になっていたことを思い出した。

 それは、洗剤やおむつなどを製造しているメーカーのもの。オリンピック・パラリンピック期間になると「Thank You, Mom(お母さん、ありがとう)」というメッセージで、アスリートとその母親をサポートするコマーシャル映像を流している。

 米国でこのCMを初めてみたのは2010年のバンクーバー冬季オリンピック・パラリンピックの時だった。それから冬季、夏季のオリンピック・パラリンピックのたびに新バージョンのCMが流れている。米国だけでなく、日本でも、日本のアスリートが「お母さん、ありがとう」と言っているCMが放映されているのを見かけた。

 このCMは7年間「炎上」することなく、感動コマーシャルとして評価されている。五輪出場選手が母親への感謝の意を示すことに反論する人はいない。ただし、洗濯洗剤と母親とを結びつけることは性別役割分担を想起させるものでもあるとはいえるだろうが。

 このCMに大きな非はないのに、私はこれを見るとちょっと苦しくなってしまう。どうやら、母親が子どもを送迎するシーンあたりがひっかかっているらしい。

 私にはスポーツをしている中学生と高校生の子どもがいる。

 米国中西部の郊外暮らしで、公共交通網がほとんどないために、どこへ行くのにも車が必要だ。平日の夕方から夜にかけては2人の練習の送迎に追われる。

 1人を5キロ離れた練習場に送り、もう1人を逆方向に8キロ離れた練習場に送る。練習は2時間ほどで終わるので、今度は迎えに行かなければならない。冬の試合の日には、雪道を1時間、2時間と運転して試合会場へ送る。

 子どもは学校外のスポーツだけでなく、学校での運動部活動にも参加している。登校時はスクールバスを利用しているが、練習終了時にはスクールバスが出ないため、親が迎えに行かなければならない。

 他の親と送迎を協力し合い、送り迎えを順番に担当することもあるが、送迎の負担は小さくない。夕方の渋滞のなか、スポーツの送迎に1時間以上を費やしていることもある。

 そして、米国で子どもが競技志向のスポーツ活動しようと思えば、お金がかかる。学校にも運動部はあるが、シーズン制で、活動内容は試合が中心。学校外で練習をしようとするとお金を払って民間チームへ入ったり、プライベートレッスンを受けたりしなければいけないのだ。少し古いが2012年7月にフォーブス電子版がオリンピアンを育てるのにどのくらいの費用がかかるのかを伝えている。それによると、

 

 体操 トレーニング期間5-8年。 年間およそ1万5000ドル(約164万円)。

 フェンシング トレーニング期間10-15年。 年間およそ2万ドル(約218万円)。

 卓球 トレーニング期間8-12年。 年間およそ2万ドル(約218万円)

 重量挙げ、トレーニング期間10年。 年間およそ5000ドル(約55万円)

 私はこれほどの費用は支払っていないが、時間とお金を何とかひねり出して、子どものスポーツ活動をサポートしている。もしも、私がひとり親で、時間給の仕事を掛け持ちして、生計を立てているとしたら、送迎する時間をやりくりし、年間数十万円も、子どものスポーツにつぎ込めるとは思えない。ちょっと歯車が狂えば、私の子どもたちは競技としてのスポーツを続けられなくなるだろう。

 将来、国を代表できる可能性を持つ選手を見つけ、育てるための方策は多く議論されている。選抜方法は適切か。月齢の若い子どもや晩熟タイプを見逃していないか。しかし、米国にはスタートラインに立つこともできない子どもたちが少なくない。母親が必死になって頑張っても、経済的な事情や時間のやりくりから、子どもに十分なスポーツ活動の機会を与えてやれないことがある。

 

 米国アスペン・プロジェクト・プレイの2015年の調査によると、年収5万ドル(約550万円)以下の世帯では32%が費用を理由に子どもに継続してスポーツ活動をさせるのが難しいと回答。年収が2万5000ドル(約275万円)を下回る世帯では、スポーツチームに参加している子どもは38%にとどまる。

 商品を売るためのCMは、ドキュメンタリー映像ではないのだから、そんな背景を伝える義務など全くない。ただ、お金や時間のやりくりが頭をよぎり、ちょっと視線を外したくなることはある。

 

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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