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サッカーW杯予選ミャンマー戦が延期。クーデターの国軍系企業に代表スポンサーキリンはどう対応したか

木村元彦ジャーナリスト ノンフィクションライター
19年、ロヒンギャ難民キャンプを訪問した長谷部誠選手 日本ユニセフ提供

 日本サッカー殿堂入りしているビルマ人 

 3月25日に予定されていたサッカー日本代表のW杯予選、ミャンマー戦が延期になった。ミャンマー国内で2月1日に起きた軍事クーデターを受けて、ミャンマー協会がAFC(アジアサッカー連盟)に延期を要望し、これが受諾されたものである。ミャンマーと日本サッカーの関係は極めて古い。1920年代ビルマ(当時の国名)がまだイギリス領だった時代に、チョーディンという選手が東京工高校(現在の東工大)に留学生として来日した。理系の学生であったが、サッカーの母国の統治下にあったビルマでのプレー経験者の知見は伝道師のごとく貴重なもので、早稲田学院を筆頭に日本各地の強豪校からコーチを請われた。チョーディンの薫陶を受けた選手の中には、後に1934年の極東選手権大会の日本代表監督となる竹腰重丸や1936年のベルリン五輪の監督となる鈴木重義などがいる。外国人指導者のまさに祖とでもいうべき存在で、1964年の東京五輪、1968年のメキシコ五輪の特別コーチとして西ドイツから「日本サッカーの父」テッドマール・クラマーが、来日を果たす、はるか40年前に礎を作っていた。チョーディンはその大きな功績から、2007年に日本サッカー殿堂入りしている。現在、サッカーにおける日本とミャンマーの実力差は逆転しているとも言えるが、チョーディンの祖国との一戦は、歴史的な観点からも興味をそそられる。

日本代表スポンサーキリンの対応

 代表チームとミャンマーと関係が深く、今回の軍事クーデターに大きな影響を受けた会社がある。キリンホールディングスである。同社は言うまでもなく日本代表のオフィシャルパートナーで、まだサッカーがマイナースポーツだった1978年からスポンサードをしてきた。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimurayukihiko/20210302-00225294/

キリンは日本国内の少子化現象を踏まえ、市場拡大を国外に求めて投資先に選んだのが、ミャンマーだった。軟禁されていたアンサンスーチーが、国会議員になり、軍事政権から「民主化」がなされたとされて、経済制裁が解除される動きの中で、キリンは2015年に企業進出した。ミャンマーブルワリー、マンダレーブルワリーという現地ビール会社の株のそれぞれ51%(当時)を取得して子会社化、以降、ミャンマーエコノミックホールディングス社=MEHPCL社との合弁事業を展開していた。しかし、MEHPCL社が国軍閥の企業であったことから、今回のクーデターで合弁を解消するに至った。2月5日のリリースでは、「ミャンマーにおいて国軍が武力で国家権力を掌握した先般の行動について大変遺憾に思っています。今回の事態は、当社のビジネス規範や人権方針に根底から反するものです」として、クーデターに対する自社の姿勢を表明した上で、「現在の状況に鑑みるに、国軍と取引関係のあるMEHPCLとの合弁事業の提携自体は解消せざるを得ません」と断じている。

実はキリンのこのミャンマーへの投資に関しては、クーデターの前から、国際人権団体のアムネスティインターナショナルより、「キリンのミャンマーの子会社が国軍によるロヒンギャの民族浄化に加担しているのではないか」との指摘を受けていた。ロヒンギャとは「民主化」がなされたとされた後もミャンマー政府による度重なる迫害に遭っていたラカイン州の少数民族で、2017年には国連の調査団が「世界で最も迫害されている」と報告書を上げている。特に同年8月25日から、国軍によって行われたロヒンギャに対する「民族浄化」は熾烈を極め、殺害や拉致、女性に対する集団レイプによって約80万人が隣国バングラディッシュに難民となって逃れている。その内の約半数が子どもである。

 未曽有の弾圧によってもたらされた事態の深刻さは国連の第三委員会が何度もミャンマー政府に対して迫害を止めるように勧告していた。2019年6月には日本代表キャプテンを長く務めた長谷部誠選手も日本ユニセフの協会大使としてこのロヒンギャキャンプを訪問している。(写真)

 ミャンマーでは国軍閥の企業が天然資源などの大きな利権を握っている。それゆえにそれらが埋蔵されている土地に暮らす少数民族を迫害するのである。ラカイン州はインド洋に面しているためにこの地にパイプラインを建設する上でロヒンギャが邪魔になるのだ。

 民族浄化の渦中、アムネスティのレポートでは、2017年9月よりミャンマーブルーワリーより都合3回の寄付がミャンマー国軍と当局に献金が行われていたことが指摘されていた。特に一回目については、国軍の最高指揮官で、今回のクーデターで全権を掌握したミンアウンフライン将軍が寄付を受け取る映像がTV放送されており、将軍もまた自ら「献金の一部はラカイン州の治安維持部隊に渡る」と述べていた、筆者はバングラデイッシュで国軍兵士によって両親を殺された子ども、性的テロリズムに遭った女性のロヒンギャ難民からの悲痛な声をレポートして来た。これ以上、非道な軍隊に寄付が流れてはならない。

キリンホールディングスに対して、アムネスティに指摘されたタイミングから、今日に至るまでどのような調査に至ったのかを、問い合わせた。

ここにキリンからのメールでの回答と電話でのやりとりを時系列でまとめてみる。2018年にアムネスティの指摘を受けてから、即座に調査に動いたということである。

「ミャンマー・ブルワリーの寄付先などを改めて調査しました。明確に軍事目的に寄付された物はなかったのですが、寄付先不明のものもあり完全な状態ではなかったことから、当社としてこのようなご指摘があることに対して真摯に受けとめ、ガバナンス及び人権の取り組みを強化しました」

2018年12月14日にはミャンマー・ブルワリーの寄付先を全て調査の上で公表する。

「一部、どうしても寄付先が把握できなかったことは継続調査の上、改めて寄付金が軍事目的に使用されないよう社内規定を強化しました」

さらにキリンはアムネスティとかなり頻繁に対話を重ねていた。

「ミャンマーでの事業を進める上でのさまざまな責任を、真剣かつ真摯に捉え、財務やガバナンス体制に関する第三者調査が必要と判断し、デロイト社を起用しました」

 デロイト社は国際的なコンサルティング会社である。2020年5月以降は、合弁会社の提携先であるMEHPCLの配当金が軍に流れているとの指摘に対し、MEHPCLに対し情報開示を要請する。半年が経過した11月11日には、合弁事業を取り巻く事業環境の見通しが著しく不透明であることから、ついに配当支払いを停止する。

「2021年1月7日に4月末まで今後の方針を報告することを発表しましたが、その後、ミャンマーでクーデターが発生し、今回の決断に至りました」

4月を待たずして、合弁は解消となった。惜しむらくはクーデター前に英断を下していれば、とも思うが、その調査と対応の軌跡は、自分たちで問題に取り組み、企業として自浄作用を働かせようという気概を感じさせられるものであった。

国軍と距離を取らずに膨大な経済支援をして来た日本外交

 企業の海外進出は当然ながら、外交施策と密接にリンクする。ロヒンギャの迫害については、むしろインテリジェンス活動で情報を多くつかんでいた官=日本外務省の方が冷淡であった。河野太郎外務ℋ大臣(2018年1月当時)も笹川陽平ミャンマー国民和解担当日本政府代表もラカイン州まで視察に飛んで現地の実態や国軍の本質は掴んでいたはずだ。筆者は笹川代表が視察をした後に取材を申し込んだが、「まだ笹川から、お答えする時期ではない」(2019年5月)と日本財団コミュニケーション部から断られたままである。ミャンマー国軍の人道を冒す迫害に抗議する行動として、EU(欧州連合)がミャンマーに対する関税優遇措置を外すことを検討し、アメリカ財務省もミャンマー軍幹部に経済制裁を科す動きが始まった頃、2018年12月にヤンゴンで開かれたセミナーで、駐ミャンマー丸山市郎日本大使は「さらなる活性化ができるよう日本政府はサポートしていくつもりです」と継続支援を約束して喝采を浴びている。同大使は、2019年12月には「ミャンマー国軍はロヒンギャの大量虐殺に関与していない」と発言。さらにはロヒンギャを違法移民という文脈で用いられる「ベンガル人」と言い放った。しかし、国軍は2020年1月に国際司法裁判所(ICJ)にジェノサイド条約違反で提訴され、ロヒンギャ迫害停止を命じられている。今となればどれだけ酷い官製のデマであったかが、理解できよう。なぜ毅然とした対応を取らないのか?この頃の外務省の職員から聞いた理由は、「欧米と一線を画す独自外交」「国軍との対話窓口を残す」というものであった。しかし、軍事クーデターを前に何ができたのか。丸山大使は2月20日にデモ参加者と対話をして「ミャンマーの人々の声を無視しません」と語りかけたとの報が入ったが、この6日前の2月14日に欧米大使が軍事行動に対する攻撃声明を出した時にも日本大使館は後手に回っている。日本は近年約1800億円の経済支援をミャンマー対して行って来た。以前より、ロヒンギャ難民の人々は「日本のODAのお金で国軍は中国製の武器を購入して、我々を撃ってくる」と指摘していたが、現在はその暴力がラカイン州だけではなく全土に渡っている。

チョーディンを悲しませるな

 クーデターが発生以来、多くの市民が拘束され、軍部による実弾攻撃で約60人以上が殺害された。 ミャンマーに渡航した人ならば、かの国の市民がどれほど日本に親愛の情を持っているか、体感しているはずだ。であればこそ、日本外交におもねず、独自にアムネスティの指摘に向き合ってきたキリンの自浄作用と判断は重要であろう。軍事クーデターの引き金は、昨年11月の総選挙結果を受けて引かれた。選挙はスーチー率いるNLDが396議席と圧勝し、国軍系の野党USDPは33議席と惨敗を喫した。これを国軍は不正が行われたと主張したのである。USDPの副大統領ミンスエに非常事態を宣言させ、ミンアウンフライン最高司令官に全権を握らせた。自分たちの民主主義を破壊し、多数の市民を逮捕抑留した国軍にその日本企業の投資が渡っているとなれば、その感情はどう変化するか?想像するに難くない。延期になった代表戦が実現すれば、日本代表の練習着に記されたKIRINの文字が否が応でも目に入る。チョーディンの国の人を悲しませてはいけない。

ジャーナリスト ノンフィクションライター

中央大学卒。代表作にサッカーと民族問題を巧みに織り交ぜたユーゴサッカー三部作。『誇り』、『悪者見参』、『オシムの言葉』。オシムの言葉は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞、40万部のベストセラーとなった。他に『蹴る群れ』、『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず』『橋を架ける者たち』など。

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