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オリンピックから「政治」を取り除けるか 明石康「五輪休戦」の提言

木村元彦ジャーナリスト ノンフィクションライター
FCCJで「五輪休戦」について会見する明石康元国連事務次長。著者撮影

1月29日15時、明石康元国連事務次長が、外国人特派員協会の記者会見の席に姿を現した。日本スポーツ学会が立ち上げた「オリンピック・パラリンピック休戦委員会」による「聖なる休戦」を求める活動の呼びかけ人として、その言葉を発するためである。

五輪を契機とする「聖なる休戦」、その歴史は古い。古代ギリシアで始まったオリンピックであるが、紀元前8世紀にすでにエケケイリア(手をつなぐ)という名の平和提案として制定されており、競技大会と前後7日間の移動期間においては都市国家間での争いがほとんど停止されたという。現代五輪においてもその動きは止まってはいない。IOTF(国際オリンピック休戦財団)の存在をご存じだろうか。IOC(国際オリンピック委員会)が2000年に設けたもので、各国の外交官や有識者が参加しており、「オリンピック精神の下で平和を促進させる」という理念で活動を続けている。

国連もまた事務総長のコフィ・アナンが「寛容、平等、公正、平和のオリンピック理念は国連の理念と共通する」と語っており、積極的な取り組みをしている。国連総会においては1993年から2年に一度、夏と冬それぞれの五輪開催の前年に休戦決議が採択されてきた。毎回、満場一致の採択である。

しかしながら、残念なことにこの決議も実際は形骸化しているのが現状である。2008年の北京五輪の開期中にはグルジア(現ジョージア)からの独立を宣言する南オセチア自治州にグルジア軍が侵攻、更にはそこにロシアが介入、親ロシアのアブハジア軍もこれに参戦するという事態が勃発している。グルジア軍は式典への出席でロシア政府の要人の動きが手薄になる北京五輪の開幕式をあえて狙ったとまで言われている。筆者は2016年にアブハジアを取材したが、戦禍の爪痕は生々しく、廃墟となった家屋から戦闘の凄まじさを感ぜずにはいられなかった。

これらの動きを踏まえ、「オリンピック・パラリンピック休戦委員会」は2020年東京大会を前に日本の市民の側から休戦の動きを作っていこうと立ち上がったものである。まずは五輪・パラリンピック期間中には一切の戦いを止めようと全世界に休戦を求める署名運動を展開し、集めたものをIOC、平昌の五輪組織委員会、そして国連に持って行く。

かつて紛争の激しかったカンボジア、ボスニア、スリランカで和平構築のために奔走した明石はこの運動に賛同し、呼びかけ人に名を連ねたのである。激烈な戦闘地域のリアルを知る明石は、五輪休戦について理想と現実を往還させながらその意義を説いた。

「もちろんすぐにでも恒久的な平和がくればベストですが、それができなければせめてスポーツ大会の期間は戦争を止めよう。そして交流を重ねる。そういうことを重ねていけば、憎悪の次に友好が生じる。やがて闘うことは馬鹿げている、無駄だ、やめようという認識が深まる期待感があります。ここにはヒューマニズムが有ります。しかし、ヒューマニズムは不可欠ですが、それだけでは現実の平和を築くことはできません」

 1990年代、国連事務総長特別代表として特にボスニアでは凄惨極まる「民族浄化」を現実として受け止め、いくつかの平和調停を成立させてきた明石であればこそ、ただのお題目のみで停戦がなされるはずがないことを熟知する。明石はその上で言葉を足した。

「五輪休戦財団も五輪休戦に関する総会決議を一年おきにほとんど反対無しに採択してきている。かれらは現実に目をつぶっているわけではなく、祈りと期待を込めてやっている。五輪休戦の限界を申し上げましたが、そういう努力がまったく無駄かと言うとそうではないのです。長野冬季五輪(1998年)のときは、米軍はイラクでの空爆をしていたのですが、国連の事務総長の要請に従ってある時期、攻撃を見合わせたのです。そういう効果を示すことができたのです。失望するのは当然ですが、絶望してはいけないのです」明石自身が幾度も失望をしながら、孤立を恐れずに希望を見出してきたと言えよう。

ボスニアの和平調停においては紛争当時、「セルビア悪玉論」を流布するCNNや政治家を筆頭にアメリカは明石に対して「指導力不足」というバッシングを繰り返していた。アメリカ空軍による軍事力がボスニア和平を実現させたかのような論調が強められていた。しかし、アメリカが主導で行った1995年のデイトン和平合意(ボスニアを民族ごとに分割)はすでに大きな破綻を見せている。分断が固定化されたことで対話が無くなり、民族融和が一層遠のいたのである。対して明石の態度と決断が国連の平和原則に則り、いかに公正であったかが立証されてきている。ICTY(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)に送られた戦犯の弁護側からも検事側からも証言に来てくれという要請が送られてきた。クロチアの将軍であったゴトヴィナからもセルビアのムラジッチ将軍からも。どの民族においても公正に接していたことの証左である。明石は2015年11月にはついにムラジッチの裁判の証言台に立っている。(そこに至るまでの半生の詳細は拙著「独裁者との交渉術」でお読み下さい)

そして今、スポーツ界に向けての提言である。

現在のオリンピックの有り方はどのように外交や政治に影響しているか?という記者からの質問については「現実的にオリンピックのホストはもはや小さな国はできません。貧しい国よりも豊かな国がホストになるという状況があります。そしてホスト国の組織委員会がどれだけ政治の影響を排除しようとしてもなかなかできません。各国の経済状況が要因となっています。商業主義の問題もあります。今回の日本(2020年東京大会)の場合は、非常に暑い時期に開催することになってしまった。それというのもIOCがある大きな国のスポンサーからの要請について屈せざるを得なかった」前回1964年の東京大会はまさにスポーツの秋である10月10日に開幕したのに対し、2020年は7月24日が開会式である。そこには当然放映権などの絡みがある。問題を指摘し、最後にこんな提言をした。

「私たちはオリンピックに限らずスポーツイベントから政治を取り除く、国境を取り除く、そういう努力をしていかなくてはならないのではないでしょうか。4年に一度に大規模なものを作るだけではなく、できるだけ小さな大会を作り、分配していく。そうなるとスポンサーや大国は気にいらないかもしれませんが、若い人の相互交流を図ることはより活発になる。小さな世界での草の根交流のように」

五輪休戦の呼びかけ人は他にも猪谷千春IOC名誉委員、山下泰裕東海大学長、竹田恒和JOC会長、プロバスケの田臥勇太選手などスポーツ界のジャンルを超えて集っている。署名活動は2020年まで継続される。

ジャーナリスト ノンフィクションライター

中央大学卒。代表作にサッカーと民族問題を巧みに織り交ぜたユーゴサッカー三部作。『誇り』、『悪者見参』、『オシムの言葉』。オシムの言葉は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞、40万部のベストセラーとなった。他に『蹴る群れ』、『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず』『橋を架ける者たち』など。

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