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ロシア軍のヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長がウクライナ東部の最前線で負傷か

木村正人在英国際ジャーナリスト
ロシアのヴァレリー・ゲラシモフ軍参謀総長(左)とセルゲイ・ショイグ国防相(写真:ロイター/アフロ)

■「ゲラシモフは右足に榴散弾による傷を負った」

[ロンドン発]暗号化メッセージアプリ「テレグラム」の内部告発チャンネル「対外情報局(SVR)の将軍」が2日「ロシア軍のヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長がウクライナの領土で負傷した。ゲラシモフ氏は骨折することなく、右足の上3分の1に榴散弾による傷を負った。破片は取り除かれ、命の別条はない」と伝えた。真偽の程は定かではない。

英大衆紙デーリー・メールやウクライナの英字紙キーウ・ポストもゲラシモフ氏の負傷を一斉に報じた。ゲラシモフ氏は4月29日にモスクワからウクライナ東部への要衝イジューム近くの司令部に移動し、東部ドンバス重工業地帯の一中心地クラマトルスクの占領やウクライナ軍を包囲するための東部戦線の大規模攻撃を指揮していたとされる。

キーウ・ポスト紙によると、ウクライナ軍はゲラシモフ氏の負傷を確認しなかった。米紙ニューヨーク・タイムズも1日、ウクライナ政府や米政府高官の話としてゲラシモフ氏が苦戦するロシア軍の攻勢を立て直すため、ウクライナ東部の危険な前線基地を視察したと報じている。

ウクライナ軍は4月30日夜にイジュームにあるロシア軍の前線司令部を攻撃したが、ゲラシモフ氏はすでにロシアに向けて出発したあとだった。この攻撃で将軍1人を含む約200人の兵士が殺害された。関係者の1人はニューヨーク・タイムズ紙に「ゲラシモフ氏がそこにいたのはロシア軍がすべての問題を解決していないという認識があるからだ」と話している。

■軍トップが前線に入るのは極めて異例

「SVRの将軍」は2020年9月に開設され、主宰者は海外で暮らすSVRの退役将官「ビクトール・ミハイロビッチ」と言われる。信頼できる政府筋を情報源にしているという触れ込みで、登録読者は27万9千人に達した。関係者とみられる人物が露当局に摘発されたあとも内部告発は続けられている。しかし告発内容が100%正しいかどうか真相は闇の中だ。

ウラジーミル・プーチン露大統領は所期目標だった首都キーウ(キエフ)攻略をあきらめ、チェチェン紛争やシリア軍事介入を指揮し「シリアの虐殺者」と恐れられるロシア軍南部軍管区トップ、アレクサンドル・ドボルニコフ上級大将を総司令官に任命、東・南部の戦線に兵力を集中させた。しかし兵站や大隊戦術群(BTG)間の連携問題は解消されていない。

ゲラシモフ氏はプーチン氏、セルゲイ・ショイグ国防相とともにウクライナ侵攻を主導した中心人物の1人。ショイグ氏はウクライナ侵攻が上手く行かなかったことからプーチン氏に冷遇されている。ゲラシモフ氏のような軍トップが前線に入るのは極めて異例。ウクライナ軍の情報ではイジュームで指揮を執っていたアンドレイ・シモノフ少将が戦死したとされる。

今回はゲラシモフ氏を狙った攻撃ではなかったようだが、ウクライナ侵攻後、ロシア軍の将官が次々と命を落としている。シモノフ少将の戦死が確認されればこれで9人目である。

【これまでに戦死したロシア軍の将官】

チェチェン特殊部隊のリーダー、マゴメド・トゥシャエフ少将( 2月26日)

中央軍管区第41統合軍副司令官、アンドレイ・スホベツキー少将(3月1日)

第41軍第一副司令官、ヴィタリー・ゲラシモフ少将(3月8日)

第29連合軍陸軍司令官、アンドレイ・コレスニコフ少将( 3月11日)

オレグ・ミチャエフ少将(3月15日)

アンドレイ・モルドヴィチェフ中将(3月18日)

第49連合軍司令官、ヤコフ・レザンツェフ中将(3月25日)

南部軍管区第8警備軍副司令官、ウラジーミル・フロロフ少将

■将官殺害には高いインテリジェンスが求められる

第二次大戦中の1943年4月、前線を視察中の連合艦隊司令長官、山本五十六海軍大将を乗せた攻撃機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され、山本大将が戦死する「海軍甲事件」が起きた。米軍は山本大将の前線視察の情報や計画を正確につかんでいた。将官を殺害するには高いインテリジェンスが欠かせない。

アメリカはベトナム戦争で9人の将官を失ったが、数週間ではなく、期間は20年以上にわたっており、そのほとんどはヘリコプターが撃墜された際の死亡だという。大きな部隊を指揮する将官は通常、前線から遠く離れた大本営にいることが多い。しかしキーウ、北東部戦線で苦戦を強いられたロシア軍の将官は前線に出ることが求められている。

英シンクタンク、王立防衛安全保障研究所(RUSI)によると、ロシア軍にも暗号化無線機があるが、腐敗が原因で現場に十分な装備が行き届いていない。このため前線で暗号化されていない無線機や普通の携帯電話に頼らざるを得ない。シギント(電子情報)を得意とする米英の情報機関は将官の位置をリアルタイムで正確につかみ、ウクライナ軍に流している。

ロシア軍の下級職業軍人の平均月収は480ドルで、主体性がない。ウクライナ軍はその3倍の給与を受け取っているとされる。ロシア軍の将官は士気の低い下級兵士の尻を叩きに前線に出たところを、米CIA(中央情報局)の退役軍人に訓練を受けた優秀なウクライナ軍のスナイパーに狙い撃ちされているとみられている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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