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プーチン露大統領を止められないバイデン米大統領 よみがえる1938年ミュンヘン会談の悪夢

木村正人在英国際ジャーナリスト
昨年6月の米露首脳会談後、記者会見するプーチン大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

[ロンドン発]ジョー・バイデン氏が米大統領に就任して1年が経過した。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は10万人以上のロシア軍をウクライナ国境に展開し独立国家の主権を脅かす。バイデン氏は今、1938年9月、チェコスロバキアのズデーテン地方がドイツに割譲されたミュンヘン会談のネヴィル・チェンバレン英首相と同じ状況に立たされている。

ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは同年3月、ドイツ軍をオーストリア国内に進駐させ、国民投票で併合を実現。さらにドイツ人住民が多いズデーテン地方の割譲を迫ったため、英仏独伊首脳はミュンヘン会談を開いた。「これが最後の領土的要求だ」というヒトラーに対し、宥和政策をとるチェンバレンは「平和のため」割譲を受け入れる。

対独戦争を恐れるチェンバレンの弱腰がヒトラーを強気にさせ、領土的野心の炎に油を注いだという批判と、39年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻するまで軍備を整える時間を稼いだという2つの見方がある。しかし今、外交と経済制裁に頼むバイデン氏が対ウクライナ全面戦争を準備するプーチン氏を少しでも止められる可能性は皆無に近い。

米国務長官「外交や対話の道がまだ残されているかどうかを試す」

21日、スイスのジュネーブでロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と会談したアントニー・ブリンケン米国務長官は「ロシアがウクライナ侵攻を決めた場合、われわれは同盟国、パートナー、ウクライナと一致団結して迅速かつ厳しい対応をとる。外交や対話の道がまだ残されているかどうかを試せることを望んでいる」とこれまでの立場を繰り返した。

ラブロフ氏は「アメリカは来週、ウクライナに関するロシアの要求に文書で回答する」と語った。しかしロシア側は、冷戦終結後、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した旧共産圏諸国からNATOがすべての軍を撤退させることを求めている。米欧には到底、受け入れられる内容ではない。ロシアは最初から交渉決裂を望んでいるように見える。

バイデン氏は19日、就任1年に合わせた記者会見で「ロシアが侵攻した場合、責任を問われる。 それはロシアが何をするかによる。小規模な侵攻だと何をすべきか、すべきでないかわれわれの対応は割れる」と発言。小規模な侵攻ならNATO加盟国の対応がそろわない恐れがあることを認めたかたちとなり、ブリンケン氏らは懸念払拭に追われた。

バイデン氏とプーチン氏の首脳会談が改めて持たれる可能性も残されるが、バイデン氏が事態を打開するのは困難だ。プーチン氏はウクライナに対して軍事で圧倒的優位に立ち、経済制裁に耐えられる態勢を整えているからだ。ウクライナ軍は25億ドルもの支援を米欧から受け、軍備を増強してきたものの、ロシア軍の前では無力だ。

なぜウクライナ軍は無力なのか

英シンクタンク、王立防衛安全保障研究所(RUSI)のサム・クラニー=エバンズ研究アナリストは自らの論考で「米英は2014年に紛争が始まって以来、ウクライナに軍事支援を行ってきた。装甲兵員輸送車AT105サクソンや軍用車両ハンヴィーのほか、対戦車誘導ミサイル、ジャベリンや今回、英からの次世代対戦車ミサイルの供与が含まれる」と指摘する。

「ウクライナが輸入したシステムにはポーランドの超小型無人航空機や、トルコの中高度長時間滞空型無人戦闘航空機バイラクタル12機などがある。リトアニアやエストニアは近距離防空ミサイルのジャベリンやスティンガーといった防空ミサイルシステムをウクライナに移転することを許可された」

「ウクライナ国内の国防産業は装甲戦闘車、無線機、個人用武器の近代化に取り組んでいる。全体的に見てウクライナへの支援は強力で期待されていると言える。しかし、このような努力もロシアの通常戦力による攻撃に抵抗するウクライナ軍の能力を大きく変えるものではないだろう」とクラニー=エバンズ氏は分析する。

バイデン氏はプーチン氏に(1)ウクライナのNATO加盟はあり得ない(2)ウクライナに長距離の「戦略兵器」は供与しない――という2つの保証を与えている。米英から供与されたのはつまり接触型の戦闘を想定した「戦術兵器」なのだ。ウクライナ軍はロシア軍の小規模な侵攻を退けることはできても、それを上回る侵攻には対応できない。

プーチン氏の狙いを読み誤った米欧

だからこそプーチン氏は10万人以上のロシア軍をウクライナの北、東、南に展開しているのだ。ウクライナ軍の兵力は東の前方に集中しているため、ロシア軍が多方面から侵攻すれば簡単に分断され、包囲されてしまう。米欧は、プーチン氏の狙いはウクライナ東部の親露派勢力の支配地域を既成事実化することだと思い込む過ちを犯してしまった。

「ロシアの軍事思想における非接触型戦争とは重要な目標に対して巡航ミサイル、クラブのような精密兵器を使用することを意味すると考えられている」とクラニー=エバンズ氏は解説する。「その目的は必要最小限の力で地上軍を展開する必要性を削減することだ」。サイバー戦争や電子戦争、情報戦で敵中枢を混乱させ、長距離から集中砲火を浴びせる。

「短距離ミサイルを供与しても、ウクライナがロシアを抑止する可能性を高めるものではなく、また、ロシアの侵攻が始まった場合に防御することもできない」という。米欧はいまだにプーチン氏の真の狙いを読みあぐねている。手札の多いプーチン氏に対して武力行使をためらう米欧の対抗手段は限られている。

バイデン氏の弱腰を見てプーチン氏がますます強気になれば、1938年のミュンヘン会談と同じように戦争の歴史が繰り返される恐れが膨らむ。世界はいま非常に危険な状況に直面している。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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