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会見拒否、大会棄権の大坂なおみ選手が訴えた「アスリートのメンタルヘルス」問題

木村正人在英国際ジャーナリスト
全米オープンを棄権した大坂選手(写真:ロイター/アフロ)

[ロンドン発]テニスの女子世界ランキング2位の大坂なおみ選手(23)が5月31日、テニスの全仏オープンの棄権を表明しました。大坂選手はツイッターで初のグランドスラム・タイトルを獲得した2018年の全米オープン以来「長いうつに苦しんできて、それに対応するのに本当に苦労した」と打ち明けました。

「決してメンタルヘルスの問題を軽く扱うわけではない。私は人前で話すのが苦手で、世界中のメディアに対して話す時に大きな不安の波に襲われる。少しの間、コートから離れる」と説明しています。

大坂選手は大会前の26日「スポーツ選手へのメンタルヘルスへの配慮が十分ではない」として試合後の記者会見には出ないとツイートで宣言。大会主催者に「会見しろ。さもなくば罰金だ」という方針の変更を促すのが狙いでした。

30日の初戦でパトリシア・マリア・ツィグ選手(ルーマニア)をストレートで下した後、コート上で勝者インタビューに応じたものの記者会見はスキップしたため、1万5000ドル(約164万円)の罰金が科されました。グランドスラム4大大会の主催者は大坂選手が会見ボイコットを続けるなら「より多額の罰金や出場停止」の処分を受けると通告しました。

主催者側は「選手のメンタルヘルスはグランドスラムにとって最も重要だ。われわれは選手の福利厚生を支えるリソースを持っている。規則が定めるのは試合の結果がどうであれ、メディアと関わる選手の責任、スポーツ、ファン、自分自身のために選手が負う責任だ」と説明しました。

これに対して大坂選手は30日「怒りとは理解の不足。変化は人を居心地悪くさせる」とツイートしていました。筆者は4年間にわたってグランドスラム4大大会の一つ、ウィンブルドン選手権を取材し、毎日何回も試合後の記者会見に出ていました。選手が記者会見でプレーについていろいろ説明してくれなければ読者に読んでもらえる原稿は書けません。

トップレベルの選手はほとんどと言っていいほどミスをしないので、記者会見は囲碁や将棋の感想戦と同じようになります。記者はみんな自分でスコアシートをつけ自分なりのポイントを頭の中に描いています。それを記者会見で当事者の選手にぶつけて内面を引き出し、自分なりのストーリーを肉付けしていきます。

記者は選手や試合を長い間ウォッチしてきた職人揃いで、素人ではありません。

今どきの選手にとっては自分の思う通りに書いてくれない記者を通すより、ソーシャルメディアで直に発信した方がいいと考えるのは自然な流れでしょう。「大坂なおみのことを知りたければソーシャルメディアをフォローして」というわけです。デジタル化はどんどん中抜きを加速させ、マスコミという媒体価値を著しく下げてしまいました。

ウィンブルドンでは選手もマスコミもテニス以外のことをしても聞いてもいけないという不文律がありました。しかし大坂選手は他の大会で、白人警官による黒人暴行死事件に端を発した人種差別撤廃運動「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」で試合をいったん棄権したり、黒人犠牲者の名前が書かれたマスクを着用したりしてキャンペーンに成功しました。

今回は自分のうつをカミングアウトして、アスリートのメンタルヘルスにスポットライトを当てました。女子プロレスラーの木村花さんがリアリティー番組に出演中に視聴者の誹謗中傷を浴びせられ、自殺したことからも分かるようにアスリートのメンタルヘルスは大坂選手が指摘している通り、大きな問題です。

テニスの試合では選手に観客席からヤジが飛ぶこともなく、メディアの報道も上品で選手へのリスペクトが感じられます。しかしサッカーの試合では容赦のない罵詈雑言が浴びせられます。2015年に国際プロサッカー選手会(FIFPRO)が行ったアンケート(826人が回答)では現役選手の38%、引退した選手の38%がうつや不安に苦しんでいると回答しました。

FIFPROは専門家の助けを借りてメンタルヘルスの理解を深める教育的アニメや選手に症状やストレスについて啓蒙する資料も用意しています。拒食症と戦う現役選手やアルコール中毒になった元選手らに対するビデオインタビューも作りました。

英イングランドサッカー協会(FA)はソーシャルメディア企業に対して攻撃的な投稿のフィルタリング、ブロック、迅速な削除、再登録防止、法執行機関が発信者を特定して起訴するための積極的な支援を求めて4日間にわたってソーシャルメディアを一時的にボイコットしました。

2009年11月、ドイツ代表ゴールキーパーとして活躍したロベルト・エンケ選手(当時32歳)が鉄道自殺しました。エンケ選手は悪戦苦闘していたFCバルセロナ時代にうつに苦しんでいましたが、移籍してプレッシャーから解放され、状態は一時改善します。しかし2歳の娘が亡くなった時にうつ病に再び苦しめられるようになりました。

ドイツナンバー1のGKであったとしてもごく普通の人間と同じようにうつになってしまうのです。スポーツ選手は完璧な心技体を兼ね備えたスーパーヒーローではありません。驚くほど多くのアスリートがうつを認めています。激しいポジション争い、勝ち負け、完璧主義、オーバートレーニング、コーチのいじめ、負傷、引退、家族の問題とうつになる原因はいくつもあります。

大坂選手もメンタルヘルスの治療を受け、1日も早く試合に復帰してほしいです。これで会見拒否が前例になるとテニス記者だけでなく、試合を放送するテレビ局も非常に困ったことになります。大会主催者は大坂選手と話し合い、今後、選手に対するメンタルヘルスの取り組みについて改めて検討することが求められています。

(おわり)

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在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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