ロンドンの実質生活賃金1654円 東京の最低賃金の1.6倍「全国平均1千円目指す」菅首相のジレンマ

最低賃金の引き上げを求める市民(2018年10月、東京・渋谷)(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

英、全国一律の法定生活賃金は1359円

[ロンドン発]英政府は4月1日から、23歳以上の法定生活賃金を時給8.91ポンド(約1359円)に引き上げました。恩恵を被るのは約200万人とみられていますが、コロナ危機で一時休業中の労働者は除外されました。

生活賃金とは、使用者が法律に基づき労働者に対して最低限支払わなければならない最低賃金と異なり、労働者が最低限の生活を維持するために必要な生計費から算定した生活者ベースの賃金です。

ボリス・ジョンソン英首相は「全国一律の最低賃金と生活賃金は導入されてから毎年引き上げられている。次世代が取り残されないよう生活賃金の対象を今回、25歳以上から23歳以上に引き下げた」と話しました。

ジョンソン政権はこのほかにもコロナ緊急経済対策として低所得者層への支援策を打ち出しています。

・11年連続で燃料税を凍結。自動車運転手は平均して1回給油するごとに12.84ポンド(約1958円)安くなる。アルコール税の凍結で飲酒者は17億ポンド(約2592億円)節約できる。

・パンデミックの期間中、祖父母や他のケアラーも育児を提供できるようサポート。働く親は子供の世話をする必要がある場合、一時休業になる恐れがあるため、一時休業になった女性が出産手当を失わずに済むよう対応した。

・パンデミックで収入が基準額を下回っても3カ月ごとに最大500ポンド(約7万6200円)の育児手当を引き続き受けられる。

・いわゆる「タンポン税」を終了。平均して20個のタンポンで0.07ポンド(約11円)、12枚のナプキンで0.05ポンド(約8円)節約できる。

リシ・スナク英財務相は「昨年は企業や家族にとって非常に困難であった。生活賃金や最低賃金の引き上げは着実に経済を再開し、より多くの労働者を職場に復帰させる。付加価値税(VAT)引き下げ、法人向け地方税の軽減、影響を受けたセクターへの現金交付でより多くの雇用を創出する」と強調しました。

英では7千社が国の生活賃金を上回る民間「生活賃金」導入

イギリスの法定生活賃金・最低賃金を見ておきましょう。

【生活賃金】

23歳以上は時給8.72ポンドから8.91ポンドに

【最低賃金】

21~22歳は時給8.2ポンドから8.36ポンド(約1275円)に

18~20歳は時給6.45ポンドから6.56ポンド(約1000円)に

18歳未満は4.55ポンドから4.62ポンド(約704円)に

実習生は時給4.15ポンドから4.3ポンド(約656円)に

筆者作成
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イギリスの7千社以上が導入している英民間団体「生活賃金財団」の「実質生活賃金」はロンドンで10.85ポンド(約1654円)、それ以外では9.5ポンド(約1448円)で、英政府の法定生活賃金とはまだ大きな開きがあります。

「生活賃金財団」によると、国の法定生活賃金が導入されて5年間でフルタイム労働者は実質生活賃金に比べロンドンで2万1800ポンド(約332万3900円)、それ以外では8400ポンド(約128万750円)も収入が少なくなっていました。

他の先進国に比べ、随分低い日本の最低賃金

日本の最低賃金は全国加重平均で時給902円、東京はようやく1千円を超えて時給1013円ですが、沖縄や秋田、鳥取、島根、高知、佐賀、大分は792円です。ロンドンの「実質最低賃金」と東京の最低賃金を比べると63%もの開きがあります。

日本の最低賃金がどれだけ低いか、経済協力開発機構(OECD)のデータから見ておきましょう。

筆者作成
筆者作成

ルクセンブルクの実質最低賃金は時給12.42ドル。フランス12.01ドル、ドイツ11.53ドル、イギリス10.16ドル、カナダ10.07ドル、日本7.98ドル、韓国7.79ドル、アメリカ7.38ドルです。

賃金を低く抑え過ぎると個人消費が落ち込み、景気が低迷するだけでなく、社会不満がたまり、いずれは爆発します。トランプ現象やイギリスの欧州連合(EU)離脱はその象徴です。日本では最低賃金を上げると雇用が減るとこれまで考えられてきました。

最低賃金は毎年引き上げられてきましたが、それでも他の先進国に比べると日本の最低賃金は低いままです。そこで日本の菅義偉首相は3月22日の政府経済財政諮問会議で、民間議員が最低賃金の引き上げを提言したのを受け、「より早期に全国平均1千円とすることを目指す」と改めて表明しました。

しかしコロナがくすぶり続けたままだと、最低賃金の引き上げは夢のまた夢だと思います。

正規雇用のシニアを守ってきた日本の保護主義

日本の労働市場には正規雇用のシニアを守る保護主義が労使間にはびこっていました。安倍晋三前首相の経済政策アベノミクスによる円安・株高で輸出企業は社内留保を積み上げ、資産家は資産を膨らませました。しかし経済団体や労働組合の後ろ盾を持たない非正規雇用労働者の搾取は続いているのです。

経済のグローバル化やデジタル化で生産拠点が途上国に移り、国内の労働者は途上国の低賃金労働者に仕事を奪われ、さらに単純労働はテクノロジーに取って代わられようとしています。労働組合の組織率は下がり、労働者の賃上げより投資家への配当が重視されるようになりました。

2000年代に入ってグローバル化とデジタル化による産業構造の変化に伴い賃金が生計費の下限を超えて押し下げられたため、ロンドンでは1日に別の職場で2度働く「ダブルワーク」の低賃金労働者が続出。「子供と過ごす時間を返して」と使用者に生活賃金の導入を求める運動が高まりました。

これを受けて、英政府も16年4月、民間の「実質生活賃金」とは別に全国一律の法定生活賃金を導入しました。イギリスではコロナ前は雇用削減ではなく、値上げで対応する経営者が多かったようです。

最低賃金の引き上げで個人消費が増えて経済が上向きになるのか、それとも経営が逼迫して雇用が減るのかは、状況をつぶさに見ながら、対症療法的に対応していく必要があります。コロナ危機で失業率が上昇している時に最低賃金を引き上げるとさらに失業を増やしてしまうリスクがあります。

ジョンソン政権はワクチン接種による集団免疫の獲得で経済のV字回復を見込んでおり、法定の生活賃金や最低賃金を引き上げましたが、これは大きな賭けだと思います。状況が好転すればよし、しかしワクチン戦略が破綻すれば、経営者は雇用調整に走るでしょう。

賃金を低く抑えたままだと工夫がなくても経営を続けることができるため、イノベーションを停滞させてしまう弊害があります。若者たちにデジタル時代に対応できる教育を行い、労働者にも職業訓練を実施していく必要があります。

(おわり)