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人の命は地球よりも重いのか ワクチンか、来年も308兆円の補正予算か コロナ対策にも経済学が必要だ

木村正人在英国際ジャーナリスト
コロナ危機から脱するため世界中でワクチン接種が始まっている(写真:ロイター/アフロ)

販売価格を公表するのは「守秘義務違反」

[ロンドン発]ベルギーのエバ・ド・ブレケル予算・消費者保護担当閣外相がつい先日、新型コロナウイルス感染症ワクチンの調達価格をうっかりツイートし、あわてて削除する一幕がありました。透明性を求める市民団体は大歓迎ですが、ワクチンを生産する製薬会社は「守秘義務違反だ」とカンカンです。

ワクチンの研究・開発には莫大なコストがかかります。その一方で、ワクチンの販売価格が高くなると医療費が膨らみます。国際NGO(非政府組織)国境なき医師団によると、6つのワクチンの研究・開発、臨床試験、製造には公的資金を含め計100億ドル(約1兆347億円)以上の資金が投じられています。

【ワクチン開発・製造に投じられた資金】

英オックスフォード大・英アストラゼネカ 約17億ドル(約1759億円)

米ファイザー・独ビオンテック 約5億ドル(約517億円)

米モデルナ 約24.8億米ドル(約2566億円)

米ジョンソン&ジョンソン 約15億ドル(約1522億円)

仏サノフィ・英GSK 約21億ドル(約2173億円)

米ノババックス 約20億ドル(約2069億円)

国境なき医師団によると、研究開発費と製造費の大部分、アストラゼネカとモデルナの場合は全額が公的資金によって賄われているそうです。

「原価販売」を公約に掲げたアストラゼネカ

英製薬大手アストラゼネカは「新型コロナワクチンの開発費は、政府と国際機関による資金援助で相殺できると予測している」とワクチン開発は経営に影響を及ぼさないとして、パンデミックにおける「原価販売」を公約にしてきました。

しかし国境なき医師団によると、アストラゼネカとブラジルの国立研究機関オズワルド・クルス財団が結んだ契約は、アストラゼネカにパンデミックの終了宣言を出す権限を与えており、早ければ新年7月にはこうした宣言を出せると記されているそうです。

国境なき医師団は、新年7月以降、アストラゼネカが新型コロナワクチン製造に係る費用(原価)に少なくとも20%を上乗せした額を各国政府などワクチン購入者に請求する可能性があるという懸念を示しています。

国境なき医師団アクセス・キャンペーンのケイト・エルダー・ワクチン政策上級顧問は「企業に透明性を求める強い姿勢を政府が取らなければ、ワクチンの公平な普及は危ぶまれる。市民にはこれら取引の内容を知る権利がある。この危機的なパンデミック下で秘密にする余地などない」と指摘しています。

ライセンス契約から技術移転、研究開発費、臨床試験のデータや費用の開示が求められています。

ワクチン価格を比較してみた

これまでに報道などで明らかになっているワクチンの価格を比較しただけでもいろいろなことが分かります。

4億4600万人を擁するEUはワクチンを大量に調達するので交渉力も強く、EUを離脱したイギリスやアメリカに比べ、ワクチンの調達価格は随分安いことが一目瞭然です。「原価販売」を公約に掲げるアストラゼネカにしても販売価格にバラつきがあるため、実際には原価で価格が決まっていないことがうかがえます。

血税をワクチンの研究、開発に投入した国が自国民へ接種を最優先にするのは仕方がないのかもしれませんが、ワクチンの価格が国や地域の交渉力の差によって大きく異なると公平性や公正性の問題が生じます。

ワクチンを生産する製薬会社はEU向けの価格が最も低いのなら、それに合わせてワクチンを供給する義務を負っているのではないでしょうか。

国際貿易では、複数の国と条約を結んでいる場合、ある国と特に有利な取り決めを行なえば、その国以外のすべての条約締結国にも自動的に適用されます(最恵国待遇原則)。ワクチンの販売価格にも同じルールを適用すべきだと考えます。

1人の命を救うためのコスト

新型コロナウイルス感染症の治療薬を巡っては、世界保健機関(WHO)が11月、コロナ入院患者に対して「効果がないとの十分なエビデンスがあるわけではない」としながらも抗ウイルス薬レムデシビルの投与を推奨しないとするガイドラインを発表しました。

4つのランダム化比較試験に参加したコロナ入院患者7333人のデータを解析した結果、入院患者の死亡率を減少させたり、人工呼吸の導入回避や回復時間を短縮させたりする効果が確認されなかったためです。

レムデシビルについては米国立衛生研究所(NIH)の臨床試験で投与患者の回復が早まるなど一定の効果を示す初期の結果がみられたことから、米食品医薬品局(FDA)が5月に緊急使用を承認。日本やイギリス、EUもこれにならいました。

10月にはFDAが初のコロナ治療薬としてレムデシビルを承認したものの、WHOの見解は全く正反対です。

「命はお金より重い」という理想と現実

5日間で6回、静脈注射で投与するレムデシビルは高価な薬で、一回につき390ドル(約4万400円)、6回で2340ドル(約24万2350円)。米民間保険を適用した場合、3120ドル(約32万3100円)もするそうです。

レムデシビルを使ってきた日本赤十字社医療センターの出雲雄大呼吸器内科部長はWHOの方針についてNHKにこう話しています。

「レムデシビルは1人に25万円程度かかるなど高価なこともあり、WHOは『推奨しない』と判断したのかもしれないが、命はお金より重いはずだ。ほかに特効薬が出るまでは、私たちとしては引き続き使っていくことになる」

「命はお金より重い」とは言うものの、医療予算には限界があります。

イギリスでは十分な患者を対象にリカバリートライアル(治療薬に対するランダム化比較試験)を実施し、重症患者にはステロイド系抗炎症薬の一つ、デキサメタゾンを投与すると死亡率が最大3分の1も減ることが分かっています。デキサメタゾンを治療に使った場合の費用はわずか5ポンド(約700円)です。

国際通貨基金(IMF)のまとめによると、日本はコロナ対策のため総額307兆8千億円の補正予算を組みました。国内総生産(GDP)の54.9%に相当する金額です。

社会的距離、マスク着用、手洗い、換気、3密回避の個人対策と、保健師の職人芸頼りのクラスター対策、厳重な国境管理を続ける一方で、新年も同じように補正予算を組むつもりなのでしょうか。コロナ対策の出口戦略として現時点で残されているのはワクチンの集団予防接種しかありません。

日本もそろそろ冷徹に現実を判断すべき時期が来ているのではないでしょうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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