日本学術会議会員の任命拒否問題 日本の「学問の自由」は無制限に認められているのか

日本学術会議会員の任命拒否を巡り「学問の自由」が問われている(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

欧州は「生まれた大学」

[ロンドン発]首相所轄の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補者105人のうち安全保障法制に反対した学者6人が任命拒否された問題は、例によって左派と右派の間で激しい論争を巻き起こしています。「学問の自由」を巡る争いは世界中で先鋭化しています。

自由と民主主義、法の支配を掲げる欧州連合(EU)加盟国のハンガリー。同国出身の米投資家ジョージ・ソロス氏は1991年、ブダペストに中央ヨーロッパ大学を開設。しかし2017年の法改正でキャンパスの9割は2億ユーロ(249億円)かけウィーンへの移転を余儀なくされました。

非自由主義を宣言した同国のオルバン・ビクトル首相がリベラルなソロス氏を敵視しているのが原因です。しかし同首相はベルリンの壁が崩壊した1989年にソロス氏のオープン・ソサイエティー奨学金を最初に受けた3人のうちの1人で、英オックスフォード大学に留学しています。

EU司法裁判所は今月6日、法改正により外国大学の設置・運営を難しくしたのは「学問の自由」を保障するEU基本権憲章とは相容れないという判決を言い渡したばかり。オルバン首相はこの法改正によって自国の大学や研究施設への支配を強めています。

こうした動きを権威主義と言います。権威主義国家の中国やロシアでは「学問の自由」や「大学の自治」は保障されていません。

欧州の大学は11~12世紀にかけイタリアのボローニャやフランスのパリで生まれました。学問の道を志して集まった学者や学生によって生まれたのが大学の起源です。

「大学の自治」はレーゾン・デートル(存在理由)そのもので、「学問の自由」が脅かされると学者や学生は他の都市に移動していきます。コペルニクスの地動説がカトリック教会から異端として否定された歴史からも分かるように「学問の自由」が認められなければ科学の発展もありません。

今でも学者や学生は「学問の自由」や良い研究環境を求めて国から国へと移っていきます。

日本は「作られた大学」

これに対して日本の大学は国家に有用な人材を育成する目的で設立された歴史的な経緯があります。

日本国憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と定めています。明治憲法には「学問の自由」は規定されていませんでした。戦中の軍国主義、超国家主義の下、数々の弾圧が大学や学問に加えられた反省から、GHQ(連合国軍総司令部)が現行憲法に盛り込んだのです。

「学問の自由」を憲法で明記している国は日本のほか敗戦国のドイツやイタリアなどがあります。そのほかの多くの国は「思想の自由」や「表現の自由」の中に含んで考えているようです。

まず、大学や学問の弾圧で有名な滝川事件と天皇機関説事件を見ておきましょう。

1933年、刑法学者の京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授が講演内容や著書『刑法読本』が危険思想だとして文部省から休職処分を受けました。法学部の全教官が「大学の自治」を侵していると辞表を出したものの、滝川氏ら8教授だけが免官され、『刑法読本』は発禁処分になりました。

1935年、東京帝国大学の美濃部達吉名誉教授の天皇は国家の一機関に過ぎないとする天皇機関説が国体に反する反逆思想として貴族院本会議で攻撃され、美濃部氏は釈明演説を行うも貴族院議員を辞任。『憲法概要』など美濃部氏の3著は発禁処分となりました。

「学問の自由」と「大学の自治」の制約

戦後、GHQによって保障された「学問の自由」に日本の最高裁は制約を加えました。

1952年2月、東京大学の学生サークル「ポポロ劇団」の公演に潜入した私服警官3人を学生が取り囲み、警察手帳を奪ったところ、以前から学内に入り、教授や学生を尾行していたことが発覚。警察側は暴力を受けたとして経済学部自治会委員長を逮捕しました。

一・二審は「大学の自治を守るため正当」と無罪を言い渡しましたが、最高裁は「実社会の政治的社会的活動にほかならない。劇団の集会は真に学問的な研究と発表のためのものでなく、大学の学問の自由と自治を享有しない」として一・二審判決を破棄して地裁に差し戻しました。

任命拒否問題を巡っては、2018年11月の内閣府文書「日本学術会議法17条による推薦と首相による会員の任命との関係について」で「日本学術会議は国の行政機関。首相は人事を通じて一定の監督権を行使できる」「首相に推薦の通りに任命すべき義務があるとまでは言えない」と指摘しています。

その上で「任命すべき会員の数を上回る候補者の推薦を求め、その中から任命するということも否定されない(日本学術会議に保障された職務の独立を侵害するものではない)」と結論付けています。

日本では「実社会の政治的社会的活動」と認められる場合、学問の自由や大学の自治は保障されないことがあります。日本の大学が作られた経緯を考えると国から完全に切り離された「学問の自由」や「大学の自治」を求めるのはそもそも無理なのかもしれません。

生物兵器や生体解剖事件に加担した日本の大学

1932年に設立された日本学術振興会では学会・国防・産業界の協力がうたわれ、国家総動員の下、原爆研究、電波兵器研究、生物兵器、生体解剖事件にとどまらず「国民総武装兵器」なるものまで研究されました。敗戦直後に資料が焼却されたため、全容は明らかにされていません。

これを反省した日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対従わない」決意を表明。1967年にも「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」決意を新たにしています。

2017年には2つの声明を継承すると強調した上で「防衛装備庁の『安全保障技術研究推進制度』(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と指摘し、こう続けました。

「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、まずは研究の入り口で研究資金の出所などに関する慎重な判断が求められる」

「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである」と提唱しています。

安全保障技術研究推進制度への応募件数は2015年度109件(予算3億円)、16年度44件(同6億円)、17年度104件(同110億円)、18年度73件(同101億円)、19年度57件(同101億円)、20年度120件(同101億円)となっています。

民生と軍事の線引きは難しい

民生用の技術でも軍事に転用できるものがたくさんあります。日本学術会議が「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」といくら強調したところで、多くの研究は軍事転用可能で線引きは非常に難しいのです。そして基本的にはどの研究も「戦争」ではなく「防衛」を目的としています。

最終的に兵器輸出につながったとしても、兵器を共有するのは最大の防衛・安全保障になるのです。そうした意味で研究のガイドラインは日本だけにしか通じないものではなく、世界トップクラスの大学を有する自由主義国家のアメリカやイギリスに合わせるのが賢明だと思います。

日本で大学への国家管理が強まり「学問の自由」や「大学の自治」が脅かされるようになったら、優秀な人材は一気に国外に流出してしまうでしょう。日本国憲法ではなく、そうした移動の自由が「学問の自由」や「大学の自治」を最終的に保障しているのです。

一方、ドナルド・トランプ大統領を生み落としたアメリカでも、EUを離脱したイギリスでも社会は著しく分断しています。良い言論は悪い言論を駆逐するという強い信念の下、自由主義国家では表現の自由が認められてきました。

しかし主要メディアが劣化し、ソーシャルメディアの増幅作用で悪い言論が良い言論を駆逐しているのが悲しい現実です。そして言論空間の左派と右派の対立、リベラルと保守の熾烈なバトルを中国やロシアのトロール部隊は手ぐすね引いて待っているのです。

今回、日本学術会議の人事に国が一定の監督権を行使することが許されるのかが問われています。と同時に日本学術会議会員の政治活動がどの範囲で認められるのか、また大学での「表現の自由」はどこまで認められるのかも改めて問われているのだと思います。

(おわり)

参考:「初期の日本学術会議と軍事研究問題」小沼通二氏著