「学問の自由への介入か」

[ロンドン発]日本の科学者を代表し「学者の国会」と呼ばれる首相所轄の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補者105人のうち安全保障法制に反対した左派の学者ら6人が任命から除外されていたことが分かりました。日本でも「赤狩り」が始まるのでしょうか。

推薦された候補者が任命されないのは前例がありません。退任した山極寿一・前日本学術会議会長(京都大学前総長)は「学問の自由への介入と受け取られても仕方がないのではないか」と政府の対応を批判しています。

日本学術会議の職務は次の2つです。

(1)科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。

(2)科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業と国民生活に科学を反映、浸透させることを目的に1949年、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。政府に対する政策提言、科学の役割についての世論啓発などを担っています。

首相の所轄と言うものの、政府から独立して職務を行うため、首相の任命権は形式的なものに過ぎないと過去に国会で答弁されています。会員の任期は6年で、3年ごとに半数が任命されることになっており、今回のように任命を見送ると欠員が生じてしまいます。

アメリカからの対中強硬圧力

日本学術会議の人事ぐらいに一国の首相たるものが目くじらを立てるのはいかがなものかという意見も当然あるでしょう。菅義偉首相が、安全保障法制に反対した6人に意趣返しをしたのでしょうか。この動きは菅政権が抱える今後の防衛・安全保障上の課題と無関係とは筆者は思いません。

購買力で見た経済規模では中国がアメリカをすでに追い抜き、軍事面でも対決姿勢を鮮明にしています。

そんな中で菅政権はアメリカ側から中距離ミサイルのアジア配備(有力な候補地の一つは沖縄・琉球諸島)、米英を中心とした電子スパイ同盟「ファイブアイズ」への協力を強く求められているはずです。そうした政治課題に取り組むためには6人は将来、障害になる恐れがあります。

ドナルド・トランプ米大統領は11月の米大統領選を控え、対中強硬姿勢をますます強めています。超タカ派ぞろいのトランプ政権の動きをおさらいしておきましょう。

【トランプ政権の対中外交】

2017年12月、トランプ大統領が中国やロシアを「アメリカの国益や価値観と対極にある世界を形成しようとする修正主義勢力」と位置づけ、戦略的競争という新たな時代の中でアメリカが優位性を取り戻す国家安全保障戦略を発表

2018年10月、マイク・ペンス副大統領が「トランプ政権の対中政策」と題した講演で「中国の自由が経済的にも政治的にも拡大することを期待したが、その希望は実現しなかった」と断言。膨大な対中貿易赤字や中国による南シナ海の要塞化、借金漬け外交、新疆ウイグル自治区での弾圧に強い警戒感を唱える

今年6月24日、ロバート・オブライエン国家安全保障問題担当大統領補佐官が「中国共産党のイデオロギーと世界的野心」と題して講演。「中国共産党はマルクス・レーニン主義」と断罪し、習主席は自らを旧ソ連の独裁者スターリンの後継者とみなしていると非難

7月7日、クリストファー・レイFBI(連邦捜査局)長官が「中国政府・中国共産党がアメリカ経済と安全保障に及ぼす脅威」と題して講演。「中国はあらゆる手段を使い世界で唯一の超大国を目指している」としてアメリカの未来にとって最大の長期的な脅威になると警鐘を鳴らす

7月16日、ウイリアム・バー司法長官が「中国共産党の世界的野心へのアメリカの対応」と題し「ディズニーや他の米企業が北京に追従し続ければ、自分たちの将来的な競争力と繁栄、その繁栄を可能にしてきた伝統的な自由の秩序を損なう危険性をもたらす」と警告

7月23日、マイク・ポンペオ国務長官が「共産主義者の中国と自由世界の未来」と題して演説。対中関与の門戸を開いたリチャード・ニクソン元大統領は「中国共産党に世界を開くことにより“フランケンシュタイン”を作ってしまったのではないかと心配していると語ったが、それが今日実現した」と糾弾。対中関与政策の終結を宣言する

英大学は軍事転用可能な研究から中国人留学生を排除へ

日本と同様にアメリカの同盟国であるイギリスでは「学問の府」である大学での「赤狩り」、すなわち中国人留学生への規制が急激に強められています。2018年度、イギリスでは6万9305人の中国人留学生が研究に従事しており、修士学生全体の12%を占めました。

英紙タイムズは「英外務省は知的財産の窃取が懸念される中で、国家安全保障に関連する研究を望む海外の申請者に対する安全保障審査の権限(学術技術承認制度)を拡大した。この措置により、何百人もの中国人留学生がイギリスに入国するのを阻止される見通しだ」と報じました。

中国の通信機器最大手、華為技術(ファーウェイ)は世界で最も薄くて強い炭素シート、グラフェンを開発するマンチェスター大学のプロジェクトへの支援を約束。中国人民解放軍はグラフェンの軍事転用を検討、南シナ海の軍事施設の錆止めコーティングに利用しようとしています。

オックスフォード大学の物理学教室では中国国防科技大学から資金提供を受けています。量子物理学を応用して感度をアップさせた加速度計を使えば、この10~20年中に水上に浮上せずに水中で活動を続けられる潜水艦を開発できます。

英シンクタンク、ヘンリー・ジャクソン・ソサエティーの調査報告では中国の国防と国防産業とつながりが深い中国の7大学(国防七子)の卒業生計151人を軍事転用のリスクが高い研究分野で受け入れている英大学は次の通りです。

・オックスフォード大学、シェフィールド大学各16人

・ラフバラー大学、クランフィールド大学、ウォーリック大学、ブリストル大学各9人

・マンチェスター大学、ノッティンガム大学各8人

・インペリアル・カレッジ・ロンドン、カーディフ大学各6人

・エジンバラ大学5人

・ケンブリッジ大学、バース大学、バーミンガム大学、ダラム大学、サウサンプトン大学各4人

こうした学生はアメリカの大学院では拒否される可能性があります。

米政府は人民解放軍と関係する中国人留学生1000人のビザ取り消す

アメリカのレイFBI長官は「中国はアメリカへの留学生を知的財産の収集者として使っている」「そのような科学者や留学生は深くて多様で広くて厄介だ」と中国人留学生への締め付けを強化してきました。米政府は最近、中国人民解放軍と関係しているとして中国人留学生1000人のビザを取り消しました。

冷戦に突入したアメリカの戦後教育における「赤狩り(国家権力による共産主義者や社会主義者の追放)」は第二次大戦後の1946年、社会主義、共産主義、あらゆる形態のマルクス主義をアメリカの学校や大学から根絶することを目指した組織である全米教育評議会の設立とともに始まりました。

1955年の165大学2451教授を対象にした調査では「10年前に比べアメリカでは知的活動に対する脅威が増加したと感じますか」という質問に63%が「はい」と答えています。政治的立場とイデオロギーをはじめとする非難を経験した教授は全体の54%にものぼりました。

「学問の自由」の伝統に基づいて行動してきたアメリカの大学でも「異端思想」を教える教授がいると攻撃され、職を追われました。その後、名誉回復が行われたケースもありますが、国家安全保障を大義名分に行われた「赤狩り」は今もアメリカの大学に深い傷と反省を残しています。

いまアメリカ、イギリス、オーストラリアといったアングロサクソン諸国で中国をターゲットにした「赤狩り」が急激に進んでいます。こうした3カ国と外交・安全保障上の連携を強める日本も対応を迫られています。

共同通信によると、原子力やレーダーなど軍事転用可能な先端技術の海外流出を防ぐため、日本の全国立大86校が輸出を管理する専門部署を設置し、関連規定を策定したそうです。

軍事転用可能な先端技術の研究から「国防七子」の卒業生を排除する動きが日本でも今後出てくるのではないでしょうか。

(おわり)

参考:「大学と赤狩り」黒川修司氏著