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「集団免疫」は空想に過ぎない 2回目のロックダウンに戦々恐々とする英国の教訓

木村正人在英国際ジャーナリスト
路上で営業するロンドンの飲食店(写真:ロイター/アフロ)

再び感染爆発の「臨界点」に

[ロンドン発]感染爆発を起こす危険性がさらに高まる冬を前に、新型コロナウイルスの感染状況が「臨界点」に達したとして、イギリスのボリス・ジョンソン首相は9月22日、「国家緊急事態対策(コブラ)委員会」を開き、24日から午後10時以降、翌日午前5時までパブ(大衆酒場)やバー、レストランの営業禁止を打ち出しました。

軍は対策を実施するため警察を支援できるようになり、小売店の従業員、飲食店の室内客も飲食時以外はマスク着用が義務付けられます。新しい対策は今後6カ月に及ぶ可能性があるそうです。

イギリスでは欧州連合(EU)離脱、コロナ危機を契機にイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドがそれぞれ異なる政策をとり始めているため、午後10時以降の営業禁止もイングランドに限られます。イギリスのパブは普段、立ち飲みが主流ですが、営業をテーブル席に限定して入場できる人数を制限します。

イギリスの感染状況は下のグラフのように第2波を迎えていますが、入院を要する患者がまだ限られているため、今年3~4月のような「医療崩壊」の危機には瀕していません。しかし冬はそれでなくても医療が逼迫するシーズン。さらに冬は室内を密閉して暖房を入れるため新型コロナウイルスの実効再生産数が上がる恐れがあります。

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10月中旬までに1日の新規感染者数は5万人に達する

クリス・ホウィッティ・イングランド主席医務官とパトリック・ヴァランス政府首席科学顧問はこれに先立ち21日記者会見し、10月中旬までに1日当たりの新規感染者は5万人に達し、翌月までに死者は1日200人に達するとの見方を示しました。

英国家統計局(ONS)の直近のデータによると、1日当たりの新規感染者は6000人に達し、1週間前の約2倍になっています。

英政府はコロナの警戒レベル(5段階)を「3(次第に規制を緩和)」から「4(社会的距離を継続)」に引き上げました。「5」になると再び都市封鎖(ロックダウン)が実施されます。イギリスでは3月23日に都市封鎖に入り、6月1日にようやく封鎖が緩和されました。警戒レベルが「4」から「3」に引き下げられたのは同月19日のことです。

ヴァランス政府首席科学顧問は「症例が増加するスペインとフランスでは増加は20代の若者から始まり、徐々に高齢者にも広がっている。症例数の増加は入院の増加に、延いては死亡の増加につながる」と指摘しました。抗体検査の結果、300万人、人口の8%未満が感染して抗体を持っている可能性があるそうです。ロンドンでは17%前後だと言います。

ホウィッティ・イングランド主席医務官は「医師、看護師は新型コロナウイルスの発症者をより効果的に治療することを学び、デキサメタゾン(ステロイド系抗炎症薬)などの治療効果を確認した。これは死亡率を低下させるものの、死亡リスクを完全に排除したり、リスクを取るに足らないレベルにまで下げたりすることはない」と釘を刺しました。

感染防止対策と経済的・社会的ダメージのバランス

感染防止対策を緩めると(1)コロナによる直接死(2)感染爆発による医療崩壊(3)他の疾病への対応が後回しになる(4)医療逼迫による間接死――への懸念が強まるものの、対策を強め過ぎると経済的なダメージ、失業、貧困、メンタルヘルスなど社会的な問題が悪化する恐れがあるとホウィッティ氏は対策の難しさを改めて強調しました。

マット・ハンコック保健相は(1)手洗い(2)フェイスマスク(3)感染防止のための距離を取る(4)7人以上で集まらない(5)感染した恐れがある場合は自己隔離する――の5点を徹底しました。イギリスのクラスター対策は「密集」「密閉」「不十分な換気」に注意して「接触回数」を制限することです。

違反を繰り返した場合、最大1万ポンド(約134万円)の罰金が科せられます。

「大至急、検査と接触追跡プログラムの改善を」

ヴァランス政府首席科学顧問らの発表をイギリスの専門家はどう見たのでしょう。ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のマーティン・ヒバード教授(新興感染症)は感染が再拡大した理由をこう説明しました。

「都市封鎖の緩和によって接触が増加することはよく知られたリスクだが、検査と接触追跡の強化により緩和されるはずだった。しかし明らかに失敗した。ドイツ、韓国、シンガポールなど世界を代表する成功例に追いつくためには、この1週間かそこらで検査と接触追跡プログラムを適切に改善することだ」

イギリスの検査能力は1日25万件を超えましたが、感染者の激増で疑われる症状がすでに出ている人でも検査が受けられない状況が続いています。接触追跡プログラムやスペースも店によって実施状況が大きく異なるのが現実です。

エジンバラ大学のマーク・ウールハウス教授(感染症疫学)は1日5万件というシナリオには懐疑的です。

「これまでに1日当たり5万件を超える新規感染者を報告したのは世界でインド、アメリカ、ブラジルの3カ国だけです。現在インドだけが1日当たり5万件を超える症例を報告している。イギリスに5万件を当てはめると人口10万人当たり75例。現在、世界で最も影響を受けているイスラエルでも人口10万人当たり51例。おそらく英政府は持続的、指数関数的に感染が広がることを説明しようとしているのだろう」

ケンブリッジ大学のフラビオ・トックスバード博士(感染症経済学と経済疫学)は感染防止対策と経済的・社会的ダメージのバランスをとる重要性を強調します。

「健康は最も重要だが、病気と闘うことの経済的影響を無視してはならない。貧しい社会は健全な社会ではないため、さまざまな政策の福祉への影響をすべて慎重に検討する必要がある」

集団免疫の獲得は机上の空論

フランシスクリック研究所細胞生物学研究室のグループリーダー、ルパート・ビール博士は「ヴァランス政府首席科学顧問らがイギリスの免疫の低さを強調したのは間違いなく正しいことだ。ロンドンのように第1波でひどく打撃を受けた地域でさえ、集団免疫効果に必要なレベルには遠く及ばない」と述べました。

レディング大学のサイモン・クラーク准教授(細胞微生物学)もこう語ります。「10人中9人以上が免疫を持たず、この病気は危険であり、私たちはみんなを守るワクチンをまだ持っていない」

サウサンプトン大学のマイケル・ヘッド上級研究員は「ロング・コビッド(Long Covid、新型コロナウイルスによる隠れた後遺症)」について注意を喚起します。

「比較的健康な人でさえ最初の感染を解消してから数週間後に症状が発生する。これらの症状は一般的であり、入院していない症例の10〜20%で発生する。最も一般的な症状は重度の疲労と息切れ。長期的な病気の負担はまだ出てきている。それが広範囲に及ぶことは確実だ」

「感染症に対する抗体を持っているのは人口の約8%で、集団免疫のアイデアは空想的であり、いかなる公衆衛生戦略の一部にもなり得るものではない」

カギは距離・マスク・手洗い、窓開けと接触制限

新型コロナウイルスに一度感染しても抗体反応は時間とともに低下し、再感染したいくつかの症例が報告されています。レスター大学のジュリアン・タン名誉准教授(呼吸器科学)は今後の感染防止対策について懸念を示しました。

「ほとんどの人はまだコロナに感染しておらず、イギリスでも依然として感染が続いている。これから寒くなると人々が屋内に出入りする頻度が増し、感染リスクが高まる。手洗い・フェイスマスク・スペース(距離)というメッセージは間違っている。距離・フェイスマスク・手洗いの順に入れ替えるべきだ。接触感染は全体のわずか20%、おそらく80%は飛沫感染かエアロゾル感染によるものだ」

ケンブリッジ大学王立工学アカデミーのショーン・フィッツジェラルド・フレング客員教授は次のように呼びかけます。

「私たち全員が手洗い、フェイスマスク、距離、窓を開けるというメッセージに耳を傾け、接触を自発的に制限すれば、おそらくそれ以上の制限を実施する必要はないだろう。感染のメカニズムに影響を与えることができる私たちは皆、感染拡大を抑えるために少しでも努力できる。ただし、メッセージに従わない場合、さらに制限を設けなければならなくなる。それは私たちの選択にかかっている」

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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