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ニキビを潰すように「香港の自由」を殺した習近平氏 日本も民主派を救う国際救命艇キャンペーンを

木村正人在英国際ジャーナリスト
香港国家安全維持法の成立を祝う香港の親中派(写真:ロイター/アフロ)

「多くの人が香港を逃れることを望んでいる」

[ロンドン発]中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)の常務委員会は30日、香港の民主化と独立運動を封殺する「香港国家安全維持法案」を可決しました。香港政府は香港返還記念日の7月1日にも施行、当日予定される大規模な抗議行動を封じ込めるとみられています。

「香港国家安全維持法」の概要は示されたものの、詳細はまだ明らかにされていません。

「港人治港(香港人が香港を治める)」「一国二制度」「高度な自治」「1997年の返還から50年不変」を国際社会に約束した1984年の英中共同宣言に基づいて香港基本法はつくられました。そこには国家安全に関わる法制度は香港立法会(議会)で定めると明記されています。

香港という蟻の一穴から中国共産党支配が崩落するのを恐れる習近平国家主席は香港の頭越しに「香港国家安全維持法」を成立させました。新型コロナウイルス・パンデミックと米白人警官による黒人暴行死事件で米欧の混乱が続く中、中国は既成事実をまた一つ積み上げました。

2012年の国民教育反対運動、2014年の民主化デモ「雨傘運動」を率いた香港の「民主の女神」、周庭(アグネス・チョウ)氏(23)や黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(23)らは「香港国家安全維持法」による摘発を避けるため政党・香港衆志(デモシスト)からの脱退を一斉に表明しました。

若者たちは、アクション映画『燃えよドラゴン』のカンフースター、ブルース・リーの「水のごとし(水はコップに注がれればコップの形をなし、ポットに入るとポットの形になるように、状況によって形を変えるという意味)」という哲学にならって、運動の形を変えたのでしょうか。

香港民主派の中核政党・民主党の前党首で、報道の自由と人権のために闘う“香港の鉄の女”劉慧卿(エミリー・ラウ)同党国際問題委員会議長は30日、筆者にこう語りました。

「香港の多くの人々は国家安全維持法の制定に怒り、混乱し、怯えています。1997年の香港返還から2047年までの50年間、人々の自由な生活様式、個人の安全、法の支配を守ることになっていた防火壁の一国二制度の終わりを意味する恐れがあります」

「人々は自由と個人の安全を失うことを恐れており、人権は法制度によって保護されなくなるでしょう。中国共産党は香港の人々への約束を破りました。多くの人々が香港を離れる方法を見つけたいか、少なくとも必要な時は香港を離脱する選択肢を持ちたいと願っているでしょう」

シンガポールへの資本逃避進む

2018年1月に最高値の33,000台に乗せた香港ハンセン株価指数は今年3月には22,000を割り込みました。香港ドルの対円相場も2015年8月の1香港ドル=16円から今年3月には13円台にまで下がっています。「香港の自由」が失われるのを恐れて資本が逃避しているのです。

昨年、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正案が大規模な抗議デモで撤回されたことに業を煮やした習氏が「香港国家安全維持法」の強行という荒業に出ました。これを受けて香港マネーのシンガポールへの逃避は一気に加速しています。

シンガポール金融管理局(MAS)によると、今年4月、シンガポールの金融機関の外貨預金は前年同期比の約4倍に相当する270億シンガポールドル(約2兆900億円)に膨れ上がり、非居住者の預金も前年同期比44%増の620億シンガポールドル(約4兆7900億円)に増加しました。

しかし習氏にとって香港経済への打撃はもちろん、国際ビジネスセンターや国際金融都市としての地位低下は織り込み済みのコストです。返還時には中国の国内総生産(GDP)の5分の1近くを占めた香港の経済規模は今や3%を割り込み、2.7%に過ぎません。

習氏にとって香港経済はニキビを潰すような重みしかなくなったのです。一方、香港の自由と民主化運動は中国共産党支配の正当性を根底からひっくり返す危険性をはらんでいます。しかもイギリス植民地支配の名残を一掃する象徴的な意味を持っています。

習氏が香港国家安全維持法を強行した理由とは

習氏が「香港国家安全維持法」を強行したのは昨年の大規模デモで「独立」を公然と唱える若者が目立ち始めたことが一番大きかったのでしょう。9月6日の香港立法会選挙で民主派が過半数を制するのは何としてでも阻止しなければなりません。

一方、アメリカでは新型コロナウイルスの流行が都市封鎖にもかかわらず収束に向かわず、感染者は268万人を突破、死者は12万8700人を超えました。そこに黒人差別撤廃運動「Black Lives Matter(BLM、黒人の命は大切だ)」で人種間の緊張は高まり、混乱に拍車をかけています。

欧州のシンクタンク、欧州外交評議会(ECFR)のアンケート調査ではアメリカに対する欧州連合(EU)加盟国の感情は中国に対するそれよりも随分悪化しています。

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新型コロナウイルス・パンデミックではアメリカより中国の方が頼りになると考えた国も少なくありません。

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マイク・ポンペオ米国務長官は5月27日、香港の米国法における特別な地位を剥奪しました。米上院も今月25日、香港の自治侵害に関与した中国当局者や金融機関に制裁を科す「香港自治法案」を全会一致で可決しました。しかし習氏にとっては屁でもなかったようです。

アメリカでは日常生活の安全が危機に瀕しており、米国民には「香港の自由」は新型コロナウイルスや人種間の緊張に比べそれほど重要ではありません。旧宗主国イギリスでも都市封鎖の解除や経済対策、EU離脱交渉が焦眉の課題で「香港どころではない」のが悲しい現実です。

「今こそ西側は言葉と行動の一致を」

香港の民主化を求める英NGO(非政府組織)、香港ウオッチによると、香港最後の総督を務めたクリストファー・パッテン英オックスフォード大学名誉総長が中国の強硬措置に対する共同の抗議声明に、日本の100議員を含む43カ国・地域の国会議員ら902人が署名しました。

香港の民主派を救うため「国際救命艇キャンペーン」を立ち上げた香港ウオッチのデイビット・オールトン英上院議員はこう話しています。

「私たちはこの数週間、懸念と香港への支持を表明してきましたが、中国共産党が香港国家安全維持法を強行するスピードに対し言葉と行動を一致させるべきです。最初の一歩として香港の人たちが海外で市民権を取得する道として留学や海外で働くことを容易にする必要があります」

安倍晋三首相も香港の民主派のために日本への留学や就労の門戸を大きく開くことを願います。

【香港国家安全維持法の骨子】

・国家分裂、政権転覆、テロ活動、外国勢力と結託して国家安全に危害を加える行為を犯罪として刑事責任を問う

・香港政府が行政長官をトップとする「国家安全維持委員会」を設立。中国政府が監督する

・中国政府は指導・監督のため香港に治安維持機関の「国家安全維持公署」を設置。国家安全に関わる情報を収集し、事件を処理する

・中国政府は「特定の状況下」で管轄権を行使

・国家安全に関わる審理からは外国籍の裁判官は排除

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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