日韓だけでなく英国でも勃発した「歴史戦争」偉人記念像はなぜ攻撃されるのか

引き倒された英商人エドワード・コルストンの記念像(写真:ロイター/アフロ)

お蔵入りしたサッチャー像

[ロンドン発]英政治文化雑誌「ニュー・ステイツマン」の表紙に「歴史戦争(The history wars)」の見出しが躍っていたので驚きました。「歴史戦争」は日本の産経新聞の専売特許かと思っていたら、イギリスにも上陸。第二次大戦で崩壊した“大英帝国”が欧州連合(EU)離脱で再び大きな転換点を迎えていることと無関係ではありません。

「ニュー・ステイツマン」誌の「歴史戦争」は、ナチスの興亡を描いた著書「第三帝国三部作」で高い評価を受けた英歴史家リチャード・エバンズ氏が執筆しました。記事の中で「記念像を引き倒すことは自分たちの歴史を正確に理解したり、現在の問題を解決したりする助けにもならない」と指摘しています。

イギリスでは、アメリカの白人警官による黒人暴行死事件に端を発した抗議運動「Black Lives Matter(黒人の命が大切なのだ)」が飛び火し、十分な思慮がないままに、奴隷貿易や植民地支配に関わった歴史上の偉人の記念像が次々と引き倒される事態に発展しています。

「フランス革命ではユダの王の像がギロチンにかけられ、第二次大戦後のドイツではナチスの記念碑が撤去された。イラク戦争ではサダム・フセイン大統領の像が倒された。暴君から自由を勝ち取った祝福に記念像は引き倒される」とエバンズ氏は言います。

歴史上の人物は大きな論争を呼ぶことが多く、フォークランド紛争での勝利と大胆な民営化でイギリスの威信を見事に取り戻したマーガレット・サッチャー元首相の記念像でさえお蔵入りした例もあるそうです。サービス産業への急激な移行で仕事を失った炭鉱作業員やブルーワーカーに強烈な恨みが残ったからです。

歴史と記憶の違いを理解できない政治家たち

エバンズ氏は「記念碑を引き倒すことは歴史とは何の関係もない。それは記憶と関係している。記念碑は過去ではなく現在と関係している」「強い国民意識を育てるためイングランドの歴史を肯定的に教えることを強調する政治家は歴史と記憶の違いを認識できないことがしばしばある」と指摘しています。

世論調査会社ユーガブ(YouGov)による2014年7月時点の調査では、大英帝国の歴史を誇りに思うと答えたのは59%、恥ずかしいという回答は19%。18~24歳の若い世代では誇りに思うは48%、60歳以上では65%にのぼっていました。大英帝国の植民地支配によってその国は現在良くなっていると答えたのは49%、悪くなっているという回答は15%でした。

今も大英帝国が存続していたらと望む人は34%。望まない人は45%でした。

今年3月のYouGov調査では大英帝国の歴史を誇りに思うは32%まで減り、恥ずかしいという回答は14年7月と同じ19%(ちなみに日本はそれぞれ18%と20%)。大英帝国の植民地支配によってその国は現在良くなっていると答えたのは33%、悪くなっているという回答は17%(日本はそれぞれ32%と10%)でした。

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今も大英帝国が存続していたらと望む人は27%。望まない人は50%(日本はそれぞれ7%と70%)。時代がたつにつれ、帝国主義や植民地支配の歴史は否定的にとらえられるようになっているものの、保守層に多いEU離脱派は帝国の歴史を肯定的に受け止める傾向が顕著に出ています。

日英の「歴史戦争」

日本では金融バブルの崩壊で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた時代は終わりを告げ、旧日本軍従軍慰安婦問題の河野談話、戦後50年の村山談話に対して現在の安倍晋三首相に代表される保守派から猛烈な反動が起きます。2003年以降、産経新聞の紙面に「歴史戦争」の見出しが躍るようになりました。

しかし1986年7月に朝日新聞はソウル発で、藤尾正行文相の教科書問題発言に「今回の問題を日韓の新しい歴史戦争ないしは精神戦争ととらえ、民族史観的対応に全力を傾ける」という韓国の当時の与党・民主正義党(民正党)民族史観定立委員会の声明を伝えています。歴史戦争は旧被支配者によって始められ、旧支配者の反動によって収拾がつかなくなります。

イギリスは2003年のイラク戦争で疲弊し、08年の世界金融危機で曲がり角を迎えます。今年1月末にEUから離脱した後、新型コロナウイルス・パンデミックで4万3000人を超える欧州最大の死者を出しました。アフリカ、カリブ系のマイノリティーに死者や失業者が多かったため、アメリカ発の「Black Lives Matter」はイギリスにも一気に広がりました。

しかし記念像が引き倒されるような革命が起きた後、歴史に大きな空白が生じ、新たな支配者によって書き換えられる例も少なくありません。歴史は時の為政者にとって都合の良い愛国的な事実だけを集めた物語であっていいわけがありません。

日本が大東亜戦争で列強による植民地支配からのアジア解放を唱えたように、アメリカに対抗する中国は今、中華民族の偉大な復興という「中国の夢」の実現を掲げています。コンテキストは反帝国主義です。

筆者はイギリスで唐突に起きた「歴史戦争」は反黒人差別運動を隠れ蓑に、中国が国家安全法制を強行しようとしている香港問題と絡んでいるように思えてなりません。

「歴史とは国家的・集合的・文化的な記憶だ」

エバンズ氏は「学校での歴史教育というものは歴史的な文書を批判的に読み、過去の出来事と過程の解釈を知的に評価し、歴史的に重要なトピックについて自分の頭で考え、卒業時には自分で考えることができる市民になっていることを意味する。歴史とは個々の記憶ではなく、国家的・集合的・文化的な記憶だ」と言います。

大英帝国の歴史が良かったのか、悪かったのかという「粗雑な歴史の道徳化はやめるべきだ」とエバンズ氏は指摘します。大英帝国はなぜ誕生したのか、どのように持続し、終わりを迎えたのか、称賛するでもなく、非難するのでもなく、批判的かつ探究的に研究し、理解することが肝要だとエバンズ氏は説いています。

イギリスで記念像へ怒りの矛先が向けられたのはマイノリティーへの差別構造が高層集合住宅火災やカリブ系移民の強制送還、そして新型コロナウイルス・パンデミックで改めて浮き彫りになったからです。

記念像という社会の記憶の再調整をどういう形で行うのが適切なのか、破壊行為の対象になったり、人種差別主義者のレッテルをはられたりするのを恐れて性急に結論を出すのではなく、慎重な議論と社会のコンセンサスが求められています。

【イギリスで標的にされた歴史上の人物】

・奴隷貿易で財を築き、学校や病院、教会に寄付したイギリス商人エドワード・コルストン(1636~1721年)の銅像が引き倒され、ブリストル港に放り込まれる

・第二次大戦を勝利に導いた英首相ウィンストン・チャーチルの像も「人種差別主義者」と落書きされ、第一次大戦の犠牲者を追悼した記念碑セノタフに掲げられた英国旗ユニオンジャックが燃やされそうになる

・英オックスフォード大学オリオル・カレッジが、南アフリカのダイヤモンド採掘で富を得て現地の首相となり、占領地に自分の名を冠し、「アフリカのナポレオン」と呼ばれたセシル・ローズ(1853~1902年)の彫像を取り除くことを決定

ビル・クリントン米大統領やスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官も利用したローズ奨学制度はあまりにも有名。アフリカからの留学生も数多く奨学金を受けている

・英中央銀行・イングランド銀行は18~19世紀にかけ総裁や理事27人が奴隷を所有していたか、奴隷貿易に関わっていたことを「謝罪」し、全ての肖像画や像を取り外すと約束

・ロンドンのタワーハムレッツ区は奴隷商人だったロバート・ミリガン(1746~1809年)像を撤去

・イースト・ロンドン大学は奴隷貿易に関わった篤志家ジョン・キャス(1661~1718年)像を撤去

(おわり)