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黒人暴行死事件で軍出動を宣言したトランプ米大統領 これでは香港国家安全法を強行する習近平氏と同じだ

木村正人在英国際ジャーナリスト
放火された教会の前に立ち、聖書を掲げるトランプ米大統領(写真:ロイター/アフロ)

人種間の分断がもたらした混乱の渦にのみ込まれた米国

[ロンドン発]白人警察官による黒人暴行死事件への抗議デモが拡大し、一部で暴徒化している問題で、アメリカのドナルド・トランプ大統領は1日、ホワイトハウスで市や州が暴力阻止に向け行動をとらないのなら全米に軍隊を展開することも辞さないと宣言しました。

新型コロナウイルス・パンデミックへの対策が遅れ、10万人を超える死者を出したアメリカは今度は、人種間の分断がもたらした混乱の渦に完全にのみ込まれています。時代に置き去りにされた白人の怒りに火を放ち、分断を広げてきたトランプ大統領が演説した内容は次の通りです。

「私の最も大事な責務は偉大な国とアメリカ人を守ることだ。われわれの政権は被害者ジョージ・フロイド氏と家族のために正義が行われることを約束している。暴動の最大の犠牲者は最も貧しい地域の平和を愛する市民だ」

「多くの州および地方自治体は、住民を保護するために必要な措置を講じることに失敗した。最も歴史のある教会の1つが焼かれ、カリフォルニア州ではアフリカ系アメリカ人の警察官の英雄が射殺された。これらは平和的な抗議行動ではなく、国内のテロ行為だ」

「全ての州知事と市長に暴力が鎮まるまで街の治安を守るのに十分な数の州兵を配備することを勧告する。市や州が住民の生命と財産を守るために必要な行動を起こすことを拒否した場合、私は速やかに問題を解決するため米軍を展開させる」

「私は何千、何千もの重武装した兵士、警察を派遣して、暴動、略奪、破壊行為、財産の破壊を阻止している。午後7時以降の外出禁止令が厳格に実施されることを皆さんに警告している。無実の生命と財産を脅かした者は逮捕され、拘留され、長い刑期に直面する」

放火された教会の前に立ち、聖書を掲げたトランプ氏

アメリカでは外出禁止令の歴史は1950年代、60年代の公民権運動に逆上ります。トランプ大統領は抗議行動を対話ではなく、力でねじ伏せようとしています。

トランプ大統領はこれに先立ち州知事と約1時間の電話会議を開き、この中で「あなたが状況を支配しなければなりません。そうしないなら、あなたは最低の人間に見えるだろう」と警告していました。

「報復をしなければならない。刑務所に1週間留まるだけで済ませるわけにはいきません。これらはテロリストです。 テロリストです。彼らはわれわれの祖国に悪いことをしようとしているのです」

トランプ大統領はホワイトハウスでの演説のあと平和的な抗議行動のため集まった市民を催涙ガスで追い散らし、放火された歴代大統領とゆかりの深いセント・ジョン教会の前に立ち、聖書を右手に掲げました。

米紙ワシントン・ポストの宗教記者の連続ツイートによると、ワシントンの教会を監督するビショップ(高位聖職者)はこう話したそうです。

「トランプ大統領が言うこと為すこと全てが暴力に火を付ける。私たちは道徳的な指導力を求める。彼は私たちを分断するためにユダヤ・キリスト教伝統の聖なるシンボルを利用している。彼の発言と教会は何の関係もない。教会が説くのは隣人愛と自己犠牲の愛、そして正義だ」

ホワイトハウスでの演説でもトランプ大統領は「無辜の生命を破壊し、無実の血を流すことは人道への攻撃であり、神に対する犯罪だ」と神に言及しています。トランプ大統領の言動を見ると11月の大統領選を控え、宗教保守層を意識しているのは疑いようがありません。

事件の発端は偽造20ドル紙幣

白人警察官による黒人暴行死事件は5月25日夕、米ミネソタ州東部ミネアポリスで起きました。アフリカ系のジョージ・フロイド氏(46)が雑貨店でタバコを買おうと20ドル紙幣を渡したところ、若い店員が偽造紙幣であることに気づき、警察に通報しました。

フロイド氏は会場や店の玄関に立つ警備員の仕事をしていましたが、パンデミックで営業を停止する店が相次いだため職を失いました。雑貨店の店主はフロイド氏と顔なじみで、何の問題も起こさない人物であることをよく知っていましたが、その日はたまたま店にはいませんでした。

若い店員はフロイド氏にタバコを返すよう要求しましたが、応じませんでした。フロイド氏は酒に酔っていて、わけが分からないように見えたそうです。警察官2人が駆けつけ、車の中にいたフロイド氏に外に出るよう命じますが、フロイド氏は手錠をされることに抵抗します。

応援に駆けつけた白人警察官(44)が膝でフロイド氏の首根っこを8分46秒も押さえつけ、「息ができない」と訴えていたフロイド氏を死なせてしまいます。白人警察官は殺人罪で起訴されました。アメリカでは白人警察官の公務執行で黒人が死ぬたび大暴動が起きています。

人種間格差と不平等

アメリカは自由と平等の国とよく言われますが、それは事実ではありません。人種間格差と不平等は厳然と存在します。

【貧困の割合】

貧困問題に取り組む市民団体によると、アメリカの貧困率は先住民族25.4%、アフリカ系20.8%、ラテン系17.6%、白人、アジア系各10.1%。

【失業率】

アメリカの失業率は白人3.6%、アフリカ系6.6%、アジア系3.3%、ラテン系5.4%。

【新型コロナウイルスによる死者】

APM研究所の調査では、パンデミックでアメリカの10万人当たりの死者はアフリカ系50.3人、白人20.7人、ラテン系22.9人、アジア系22.7人です。アフリカ系の死者の割合は白人より2.5倍も多いのです。

問題を解決するのではなく原因をつくりだすトランプ氏

米労働省によると、新型コロナウイルス・パンデミックで手当てを受けているアメリカの失業者は一時、2500万人に達しました。混乱が拡大している背景には人種間の対立を煽るようなトランプ大統領の政治パフォーマンスとコロナ対策の失敗があります。

白人支持層の怒りを原動力にするトランプ大統領は対話によって問題を解決するのではなく、原因をつくりだし問題を大きくしています。

一部暴徒化した抗議行動を抑え込むため軍の展開と外出禁止令を宣言したトランプ大統領の強硬姿勢が、香港国家安全法を押し進める中国の習近平国家主席によって正当化の口実に使われることを強く懸念します。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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