新型肺炎「ハッピーバースデー2回歌う間に手を洗おう」と呼びかけた英首相の科学力とコミュ力

新型コロナウイルス行動計画を発表したボリス・ジョンソン英首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

「ウイルスと戦うために私たちができること」

[ロンドン発]新型コロナウイルスの世界的な流行で、イギリスのボリス・ジョンソン首相が3日行動計画を発表しました。水戸黄門には助さん格さんがいたようにジョンソン首相は両脇にイングランド主席医務官と政府首席科学顧問を従えて記者会見に臨みました。

ジョンソン首相はこう訴えました。「ウイルスと戦うために私たちができることを忘れてはなりません。それは手を洗うこと。ハッピーバースデーを2回歌いながら石鹸とお湯で手を洗ってください。科学的に立証された簡単なアドバイスですが、私たちにできる最も重要なことです」

英国民医療サービス(NHS)は「ひょっとして新型コロナウイルスに感染した」と思ったらどう行動すればいいのかアドバイスしています。

(ステップ1)診療所、病院、薬局には絶対に行かない

(ステップ2)NHSの111番に電話やオンラインで連絡

(ステップ3)自宅での隔離を命じられるかもしれない

(ステップ4)電話診断の内容が地域の医療チームに伝えられる

(ステップ5)必要なら感染を調べるPCR検査実施

(ステップ6)医師や看護師が次にどうすれば良いか助言

行動計画は4段階からなります。

(1)封じ込め

新興感染症の流行地域からの国民の退避。水際での検疫と感染者や疑い例患者の隔離、疫学的リンク(感染経路)の追跡。

(2)遅延

手洗いをいつもより頻繁に行う。自分の咳やくしゃみをテイッシュペーパーやハンカチ、肘ブロックで防ぎ、使った後のティッシュペーパーをゴミ箱に捨てる。自分たちでできることをしっかり行い、感染のピークを遅らせる。

感染が拡大した場合は学校の閉鎖、在宅勤務の奨励、ロンドンマラソンやサッカーのイングランド・プレミアリーグなど大規模集会の縮小などの行動がとられる。

(3)研究

ウイルスの研究。検査方法、治療薬、ワクチンを含む革新的な対応を進める。

(4)緩和

人口の最大80%が感染する恐れがある。高齢者や基礎疾患のある重症患者への最善の医療提供。必要があればNHSや地方自治体を国防省が支援。

引退した医師や看護師も動員。労働力の5分の1が発症している恐れがある。社会、公共サービス、経済への影響を最小限に抑える。

「行動計画は世界的な科学者の助言に基づいている」

ジョンソン首相は「ウイルスに感染しても、大多数の人は迅速かつ完全に回復するマイルドな疾患であることは明白」と強調した上で「しかし、このウイルスが世界中に広がっていることへの国民の憂慮を十分に理解しています」と行動計画を発表する理由を述べました。

イギリスの行動計画をもとに筆者作成
イギリスの行動計画をもとに筆者作成

イギリスでは1月31日にイングランド北東部ノース・ヨークシャーで中国人2人の感染が確認され、1人で11人を感染させたスーパースプレッダーも出現。イタリア北部で感染が急激に拡大したのに伴って感染者は3月3日現在、51人にまで膨れ上がりました。

イギリスも感染経路を追える疫学的リンクが途絶え始め、国内感染早期に入った可能性があると判断したようです。

ジョンソン首相は「行動計画はすべての不測の事態に備えるために世界をリードする専門的な科学者の助言に基づいています」「この計画は政府が何をするかを定めたものではなく、科学的助言に基づいて適切な時期にとることができるステップを定めています」と話しました。

19世紀に登場した主席医務官

かつて7つの海を支配したイギリスではコレラが大流行し、外科医ジョン・サイモンが1848年にシティ・オブ・ロンドンの初代主席医務官に、1855年に政府の初代主席医務官に任命されました。政府に対して独立した立場で公衆衛生の状況を報告するのが仕事です。

サイモンは公衆衛生を担当する省を立ち上げて国家の研究部門を発足させるとともに、ワクチンの予防接種システムを完成させました。1866年には公衆衛生法が制定され、その後、公衆衛生の基礎を築き上げました。

ロンドンの国際都市化に伴って貧困問題が浮上し、公衆衛生の悪化は疫病の蔓延と死亡率の上昇を招きました。公衆衛生の改善は大きな社会・政治問題となり、主席医務官の医学的な知見に基づいてさまざまな改革が進められました。

007の「Q」は実在する

一方、政府首席科学顧問は2011年の東日本大震災による福島原発事故で「緊急時対応科学助言会議」を開いて英国民に正確な情報発信を続け、無用の混乱を避けたことで日本にも紹介されました。

英人気スパイシリーズ007には研究・開発を担当する「Q」が出てくるのはご存知でしょう。スパイと科学はイギリスの切り札です。防諜を担当する情報局保安部(MI5)を含め全省庁に首席科学顧問が配置され、政府首席科学顧問をサポートしています。

このため、科学者個人の考えではなくイギリスの科学的知見を結集した助言を首相に伝えることができます。

イギリスの政府首席科学顧問の歴史は第二次大戦にさかのぼります。限られた資源を有効活用してナチスドイツを打ち負かすにはどうすればよいか科学の助言を求めるため、ウィンストン・チャーチル首相が物理学者フレデリク・リンデマン氏を招いたのが始まりです。

大戦でイギリスは工業力と機動力でナチスドイツに圧倒されていました。しかしレーダーや暗号を解読するためのコンピューターなどの開発で形勢を逆転していきます。

政府首席科学顧問は究極の有事に対応するために設けられたポストで、政治と科学の線引きも行動規範で明確に定められています。

2009年の新型インフルエンザ、2010年のアイスランド火山噴火でも助言を行い、温暖化による食糧・エネルギー・水不足が世界を壊滅的な事態「パーフェクト・ストーム」を引き起こす危険性についても政府に警鐘を鳴らしました。

科学不在の日本の政治

日本の福島原発事故では首相と原子力安全委員会委員長が混線し、新型コロナウイルスでも専門家会議の初会合が開かれたのは英国船籍のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染が明らかになった後の2月16日です。

安倍晋三首相は2月27日、専門家会議にも諮らず、全国すべての小中高の臨時休校を要請しました。一方、ジョンソン首相は、学校は可能であれば開いたままにして、イングランド公衆衛生局の助言に従うべきだと述べました。

もちろん日本とイギリスの国内感染のフェーズの違いはありますが、医学と科学の声に従っているところがジョンソン首相と安倍首相の大きな違いです。

訪れた病院で新型コロナウイルスの患者と握手したように冗談を言ったのは「政界の道化師」ジョンソン首相たるゆえんかもしれません。ジョンソン首相は「この段階では私たちの大多数はいつものようにビジネスに取り組むべきだと強調したいと思います」と締めくくりました。

ジョンソン首相のメッセージは非常にシンプルです。われわれ日本国民にできることは20秒間石鹸と温水で手洗いをこまめにすることと病院や診療所に押しかけないことです。安倍首相がしなければならないのは医学と科学の声を真っ先に聞くことです。

限られた医療資源を新型コロナウイルスに脆弱な高齢者や持病のある人に集中させましょう。病院や診療所を第二の「ダイヤモンド・プリンセス」にしてはいけません。

(おわり)