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ベルリンの壁崩壊から30年 問われる自由と民主主義 東ドイツのラストベルトが極右の温床に

木村正人在英国際ジャーナリスト
1989年10月の「月曜デモ」。7万人の人が集まった(写真:ロイター/アフロ)

引き金になった「月曜デモ」

[独東部ザクセン州ライプチヒ]30年前、ベルリンの壁崩壊につながった旧東ドイツ・ザクセン州の最大都市ライプチヒ。共産主義体制下、「宗教の自由」だけは認められていた東ドイツでは教会は唯一の「自由空間」として市民運動の拠点になっていました。

なかでも、ルターの宗教改革とゆかりの深いライプチヒの聖ニコライ教会では反体制派が集まりやすいよう社会主義統一党(SED)の党員が職場集会を開く月曜日夕刻に合わせて「平和の祈り」が行われていました。

ライプチヒの聖ニコライ教会(筆者撮影)
ライプチヒの聖ニコライ教会(筆者撮影)

ポーランドやハンガリーで民主化が進み始めていた1989年9月、平和の祈りの後、市民は「旅行の自由」や民主化を求めてライプチヒの中心街を取り囲む環状道路を練り歩きました。「月曜デモ」の始まりです。

翌10月、7万人がデモに繰り出しても、53年の東ベルリン暴動時のようにソ連軍の戦車は現れませんでした。月曜デモは最大50万人にまで膨れ上がり11月9日、ベルリンの壁は事実上、崩壊したのです。12月4日、東独秘密警察シュタージのライプチヒ本部は住民に占拠されました。

シュタージのライプチヒ本部(筆者撮影)
シュタージのライプチヒ本部(筆者撮影)

共産主義独裁体制下の非人道性を後世に伝えるため、いわゆるシュタージ文書を破棄させてはならないと市民が思ったからです。秘密国家・東ドイツではシュタージが体制を守るため市民に対する盗聴やスパイ活動を徹底し、密告による相互監視網を構築していました。

ベルリンの壁が崩壊した後、市民はシュタージ文書の閲覧を申請し、親友が自分を裏切り、逆に反りが合わないと思っていた人物がかばってくれていた事実を初めて知りました。しかし、自由と民主主義の大切さを歴史的に体験したライプチヒでも反難民・反イスラムを唱える極右の新興政党「ドイツのための選択肢」が台頭しています。

取り残された旧東ドイツ地域

聖ニコライ教会近くでキリスト教民主同盟(CDU)の候補者ルイザ・フローベルクさん(36)が9月1日投票のザクセン州議会選に向け、市民1人ひとりの質問に丁寧に答えていました。筆者は「どうして東ドイツでそんなに『選択肢』が支持を集めているのか」と尋ねてみました。

CDUの候補者ルイザ・フローベルクさん(筆者撮影)
CDUの候補者ルイザ・フローベルクさん(筆者撮影)

「とても難しい質問です。多くの旧東ドイツ市民が取り残されたと感じています。彼らにとってはベルリンの壁崩壊からの30年は非常に痛みを伴う移行期でした。2015年、100万人を超える難民がドイツになだれ込んだ欧州難民危機が起きます。政府には準備がありませんでした」

「自分たちは十分なことをしてもらえなかったのに、政府は難民に住居を与え、生活費まで支給しているという不満が一気に噴き出しました。東ドイツ時代、経済の競争力は西側に比べて劣り、東西ドイツの統一で工場は閉鎖されました」

旧東ドイツ地域にも、ドナルド・トランプ米大統領誕生の原動力となった米中西部の赤茶色にさびついてしまった旧工業地帯「ラストベルト」が出現していたのです。ルイザさんは続けます。

「旧東ドイツ市民は資本主義のメカニズムを全く理解していませんでした。もちろん大学で学んだ若者や起業家は資本主義に順応しましたが、人口のうち小さな割合を占めるグループは仕事を失い、年金も少なく、裏切られたという思いを募らせていたのです」

「こうした現象は東ドイツだけに限りません。トランプ大統領が誕生した米国やポピュリズムが広がる欧州にも共通しています。時代の変化やグローバル企業が生み出す恐怖を人々はコントロールできていないのです」

「そうして人々はスケープゴートを求めるのです。それが難民です。『選択肢』が言っていることは事実ではありません。感情に過ぎません。問題はもっと複雑です。『選択肢』は東ドイツで支持を広げていますが、長期的に持続できる戦略ではありません」

ドイツの東西格差

現在4児の母親になったルイザさんはベルリンの壁が崩壊した時、6歳でした。両親とともに旧西独のハンブルクに逃れていましたが、1997年に戻ってきました。

「旧東ドイツ地域も随分、発展しました。しかし旧東ドイツ時代の教育・育児・医療制度は平等で良かったと懐かしむ人がベビーブーマー世代に多いのは事実です」とルイザさんは話します。

「ノスタルジー(Nostalgie)」の「N」を取ると東を意味するオスト(Ost)と重なることから、旧東ドイツがあたかも理想国家だったかのように懐かしがることを「オスタルジー(Ostalgie)」と言います。現状がうまくいっていない人はノスタルジーにしがみつく傾向が強いと思います。

ドイツの国際放送ドイチェ・ヴェレ(DW)の昨年9月の記事からドイツにおける東西格差について主な数字を拾ってみました。

・1990年の東西ドイツ統一以来、旧西ドイツは1兆7000億ユーロ(約199兆円)の経済援助を旧東ドイツに対して実施

・旧東ドイツ地域の65歳以上人口は24%(ちなみに日本は27.7%)

・東西統一後、若い女性は東から西に脱出。旧東ドイツ地域で18~19歳は男性人口が女性人口より25%も多い

・旧東ドイツ地域の男性の26%が「選択肢」に投票。旧西ドイツ地域より13%も多い

・人口1人当りの国内総生産(GDP)では旧東ドイツ地域は旧西ドイツ地域よりも27%少ない。ドイツ全体の失業率は5.7%なのに、旧東ドイツ地域は8.5%

・ドイツの長者500人のうち旧東ドイツ地域はわずか21人。このうち14人は首都ベルリンに所在

・旧東ドイツ地域の賃金は月2800ユーロ。旧西ドイツ地域の平均の3分の2。旧東ドイツ地域の不動産価格は旧西ドイツ地域の半分

・2017年の時点で旧東ドイツ地域の労働者は平均で67時間も多く旧西ドイツ地域の労働者より働いていた。にもかかわらず年収は3万172ユーロで旧西ドイツ地域より約5000ユーロ少なかった

有権者と政治を結ぶ懸け橋

しかし格差は何も東西間だけに限りません。ドイツ全体を見ても40%の世帯は富が全くないそうです。労働者の20%は低賃金や一時雇い、パートタイムなどの非正規雇用です。低賃金労働者の40%は過去20年にわたって実質賃金の低下に苦しんでいます。

1994年からの20年間でトップ10%の富裕な世帯は実質収入が27%増えたのに対し、中産階級は9%。最底辺層は8%も実質収入が減っていました。旧東ドイツ地域だけではなく、ドイツ全体でも低賃金労働者が増え、貧困に転落するリスクは拡大しているのです。

しかし悪いニュースばかりではありません。「選択肢」ほどではないにせよ、環境政党の90年連合・緑の党への支持も増えています。

「『選択肢』は取り残された人々の失望や怒りを利用しています。主要政党の職業政治家はバブルの中に閉じこもり、有権者との間に距離を作ってしまいました」と緑の党の候補者は言います。

「政治を有権者の手に取り戻し、信頼を回復する必要があります。私は弁護士で、ジャーナリストも候補者として参加しています。右も左もない。世代も関係ない。西も東もありません。私たちは私たちの政治を行う必要があります」

「16歳のスウェーデンのグレタ・トゥンベリさんのように若い世代にとって最大の関心事は地球温暖化や環境問題。私たちは有権者と政治を結ぶ懸け橋になります」

資本と労働を対立軸にした右と左の政治は大きな転換点を迎えています。旧東ドイツ地域のザクセン州とブランデンブルク州は9月1日どんな答えを出すのでしょう。ベルリンの壁崩壊から30年、自由と民主主義が改めて厳しく問われています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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