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安倍首相も他人事ではないトランプの貿易戦争 英国のEU離脱交渉に口先介入 強硬離脱派は”鉄砲玉”扱い

木村正人在英国際ジャーナリスト
トランプ米大統領の訪英に抗議する英国の市民デモ(昨年7月、筆者撮影)

「米英貿易協定は簡単ではない」

[ロンドン発]「英・北アイルランドとアイルランド間の国境管理をなくしたベルファスト合意を少しでも損なうようなことがあれば、米国と英国の間で自由貿易協定(FTA)が結ばれることはありません」――米民主党のナンシー・ペロシ下院議長(79)が15日、英名門大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでの講演でこんな警告を発しました。

プロテスタント系とカトリック系住民が争い、約3600人の犠牲者を出した北アイルランド紛争に和平をもたらした1998年のベルファスト合意。米国にはアイルランド系移民が多く、米民主党のビル・クリントン大統領(当時)も仲介して合意を後押ししました。彼は昨年、北アイルランドのベルファストで開かれた20周年イベントにも招かれました。

島国の英国と欧州連合(EU)の陸続きの国境は北アイルランドとアイルランド間の499キロメートルだけです。ベルファスト合意でこの国境は自由に行き来できるようになり、年に1億1000万人がマイカーで、90万人が鉄道で国境を越えています。かつて国境検問所があった15のポイントを年4300万台の車が通過しています。

英国のEU離脱交渉を巡ってアイルランド国境問題が交渉のトゲとなり、離脱期限は当初の3月末から10月末に先延ばしされました。

強硬離脱派のゴリ押しで「合意なき離脱」になって税関や検疫所など「目に見える国境」が復活した場合、英国はベルファスト合意を一方的に破ることになってしまいます。超党派の議員団を率いるペロシ議長は仲介国として強硬離脱派に釘を刺した格好です。

トランプ大統領の口先介入

米国は英国とアイルランドに強いつながりを持っています。ペロシ議長はどちらの国の肩も持たないと断った上で、和平を実現させた価値を強調しました。

「米議会で貿易協定を通すのは非常に難しく、通過は約束されたものではありません」

「ベルファスト合意は700年に及んだ対立を終わらせました。これは単なる条約ではなく、価値なのです。世界に範を示す、私たちが誇るべき価値なのです。私たちはこの規範を他の合意によって置き換えることを望んでいません」

背景には、英国内の強硬離脱派を煽るドナルド・トランプ米大統領の策略があります。国際協調に背を向け、保護主義と孤立主義に傾くトランプ大統領は野党の民主党だけでなく、与党の共和党議員とも対立しています。ペロシ議長は、トランプ大統領の甘言に強硬離脱派が踊らされていることに警鐘を鳴らしたのです。

中国と並んでEUを貿易赤字の元凶として敵視するトランプ大統領は英国のEU離脱を好機と見て、何度も口先介入しています。ごく最近も「英国のEU離脱交渉がこんなに悪い状況に追い込まれていることに驚いている。しかし米国と英国は正しい方向に向かうだろう」と話しました。

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1997年には170億ドル足らずだった米国の対EU貿易赤字は昨年、1693億ドルにまで膨れ上がりました。トランプ大統領は航空産業への補助金が不当だとしてEUから輸入する110億ドル(1兆2000億円強)の製品に関税をかけると脅してEUを通商交渉の場に引きずり出しました。しかし、EUは「農産品と政府調達に関しては話さない」と予防線を張っています。

米大統領のアドバイスを笑い飛ばしたメイ英首相

トランプ大統領の首席戦略官兼上級顧問だったスティーブン・バノン氏は3月中旬、英TVスカイニューズで、トランプ大統領がテリーザ・メイ英首相に与えたEU離脱交渉の極秘アドバイスを明らかにしています。

トランプ大統領の助言を笑い飛ばしたメイ英首相(筆者撮影)
トランプ大統領の助言を笑い飛ばしたメイ英首相(筆者撮影)

それによると、メイ首相が訪米した際、トランプ大統領は「よく聞きなさい。まず、合意を巡って意見は対立するので最終の着地点より高い目標を掲げなさい。次に6カ月以内に合意することにこだわりなさい。第三にたとえ後で訴訟になったとしても矢筒の中のすべての矢を使いなさい」と助言しました。

メイ首相はこのアドバイスを一笑に付したそうです。バノン氏は「彼女は交渉の複雑さを理解しておらず、率直に言って恐ろしいほど洗練されていなかった」とこき下ろしました。

新党「ブレグジット党」を立ち上げたファラージ党首(筆者撮影)
新党「ブレグジット党」を立ち上げたファラージ党首(筆者撮影)

「合意なき離脱」を唱える強硬離脱派のナイジェル・ファラージ元英国独立党(UKIP)党首は新党「ブレグジット党」を立ち上げ、5月の欧州議会選に向け、活動を本格化させています。バノン氏は「トランプ大統領はメイ首相よりファラージ氏から大きな影響を受けている」と明かしています。

トランプ大統領が大嫌いなメルケル独首相

トランプ大統領の長男ドナルド・トランプ・ジュニア氏は、強硬離脱派を主導する英保守系紙デーリー・テレグラフに「メイ首相は父のアドバイスに耳を傾けるべきだった」と指摘。「交渉は2~3カ月の短期間で行うべきだったが、何年もかかる暗礁に乗り上げ、英国民を宙ぶらりんにしてしまった」とあげつらいました。

一方、超タカ派のジョン・ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)はTVスカイニューズに「英国の政治家はEU離脱を選択した国民投票の結果を実現するのに失敗した」と非難し、「トランプ大統領は明白にこの問題が解決されて米国と英国が再び貿易協定を結べるようになることを望んでいる」と強調しました。

トランプ大統領から目の敵にされているメルケル独首相(筆者撮影)
トランプ大統領から目の敵にされているメルケル独首相(筆者撮影)

トランプ大統領は対ドイツ貿易赤字を問題視しています。ドイツはEU拡大で旧東欧・バルト三国などの低賃金労働者が豊富に使えるようになり、ユーロ圏の重債務国のおかげでドイツ経済の実力に比べ常に通貨安の状態(「過小評価された暗黙のドイツマルク」米国家通商会議トップのピーター・ナバロ氏)を享受できるようになりました。

トランプ政権は米国経済低迷の原因を中国の世界貿易機関(WTO)加盟とEU統合にあると見ているふしがあります。低価格の製品を輸入すればするほど米国内の工場で働く労働者の賃金は下がり、工場が閉鎖され、仕事を失う人も出てきます。これが、トランプ大統領がEUとドイツのアンゲラ・メルケル首相を目の敵にする理由なのです。

第二次大戦以来、米国との「特別関係」を最優先にしてきた英国も、トランプ大統領にとってはEUに楔(くさび)を打ち込む、使い捨ての“鉄砲玉”に過ぎないのです。トランプ政権の甘言に乗せられて英国が強硬離脱に突き進むとEUとの貿易を大きく損なうだけで、米国との新しい貿易協定はなかなか結べない八方塞がりの状況に追い込まれる危険を伴います。

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日本も日米貿易協定交渉に臨んでいます。米国の対日貿易赤字は対EUに比べてそれほど激増しているわけではありません。安倍政権は日米安保とバランスを取りながら粘り強い交渉が求められています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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