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日本にも生活賃金を ロンドンは時給1555円に ボトムアップの賃上げで資本主義の信頼を取り戻せ

木村正人在英国際ジャーナリスト
渋谷のファストフード店で最低賃金引き上げを訴える市民(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

最低限の生活を維持する賃金

[ロンドン発]生活賃金という言葉をご存知でしょうか。使用者が法律に基づき労働者に対して最低限支払わなければならない「最低賃金」と違って、労働者が最低限の生活を維持するために必要な生計費から算定した賃金が「生活賃金」です。

グローバル化とデジタル化による産業構造の変化に伴い賃金が生計費の下限を超えて押し下げられたため、ロンドンでは1日に別の職場で2度働く「ダブルワーク」の低賃金労働者が続出。「子供と過ごす時間を返して」と英国では2001年以降、使用者に生活賃金の導入を求める運動が高まりました。

労働組合や宗教団体、NPO(非営利組織)でつくる英民間団体「生活賃金財団(Living Wage Foundation)」は11月5日、18歳以上の実質生活賃金を時給9ポンド(1326円)、ロンドンの生活賃金を10.55ポンド(1555円)に引き上げると発表しました。

日本の最低賃金は10月に全国平均で874円、東京は985円に引き上げられたばかりですが、英国と比べると1.5倍以上の開きがあります。

最低賃金の国際比較

日本の最低賃金がどれだけ低いか、最低賃金の国際比較グラフ(2017年実質ドルの購買力平価換算)を見ておきましょう。購買力平価(PPP)とは、日本では390円で買えるビッグマックが米国では5.3ドルするなら5.3ドル=390円で、1ドル=73.58円が購買力平価という考え方。ちなみに現在の為替レートは1ドル=113.17円です。

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経済協力開発機構(OECD)のデータによると、ルクセンブルクの実質最低賃金は時給11.45ドル。フランス11.28ドル、ドイツ10.59ドル、英国8.65ドル、カナダ8.37ドル、日本7.99ドル、米国7.25ドル、韓国6.43ドルです。

最低賃金が低く抑えられ過ぎると、米国で過激なトランプ政権が誕生したことからも分かるように社会不満がたまり、いずれは爆発してしまいます。

日本では最低賃金を上げると雇用が削減されると考えられています。日本の失業率は2.3%と完全雇用の状態。市場に任せておけば賃金は自然に上昇していくはずなのに、そうはなりません。

日本の労働市場には正規雇用のシニアを守るという労使が結託した「保護主義」が強く働いているからです。経済団体や労働組合の後ろ盾を持たない非正規雇用労働者から搾取のし放題という状態が続いています。

この問題を解消するために、日本でも英国の生活賃金財団を見習って民間主導で下請けも含めた生活賃金を導入してはどうでしょう。

法定生活賃金を導入した英国

最低賃金制度の一環として、英国政府は2016年4月、民間の生活賃金とは別に法定の「全国生活賃金」を導入しました。現在、25歳以上の生活賃金は時給7.83ポンド(1154円)、21~24歳に適用される最低賃金は7.38ポンド(1088円)です。

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これに対して最大野党・労働党は時給10ポンド(1474円)の生活賃金を訴えています。

生活賃金財団の生活賃金を導入する使用者は英国全体で4700社、ロンドンで1500社以上にのぼります。今回の引き上げは交通費や住宅費、カウンシルタックスと呼ばれる住民税の上昇に伴うもので、労働者18万人の賃金が上がります。

民間の生活賃金キャンペーンに賛同する国際コンサルティング会社KPMGの報告書によると、17年時点で労働者全体の21%に当たる550万人(前年は22%、560万人)が生活賃金を下回る賃金しかもらっていなかったそうです。

生活賃金を下回る労働者の内訳はパートタイム310万人、フルタイム240万人。性別では女性340万人、男性210万人。職種別では販売・小売店補助74万人、レストランやケータリングの補助41万人、清掃や家事39万人、介護・在宅サービス28万人とサービス業が中心です。

生活賃金の効用

シンクタンク、レゾリューション財団の調査では法定の全国生活賃金の導入で低賃金労働者の割合は劇的に下がっています。使用者は懸念された雇用削減ではなく、値上げで対応するケースが多かったようです。

生活賃金財団の調査では、生活賃金の導入で「企業の評価が上がった」86%、「労働者のモチベーションと定着率が上がった」75%、「同業他社との差別化が図れた」64%、「管理職とスタッフの関係が改善した」58%と全体の93%がプラスになったと回答しました。

経済のグローバル化やデジタル化で生産拠点が途上国に移り、テクノロジーが労働者に取って代わりました。労組の組織率が下がり、労働者の賃上げより投資家への配当が重視されるようになりました。

世界金融危機後、使用者が苦境を乗り切るため正規雇用を減らして実習生や労働者を必要な時にだけ呼び出して使用できる「ゼロ時間(待機労働)契約」を増やしました。このため失業率は下がっても実質賃金は下がり、所得配分の機能は低下してしまいました。

格差を解消するには、富の再分配を強化するより、所得配分を高める方が効果的と考えます。賃金を下げてばかりでは資本主義より社会主義や共産主義がいいという人が増えるのも無理からぬことです。

先進国では失業率は下がってきています。今、賃金を上げることこそ資本主義が人々の信頼を取り戻す一番の特効薬です。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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