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文春砲「スクープを止めるな!/日経新聞が報じない子会社FTトップ高額報酬」は何を意味するのか

木村正人在英国際ジャーナリスト
FTの電子版

CEOの報酬は駆け出し記者の100倍

[ロンドン発]「彼の給与は元々高すぎる!」「侮辱的だ!」というセンセーショナルな書き出しで始まる週刊文春の記事が気になって、英メディアを調べてみました。

2015年11月、日経新聞は英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)を8億4400万ポンド(当時の為替レートで約1600億円)で買収。そのFTのジョン・リディング最高経営責任者(CEO)が「報酬が高すぎる」と現場の記者から突き上げられているという記事です。

英国の欧州連合(EU)離脱交渉の雲行きが怪しくなり、英通貨ポンドは下がったので、現在の為替レートだと約1200億円。円建てでみると400億円も高い買い物をしたことになります。買収の結果、日経は約953億円の「のれん代」を計上し、毎年約50億円ずつ償却しています。

FTはアングロ・サクソン系なので社長と社員の給与格差は日系企業に比べて大きくなっています。リディング氏の報酬が8月中旬、新聞労働組合連合のFT労組で問題になりました。

英紙ガーディアンは「労働組合はリディング氏の報酬は駆け出し記者の100倍と抗議」「レディング氏は昇給分を返上」という見出しを掲げて報じました。

同紙が入手した組合員に送信された労組の電子メールには「ジョン・リディング氏は昨年、駆け出し記者のサラリーの100倍の報酬を受け取った」と書かれていました。

「リディング氏の報酬は昨年25%以上もアップした。ロンドン証券取引所に上場する企業の時価総額上位100社で構成されるFTSE100のCEOの昇給率の中央値(11%)の倍以上だ。今日、私たちは11%について強欲だと報じたばかりなのに」

7300万円を返上

リディング氏は2006年にFTに入社してから報酬が442%もアップしたそうです。最近では15年の170万ポンド(2億4300万円)から16年には204万ポンド(2億9100万円)、そして17年には255万ポンド(3億6400万円)とトントン拍子に昇給してきました。

見習い記者の給与は360万円前後のようです。

17年度、FTの営業利益は400万ポンド(5億7100万円)。リディング氏の報酬はその半分以上とあって現場の記者はカンカンです。その怒りを鎮めようと、リディング氏は17年の昇給分である51万ポンド(7300万円)、税金を引いて28万ポンド(4000万円)を返上し、女性の昇進と昇給に当てると宣言しました。

FTの男女間の賃金格差は18.4%で、ガーディアン紙の8.4%に比べるとかなり大きくなっています。「それっぽっちでは足りない」と労組側の怒りは収まりません。CEOの報酬を増額するぐらいだから、FTの業績は随分、上がっているに違いありません。過去3年間の業績を簡単に見ておきましょう。

2015年

デジタルと紙の購読数は78万部(前年比8%増)。このうちデジタルは12%増の56万6000部。1日当たりの読者は8%増の210万人(携帯電話は13%増)。世界各地でイベントを200回開催し、2万1000人を動員。上級役員向けフォーラムの会員数は88%増。この年の11月に日経がFTを買収。

2016年

デジタルと紙の購読数は85万部(前年比8%増)。このうちデジタルは14%増の65万部。英国の欧州連合(EU)離脱とドナルド・トランプ大統領が誕生した米大統領選前後の数週間はそれぞれ購読者が他の週平均に比べて75%、33%も跳ね上がる。

FT.com(デジタル版)のダウンロード速度はデスクトップのパソコンで1.5秒、携帯電話で2.1秒と世界トップクラス。これでデジタル版の訪問、閲覧が30%も増加。デジタル部門と編集部門で数々の賞を受賞。

2017年

デジタルと紙の購読数は91万部(前年比8%増)。このうちデジタルは10%増の71万4000部。リディング氏は「メディアのエコシステムの混乱は続いているが、FT は強い成長を続けている」と宣言。デジタル部門と編集部門はこの年も数々の賞を受賞。ブランド広告の収益は64%も成長。

1%の超富裕層を獲得するFTの戦略

FTのデジタル戦略は着実に成功を収めています。CraftというサイトからFTの収益と粗利益を拾ってみました。

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しかし、この数字はグローバルに展開するFT全体の業績を表していないようです。FT紙によると「グローバルで見たFTの営業利益は2017年、前年より倍増し、2000万ポンド(28億5700万円)を優に超えた」そうです。

FTは世界1%の超富裕層を獲得することを目指しており、デジタルと紙の100万部達成を完全に視野にとらえています。

ハイエンドの購読者を対象に高額商品の広告や講演会などのイベントを売って稼ぐ方針です。購読者のマーケティングをするためにはデジタル化が不可欠なのは言うまでもありません。

国内では縮小均衡を図る日経

日経は押し紙を切る一方で、月ぎめ購読料を4509円から4900円(消費税込み)に値上げした結果、1年間で30万部近くも部数を減らし、今年7月時点で紙が242万部、デジタルが60万部になりました。

営業利益は14年167億円、15年158億円、16年99億円、17年105億円とFT買収の負担が響いています。ちょうど、のれん償却費の50億円だけ営業利益が減った格好です。

少子高齢化と人口減少が進む日本の新聞社は縮小均衡を図りながら徐々に紙からデジタルに切り替えていくしかありません。

FTの1600億円が高い買い物であったことは間違いありません。しかし打って出なければ、優良企業の日経と言えども座して死を待つのみです。

FT買収でグローバル化とデジタル化にかけた日経の戦略はまだ緒についたばかりです。リディング氏の昇給ぶりをみると、決して悪い方向には進んでいないように見えるのですが。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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