「医師を辞めても私を愛してくれますか」過労自殺した英国の25歳女性医師 医療危機は乗り越えられるか

NHSの契約更改に抗議するジュニアドクター(2016年)(写真:ロイター/アフロ)

「ブラック」すぎる医療現場

[ロンドン発]東京医科大(東京)が医学部医学科の一般入試で女子受験者や3浪以上の男子受験者の合格者数を抑制していたことが大きな社会問題になっています。その背景に「無理のきく若い男性」が重宝される「ブラック」すぎる医療現場の実態が指摘されています。

しかし医療現場が「ブラック」すぎるのは、どうやら日本だけではないようです。英国では「ジュニアドクター」と呼ばれる若手医師の女性が勤務中に病院を抜け出して入水するという痛ましい事件が起きています。

ジュニアドクターのローズ・ポルジさん(当時25歳)は英イングランド南西部デボンという海辺の街にあるトーベイ病院で働いていました。2016年2月、勤務を抜け出したあと行方が分からなくなり、2カ月後、近くの海で遺体となって見つかりました。

乗り捨てられていた彼女の車から家族に宛てたメモが残されていました。その中には「多くの医師が、抱えきれないほどのプレッシャーの下で働いている」「深刻な不安をもたらす恐れがある過労と膨大な仕事量と向き合っている」と過酷な医療現場の実態が記されていました。

メモにはNHS(国民医療サービス)で勤務するジュニアドクターの勤務条件を厳しくしようとしていたジェレミー・ハント保健相(現外相)の名前もありました。ローズさんはハント保健相が主導するジュニアドクターの契約更改に反対するストライキを支持していました。

「長時間勤務、悩み、未来に対する絶望」

ローズさんは医師一家の生まれ。祖父は低温生物学の基礎を築いた高名な生物学者、父親は「GP」と呼ばれる掛かりつけ医、兄弟姉妹も医師や眼科医でした。家族はローズさんの記憶をとどめるため、寄付を呼びかけ、その中でこう綴っています。

「彼女は25歳、ジュニアドクターとして働き始めて1年目でした。急速にひどく苦しむようになり、自らの命を絶ちました」「長時間勤務、仕事の悩み、医療現場で働く彼女自身の未来に対する絶望が痛ましい最期の決断につながったのは明白です」

死因審問では、ローズさんは平日に5日間勤務したあと、週末も出勤し、11日間連続で働くような状況を心配していました。5年間交際しているボーイフレンドの医師によると、入水した当日の朝、ローズさんはひどく落ち込んで彼にこう尋ねたそうです。

「私が医師を辞めても、私のことを愛し続けてくれる」

ボーイフレンドは死因審問で「彼女は、回りで見ていて分かるほど、仕事に対する自信喪失に苦しんでいました」「医師がこの仕事を続けていけるかと苦悩しているなら、自分の失敗と無能を責めてしまう恐れがある」と唇を噛み締めました。

医師、中でも女性医師の自殺率は高い

ローズさんは医師を辞めることや眠れないことを口にしており、医師の診断を受け、家族と一緒に過ごすことに同意しましたが、悲劇は防げませんでした。医師の自殺、中でも女性医師の自殺が多いのは何も今に始まったことではありません。

英精神医学ジャーナルに1996年に掲載された論文によると、男性医師の自殺リスクは一般男性の1.1~3.4、女性医師は一般女性の2.5~5.7。他の専門職に比べても男性医師は1.5~3.8、女性医師は3.7~4.5と、医師の自殺リスクは高く、女性医師の自殺リスクはさらに高くなっています。

米精神医学ジャーナルにも2004年に同じような論文が掲載されています。男性内科医の自殺率は全体に比べて1.41、女性内科医は2.27とそれぞれ高くなっていました。

ローズさんのような将来有望な女性医師の悲劇を繰り返すまいと、家族が呼びかけた寄付は目標の5000ポンド(約72万円)をはるかに上回り、3万5000ポンド(約505万円)近く集まりました。

人道的危機に陥る英国の医療現場、急患も最大54時間待ち

原則、無料というNHSは高齢化、予算の逼迫、欧州連合(EU)離脱による医療従事者の不足で未曾有の危機に直面しています。

昨年1月には、英国赤十字社が「イングランド地方のNHSの病院や診療所が混雑し過ぎて適切な医療を受けられない」「人道的危機だ」と警鐘を鳴らす事態に陥りました。

イングランド西部ウスターシャー州にあるNHS病院では、通路でストレッチャーにのせられていた患者2人が死亡しました。1人は35時間待たされた挙句、心臓停止しました。動脈瘤を患っていたもう1人は治療を受けることができましたが、亡くなってしまいました。

この病院ではクリスマスからニューイヤーにかけ最大54時間待ち。イングランド地方で昨年1月の第1週、4時間以上待たされた急患は全体の22%。4時間以上待たされた急患は1万8000人、12時間以上待たされたのは485人にのぼったそうです。

英国では第二次大戦後、NHSを導入し「揺りかごから墓場まで」ともてはやされます。貧しくても万人が必要な医療を平等に受けられるように病院や診療所を国有化し、すべての医療サービスを税金で運営するようにしたのです。

「小さな政府」と「新自由主義(市場原理)」を導入した1980年代のサッチャー革命でNHSの財政は逼迫し、病院の待ち時間は長くなってしまいます。労働党のブレア、ブラウン政権の取り組みで、待ち時間はかなり改善されました。

病院で専門医に診てもらうまでに18週間以上まつ患者数はイングランド地方で47万人超いましたが、12年11月には13万5000人にまで改善。しかし昨年8月には再び41万人近くまで増えています。

女性医師の拡大で総量確保を

先進国の中で女性医師の割合と医療の質の相関関係を調べてみたところ、両者の相関関係はあまり強くありません。医療の質を維持するためには、「医師の数×勤務時間」の総量と予算を確保することが大前提になります。

無理がきく若い男性に代わって女性が医療現場で働くようになると、男性と同じように働くことを求められれば、ローズさんのような悲劇が繰り返されることになります。かといって医師全体の勤務時間を減らすと医療サービスの量も質も維持することが難しくなります。

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OECDデータ(14年)から人口1000人当たりの医師数を比較してみましょう。英国は2.79人、日本は2.45人です。ドイツの4.11人に比べると日本の医師数は随分少なくなっています。京都府や東京都は3人を超えていますが、首都圏の埼玉県では1.59人で医師不足が顕著です。

日本の医療は現場の医師や看護師ら医療従事者の頑張りでもっています。女性医師の割合を増やしながら医療の質を保っていくためには、まず医師の数を増やさなければならないでしょう。

次に、医療従事者の時短を図るためには医師とその他の医療従事者の役割の見直し、人工知能(AI)を含む革新的なICT(情報通信技術)の導入、大学医学部、病院、診療所のネットワーク化を進める必要があります。

割安の後発医薬品を取り入れることや過剰医療を抑制することで医療予算を捻出していく工夫も求められます。

東京医科大学の入試不正は、女性差別という問題だけでなく、女性医師が増加していくのに伴って医療現場に求められる変革を私たちに厳しく問いかけているのです。

(おわり)