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プーチン支持率急落 世界最強者もお年寄りと泣く子には勝てなかった W杯と米露首脳会談の成功はいずこ 

木村正人在英国際ジャーナリスト
世界最強のプーチン露大統領にも弱みはあった(写真:ロイター/アフロ)

「死ぬまで働きたくない」

[ロンドン発]決勝トーナメントで無敵艦隊スペインを撃破したサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の熱狂、ヘルシンキ米露首脳会談でドナルド・トランプ米大統領を思うままに操ってみせた外交上の大勝利も束の間、 7月28日、首都モスクワをはじめロシア各地で年金支給年齢の引き上げに反対する大規模な集会が開かれました。

主催者・ロシア連邦共産党の発表によればモスクワでは最大10万人が参加したとされていますが、英BBC放送は、参加者は1万2000人と報じています。下は共産党に属する下院議員のツイートです。

モスクワでは共産党支持者や労働組合員、ナショナリストらが「年金で暮らしたい。死ぬまで働きたくない」と書かれた横断幕を掲げました。死に装束をまとい、死神の持ち物とされる大鎌や骸骨を掲げる人も参加し、「私たちはそんなに長生きできない」「政権交代を!」と声を上げました。

ロシア政府は年金制度の破綻(はたん)を防ぐため、支給開始年齢を男性は60歳から65歳に、女性は55歳から63歳に引き上げようとしています。改革案はすでに下院を通過、上院での審議開始を待っています。しかし、すでに300万人近い反対署名が集まっているそうです。

現行の支給開始年齢が定められたのは実に独裁者スターリン支配が始まった頃に遡(さかのぼ)り、それから一度も引き上げられたことはありません。ウラジーミル・プーチン大統領も2005年に「自分が大統領の間に年金の支給開始年齢を引き上げることはない」と断言していました。

短命の男性はウォッカの飲み過ぎ

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自然が厳しいロシアの平均余命(15歳時)は現在、男性50.6年(65.6歳)、女性61.7年(76.7歳)。男性の寿命が極端に短いのは、アルコール度数の強いウォッカの飲み過ぎが原因です。支給開始年齢を男性65歳、女性63歳に引き上げると、その年まで生きられない人が増えます。

他の先進国に比べると平均寿命が短いロシアでも高齢化は進んでいます。国連の人口予測によると、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)100人に対する65歳以上の割合は下のグラフのようになります。

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低位シナリオでは2090年に58近くに達するため、年金制度改革は避けては通れません。

現在の年金生活者は4000万人で、財源となる年金基金への国家補助は国内総生産(GDP)の2.5%に達しています。35年に年金生活者は4250万人に増加するとみられています。

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上の人口構成グラフを見れば、これからの年金世代を支える若年層は旧ソ連崩壊の苦境で随分、へこんでいることが分かります。

プーチン大統領は今年3月の大統領選でも年金制度改革には言及しませんでした。付加価値税(VAT)も来年1月に18%から20%に引き上げられることになり、「取り巻きの富裕層ばかり優遇して、取りやすい労働者から搾取しようとしている」という批判が沸き起こりました。

国営世論調査会社VTsIOMによると、大統領支持率は5月の80%から64%に急落しています。

支給開始年齢とVAT税率を引き上げるという発表は、ロシア代表がサウジアラビア代表に5-0で大勝したW杯開幕試合の6月14日に合わせるように行われました。W杯の熱狂やヘルシンキ米露首脳会談でも、国民の目をごまかすのは無理だったようです。

「母親資本」で出生率回復

ロシアは、少子高齢化と人口減少が急激に進む日本と同じように深刻な人口問題を抱えています。国連の人口予測によると、高位シナリオに基づかない限り人口は増加せず、低位シナリオだと2100年に8000万人を下回り、7718万人にまで減少すると予測されています。

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人口規模は国力に直結するため、プーチン大統領はウォッカを飲みすぎる男性ではなく、母親を支援して出生数と出生率の回復に努めます。

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保育の義務教育化や待機児童問題に取り組みました。06年の年次教書演説をきっかけに、育児休暇の有給期間が1年半に延長され、平均給与の4割が保障されるようになりました。

翌07年から「母親資本」と呼ばれる制度も始まり、第2子以降を持った母親と、2人以上の子供の養父に対し、第2子以降が3歳になった時に当時の平均年収の2倍近くに相当する25万ルーブルが手当されるようになりました。

こうしたプーチン大統領の育児支援策でロシアの出生数と出生率はベビーブームもあってV字回復しました。

その一方で、年金制度は打ち出の小槌でもない限り、平均寿命が伸びれば、支給開始年齢を引き上げない限り、制度は破綻してしまいます。「高福祉」を求めるのなら「高負担」は当然です。

しかし国民が問題にしているのは、自らのサバイバルを再優先にするプーチン大統領が「プーチノクラシー」と呼ばれる腐敗と癒着の統治構造には全くメスを入れず、支給開始年齢とVAT税率の引き上げで国民にだけ痛みを強いようとする政治姿勢です。

石油・天然ガス市場の高騰をあてにした「バラマキ」はいつまでも続きません。しかし、今回の大規模デモがプーチン大統領の政権基盤を揺るがすかと言えば、そうはならないでしょう。

プーチン大統領は支給開始年齢の引き上げとは最初から距離を置いており、最後はドミートリー・メドベージェフ首相に責任をなすりつけるかたちで、厳しい改革案を少し緩和して決着を図るとみられています。

資源に恵まれたロシアがウクライナやシリアへの軍事介入にカネを使うのではなく、本気で構造改革を進め、石油・天然ガス経済への依存度を減らして高賃金経済に転換した後に年金を含む社会保障制度の改革に取り組めば、まだまだ成長余地があるだけに残念です。

(おわり)

参考:「ロシアにおける子育て支援政策の現状と課題」村知稔三著

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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