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【W杯ルポ】フランス20年ぶり優勝 強さの秘密は「バンリュー」にあった 若きエムバペの故郷を訪ねて

木村正人在英国際ジャーナリスト
フランスの若きエース、エムバペ(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「わが街のヒーロー」

[パリ郊外ボンディ]サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会の決勝戦、フランス対クロアチア戦が15日、モスクワのルジニキ・スタジアムで行われました。「レ・ブルー(フランス代表の愛称)」はFWグリーズマン、エムバペ、MFポグバの活躍で初優勝を狙うクロアチアを4-2で破りました。

フランスの優勝は、ディディエ・デシャン現代表監督やジネディーヌ・ジダン前レアル・マドリード監督がプレーしたフランス大会以来、実に20年ぶりです。

筆者は決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦(4‐3)で4人抜きの「電光石火のドリブル」をみせPKを獲得したほか、逆転弾を含む2得点を決めたフランスの19歳、FWエムバペ(パリ・サンジェルマン)のホームタウンにやって来ました。

ボンディ駅前にはアフリカの民族衣装を着た女性の姿が目立つ(14日、筆者撮影)
ボンディ駅前にはアフリカの民族衣装を着た女性の姿が目立つ(14日、筆者撮影)

パリ郊外にあるボンディという人口5万3000人ぐらいの小さな街です。14日午後に訪れると、ボンディ駅前は青空市場が片付けられたあとで、アフリカの民族衣装を着た女性がたくさんいました。

フランス代表の2点目に狂喜乱舞するボンディの人たち(15日、筆者撮影)
フランス代表の2点目に狂喜乱舞するボンディの人たち(15日、筆者撮影)

15日は「わが街のヒーロー」エムバペをみんなで応援しようと多くの人が地元のスタジアムに集まってきました。エムバペは今大会、2番目の若さ。決勝トーナメントで10代の選手が1試合に2点以上決めたのは1958年スウェーデン大会のペレ以来です。

ビッグスクリーンに映し出される試合に見入るボンディの人たち(15日、筆者撮影)
ビッグスクリーンに映し出される試合に見入るボンディの人たち(15日、筆者撮影)

エムバペはバロンドール(欧州の年間最優秀選手に贈られる賞)に5回も輝いているアルゼンチンのスーパースター、メッシとの世代交代を鮮烈に印象付けました。

「バンリュー」と呼ばれるパリ郊外

ボンディは、低所得者向けの公営高層住宅(日本で言う団地)が建ち並ぶパリ北東の郊外「バンリュー」の中にあります。フランス代表23人のうちエムバペをはじめ、MFポグバ、カンテ、エンゾンジ、マトゥイディ、DFメンディ、キンペンベ、GKアレオラの8人が「バンリュー」の出身です。

「バンリュー」出身の才能あふれる若者がクレールフォンテーヌ国立サッカー養成所で育成され、「レ・ブルー(フランス代表の愛称)」に加わるのは決して珍しいストーリーではありません。

第二次大戦後、復興の人手不足を解消するためフランスはアルジェリア、モロッコ、チュニジアやサブサハラといった植民地から労働力を集めます。石油ショックによる不景気でこうした労働者は不要になったのですが、移民はパリ郊外に建てられた高層の公営住宅に住むようになりました。

当時は移民統合政策が採られていなかったため、「バンリュー」は隔離された移民居住区のようになってしまいました。2005年には就職差別や社会格差に対する不満が爆発し、「バンリュー」から移民第2、3世代の暴動が起き、全国に拡大します。死者や3000人近くの逮捕者が出る大惨事になりました。

1998年のW杯フランス大会での初優勝で、アルジェリア系移民のジダンは「移民統合」のイコン(聖像)になりました。しかし、犯罪に対する社会不安から、2002年のフランス大統領選では極右政党・国民戦線率いるジャン=マリー・ルペン党首が決選投票に進出する「ルペン・ショック」が起きます。

フランスの人口は6700万人。このうち外国生まれが500万~600万人、移民2、3世は600万~700万人と推定されています。

サッカーが強める地域の絆

ボンディには、エムバペが「ボンディは可能性の街だ」と呼びかける巨大な看板広告が高層住宅の壁に掲げられています。高層住宅は、バンリューと低所得者移民の象徴です。

エムバペは、カメルーン出身のサッカー選手、指導者の父親とアルジェリア人のハンドボール選手の母親との間に生まれます。地元のスポーツクラブ「ASボンディ」でボールを追いかけ、クリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)のポスターを部屋の壁にはるサッカー少年でした。

エ厶バペが育ったスポーツクラブ「ASボンディ」(筆者撮影)
エ厶バペが育ったスポーツクラブ「ASボンディ」(筆者撮影)

英語、イタリア語、フランス語にも堪能なフランス在住のジャーナリスト、西川彩奈さんの協力を得てボンディを訪れると、報道されているような「怖い」「危ない」という印象は全くしませんでした。「ASボンディ」本部の隣にある人工芝のミニサッカーコートではヨチヨチ歩きの子供からティーンエイジャーまでサッカーを楽しんでいました。

サッカーを楽しむボンディの子供たち(筆者撮影)
サッカーを楽しむボンディの子供たち(筆者撮影)

「エムバペのことはみんな知っているよ。有名になってからも時間ができたら必ずパリ・サンジェルマンやフランス代表のユニフォームをたくさん持ってボンディのグラウンドに戻って来る。みんなとセルフィー(自撮り)をしたり笑ったり、傲慢なところは一つもない。速くて巧みなドリブルは小さい時から変わっていない」

フォファナ君(左)に質問する西川さん(筆者撮影)
フォファナ君(左)に質問する西川さん(筆者撮影)

自分はハンドボールをしているというママドウ・フォファナ君(17)は「みんなエ厶バペみたいになりたいと思っている。W杯をみんなで集まって応援する時は感情が高まる。国歌のラ・マルセイエーズを歌ったり、拍手をしたりしている」と言います。フォファナ君の父親はカメルーン出身、母親はコートジボワール出身です。

ヨチヨチ歩きの子供も仲間だ(筆者撮影)
ヨチヨチ歩きの子供も仲間だ(筆者撮影)

ASボンディでサッカーをしているのは700人。このうち500人が子供です。マリ、セネガル、コートジボワール、アルジェリア、チュニジアの移民が多いそうです。ASボンディからはFWイコネ(リール)ら多くの有力選手が誕生しています。

バドウィー君(左)とムスタファ君(筆者撮影)
バドウィー君(左)とムスタファ君(筆者撮影)

日本のアニメ「ONE PIECE(ワンピース)」が好きというメディ・バドウィー君(17)はエ厶バペのパリ・サンジェルマンのユニフォームを着て「エ厶バペは世界で一番さ」と胸を張りました。父親はモロッコ出身、母親はフランスの海外県レユニオンの出身です。

父親がベルギー出身、母親がコートジボワール出身のフォファナ・ムスタファ君(17)は「ベルギー対日本戦ではベルギーを応援したよ。お父さんの祖国だからね。W杯ではフランスとベルギーの両方を応援したよ」と話してくれました。

エムバペが15歳の時のドリブルを間近で見たASボンディのトレーナー、ムサ・ジャビ君(17)は「エムバペはドリブルが好きで、すごく速くてもうまかったよ」と振り返りました。ボンディではヨチヨチ歩きの頃からサッカーを通じて毎日、顔を合わせているので、どこの誰だかみんな互いに知っているのです。

タレントの宝庫になった「バンリュー」

一昔前まで、サッカーのタレントではブラジルのサンパウロが世界一の宝庫と言われていましたが、今では身体能力、運動能力に優れたアフリカの血が混じった「バンリュー」が世界一という評価もあります。フランス代表になれなかったアフリカ系移民の選手が、両親の出身国の代表になるケースも少なくありません。

ボンディをはじめ「バンリュー」では貧しい移民の子は朝から晩までサッカーをするしかないのです。失業や貧困は移民の若者を犯罪や、時にはイスラム過激派やテロリズムに誘う恐れもあります。

エムバペは「バンリュー」が生んだヒーローの一人です。仏紙リベラシオンによると、学校では落ち着きがなく、すぐに退屈しやすい生徒で、母親はサッカーだけでなく、水泳や演劇のレッスンに通わしたそうです。

サッカーでどれだけ有名になっても自分は19歳の若者に過ぎないという謙虚さを失わないエムバペはW杯の報酬すべてを寄付すると報じられています。

ロールさんと娘のエノラさん(左)と姪っ子のフロリアンちゃん(右)(筆者撮影)
ロールさんと娘のエノラさん(左)と姪っ子のフロリアンちゃん(右)(筆者撮影)

14歳の娘エノラさんと11歳の姪っ子フロリアンちゃんとスタジアムに観戦に来たロールさん(39)はこう話しました。

「ボンディはエムバペが生まれた街だから、サッカーはとても重要なカルチャーよ。子供たちはサッカーを通して違う学校の子供たちと学び合える。サッカーを通じて多くの人がボンディを訪れ、実際は偏見や先入観と違ってとても明るい街であることに気づいてくれたら、とてもうれしいです」

芸能界屈指のサッカー通で知られる小柳ルミ子さんやお笑いコンビ・おぎやはぎがエムバペの遅延行為に「この大会中の振る舞いを見て嫌いになった」「遅延行為のとぼけ方ね。なんかあれ腹立つな」と批判していますが、筆者はエムバペのホームタウンを訪れてますます好きになりました。

(おわり)

西川彩奈(にしかわ・あやな)

1988年、大阪生まれ。2014年よりパリを拠点に、欧州社会やインタビュー記事の執筆活動に携わる。ドバイ、ローマに在住したことがあり、中東、欧州の各都市を旅して現地社会への知見を深めている。現在は、パリ政治学院の生徒が運営する難民支援グループに所属し、欧州の難民問題に関する取材プロジェクトも行っている。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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