停滞と緊縮が呼び覚ます分離・独立ナショナリズム 崩れる統合と協調の神話 成長と分配の好循環を取り戻せ

カタルーニャ独立問題 正式な独立宣言は延期(写真:ロイター/アフロ)

カタルーニャ首相「独立」を中断

[ロンドン発]10月1日に行われたスペインからの独立住民投票で賛成票が9割を超えた北東部カタルーニャ自治州のカルレス・プチデモン州首相(54)は10日夜、州議会の演説で「住民投票の結果、カタルーニャは共和国として独立国家になる権利を獲得した」と宣言する一方で、数週間、中央政府と交渉するため独立をいったん中断すると発表しました。

欧州連合(EU)加盟国が「カタルーニャが独立したらEUへの加盟は自動的に認められるわけではない」と独立に否定的な姿勢で一致し、カタルーニャに進出している主要企業も独立したら拠点を他に移さざるを得ないと反対の動きを見せました。

1日の住民投票では独立派住民と治安部隊が衝突、約900人が負傷する騒ぎに発展しただけに、プチデモン州首相は最後の最後で立ち止まり、話し合いによる独立を求めたかたちです。独立宣言を聞こうとバルセロナの広場に集まった3万人の市民からはしかし、複雑なため息が漏れました。

中央政府のマリアノ・ラホイ・プレイ首相は「プチデモン州首相は意図的に混乱をつくりだしている。独立を宣言したのか、そうでないのか、はっきりさせろ」と突き返しました。中央政府が独立は宣言されたと判断した場合、カタルーニャ州の自治権停止という強硬措置をとる可能性が強く、予断を許しません。

カタルーニャの国外向け広報組織DIPLOCATによると、住民投票では登録した531万3564人のうち228万6217人が投票しました(投票率43%)。中央政府が送り込んだ治安部隊の妨害によって投票所の学校400校が封鎖され、投票箱が持ち去られるなどして、77万票が紛失したそうです。

カタルーニャ自治州政府の広報責任者は「もし投票が正常に行われていたら投票率は50%を超えていた」と話しています。独立賛成は204万4038票(90%)、反対は17万7547票(8%)、白票4万4913票(2%)。それにしても、どうしてカタルーニャの人々は独立を支持しているのでしょう。

「外でカタルーニャ語を話してはいけない」

バルセロナでレストランを営む知人のチャビ・アドメテヤさん(53)は熱烈な独立派です。「1日の住民投票では(治安部隊の介入を防ぐため)午前5時から投票所を守りに行きました。もちろん誇りを持って正々堂々と独立に1票を投じました」と言います。

チャビ・アドメテヤさん(昨年7月、筆者撮影)
チャビ・アドメテヤさん(昨年7月、筆者撮影)

フランコ独裁時代、カタルーニャ語の使用は禁止され、再び許されたのは1975年にフランコが死んでからです。

「学校に行く前、服を着せてもらっていた母親から何度も『外ではカタルーニャ語を話してはいけないよ』と釘を刺されたものです。もし独立が宣言されたらスペイン政府はありとあらゆる力を使って私たちを阻止するでしょう。数百年にわたってスペインはカタルーニャにとって苦痛であり続けています」

カタルーニャにある自治体に勤めるベゴニャ・バローさん(49)は「私たちは、社会が深く分裂する緊張の中で暮らしています。本来、解決策を示すべきはずの政治は害悪をもたらしてばかりいます。カタルーニャの人々の間に信頼を取り戻すのは非常に難しくなるでしょう」と表情を曇らせました。

ベゴニャ・バローさん(昨年7月、筆者撮影)
ベゴニャ・バローさん(昨年7月、筆者撮影)

バローさんは法的に認められた住民投票を望んでいたため、投票しないことにしていました。しかし治安部隊の過剰な暴力を目の当たりにして最終的に投票所に向かい、独立に賛成票を投じました。しかしバローさんが求めているのは完全な独立ではなく、連邦国家か連合国家への移行です。バローさんはこう続けます。

「カタルーニャ議会は欧州の中でも最も古い歴史を持っています。スペイン議会の方が、歴史が浅いのです。我々は数世紀にわたってスペインによって不当に扱われ、辱められてきました。カタルーニャの未来について非常な悲しみと苦痛を感じています。民主的に住民投票が行われることを望んでいますが、独立に賛成か、反対かの二者択一ではなく、もっと複数の選択肢を加えてほしい」

昨年7月にカタルーニャ独立運動を取材するため筆者がバルセロナを訪れた際、地元メディアのブリュッセル特派員を務めるアルベルト・セゲラさん(35)は「フランコの戦車があの通りにやって来たと祖父がいつも話していました」と目抜き通りを指差しながら振り返りました。

フランコ独裁の記憶は今もカタルーニャの心の奥底に暗い影を落としています。

火がついた分離・独立運動

世界中の至る所に分離・独立の火種はくすぶっています。中でも欧州では1990年代のユーゴスラビア内戦の記憶が生々しいだけに、各国指導者にとってカタルーニャ独立運動は決して対岸の火事ではありません。

ある地方が独立するか否かは住民の民主的な自決権に委ねられるべき問題で、中央政府と地方政府は対立するのではなく、十分に話し合わなければなりません。スペインのラホイ首相は「スペインの揺るぎなき統一」を明記した憲法を盾に住民投票を治安部隊の力によって妨害するよりも、民主的に容認すべきだったと思います。

しかし分離・独立の住民投票が非常に難しいのは、統治機構や国防、通貨、貿易協定をどうするかといった「理性」的な判断要素よりも、「感情」に大きく左右されるからです。「理性」的に判断していたら、とても、分離・独立といった煩雑で膨大な労力を要する難事業はできません。

カタルーニャ独立運動だけでなく、イギリスのEU離脱やスコットランド独立運動にせよ、どうして今、分離・独立のマグマが活動を始めたかと言えば、2008年の世界金融危機が大きな転換点になっているのは間違いありません。

グローバリゼーションという名の国際協調と経済統合がもたらした成長は金融危機をきっかけに逆回転を始めました。金融機関を救うため巨額の財政が投じられ、今度は膨らんだ財政赤字を減らそうと極端な緊縮策がとられました。成長と分配の好循環は停滞と緊縮の悪循環に取って代わられたのです。

成長が分配を保証している間は、誰も細かいことは気にしません。しかし停滞と緊縮は、誰かが自分の仕事や年金、社会保障の取り分を奪っているという不安心理を無用に拡大してしまいます。これは分離・独立運動だけに限らず、欧州全体に不気味な広がりを見せる極右や強硬左派、急進左派の台頭にも当てはまります。

原油価格の下落でしぼんだスコットランド独立運動

イギリスのスコットランド独立を左右したのはジョージ・オズボーン前英財務相時代の緊縮財政と北海油田の取り分です。緊縮策がスコットランドの反発を招きましたが、財源としてあてにしていた原油価格の下落で、盛り上がっていた独立の気運は一気にしぼんでしまいました。

カタルーニャで独立気運が高まったのは、欧州債務危機と緊縮策、高止まりした若年失業率が深く関係しています。カタルーニャ自治州の面積は3万2114平方キロメートルで全体の6.3%、人口は745万人で16%。これに対して15年の国内総生産(GDP)は2156億ユーロで20.1%。納税額も20.8%です。

地中海貿易と産業革命の集積が残るカタルーニャは今も昔もスペイン経済の中心で、スペインの輸出の4分の1以上を支えています。スペインの中央政府マドリードにとってカタルーニャは文字通り「金のなる木」です。中央政府が手放すわけがありません。

同じ自治権とは言っても、北部のバスク州とナバーラ州には徴税権が与えられているのに、カタルーニャ州には徴税権がなく、国からの交付金が財源になっています。このためカタルーニャ州は、税負担に比べ交付金が十分でないと不満を募らせてきました。

憲法裁判所は「スペインの揺るぎなき統一」を理由にことごとくカタルーニャの要求を退けてきましたが、憲法裁裁判官の大半は国会や内閣によって推薦されています。時の政権の影響を強く受けるため、カタルーニャの人々にとって憲法裁の判断は中央政府による支配そのものなのです。

筆者はラホイ首相がプチデモン州首相との話し合いに応じ、独立、連合国家や連邦国家への移行、徴税権を含めた自治権の拡大、現状維持といった複数の選択肢のある住民投票を改めて実施、その結果をもとに再び双方が話し合い、カタルーニャの自決権を尊重してほしいと思います。そうしないと成長と分配の好循環を取り戻すことはできません。

問題はカタルーニャだけにではなく、スペイン・ナショナリズムを求心力にしてきたラホイ首相の国民党にもあるのは明らかです。成長と分配の好循環を取り戻せば、ナショナリズムは次第に弱まります。豊かなカタルーニャを「金づる」としてつなぎとめるためにラホイ首相が自治権剥奪という強権を発動すると事態がさらに悪化するのは避けられません。

(おわり)