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死後20年、ダイアナ元妃が残したレガシー 王子2人に受け継がれた愛のバトン

木村正人在英国際ジャーナリスト
ケンジントン宮殿に供えられたダイアナと2人の王子へのメッセージ(筆者撮影)

「私たちのプリンセス」

[ロンドン発]「世紀のロイヤルウエディング」「ダブル不倫・離婚」で英王室を栄光からどん底に突き落としたダイアナ元皇太子妃が35歳で衝撃の交通事故死を遂げてから8月31日でまる20年。

30 日、王位承継順位2位のウィリアム王子(35)とキャサリン妃(35)、ヘンリー王子(32)が雨の中、ダイアナゆかりのケンジントン宮殿に臨設された「ダイアナ記念庭園」を訪れ、かつて母と働いた慈善団体の活動家の功績を称えました。

1997年8月31日未明、「パパラッチ」と呼ばれるカメラマン集団に追いかけ回されたダイアナの車がパリのトンネルで柱に激突。ダイアナと当時の恋人、エジプト人富豪ドディ・アルファイド、運転手の3人が死亡、ボディーガードが重傷を負いました。

彼女の悲劇的な死を悼んで当時、ダイアナが暮らしていたケンジントン宮殿には、ハンカチを手にした国民が次から次へと集まり、周辺は献花とメッセージカードで埋まりました。

事故直後は誰一人としてダイアナの死を信じられませんでした。普段は感情を表に出さないイギリス人が人目もはばからず涙を流したのです。イギリスでは決して見られなかった光景でした。

ケンジントン宮殿にはダイアナを偲ぶ国民や観光客がひっきりなしに訪れる(筆者撮影)
ケンジントン宮殿にはダイアナを偲ぶ国民や観光客がひっきりなしに訪れる(筆者撮影)

筆者も8月28日、ケンジントン宮殿を訪ねました。20年前にここにやって来てダイアナの死を悲しんだ2人のイギリス人女性2人に出会いました。

英南東部エシックス州からやって来たというヘザー・リアさん(80)は次のように話しました。

「ダイアナはみんなのプリンセスです。それまで王族がホームレスのシェルターやHIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染者を訪れるようなことはしませんでしたが、彼女は自然に行ったのです」

「今でも多くの人にダイアナが愛されているのは、彼女が分け隔てなくすべての人を愛したからです。ダイアナは人々の心を温めることができたのです」

「彼女は、ツンとした王室にはいないタイプの人でした。彼女の死は非常に悲しい出来事で20年前、この場所はお花でいっぱいになり、人で埋め尽くされました。ダイアナは尊敬に値し、愛らしい人です」

「今、振り返っても、とても悲しくなります。ダイアナはウィリアム王子とヘンリー王子を連れて外に出かけ、王室のライフスタイルを変えました。2人はダイアナの遺志を受け継いで、慈善活動に力を入れています」

ケンジントン宮殿に掲げられたダイアナの写真(筆者撮影)
ケンジントン宮殿に掲げられたダイアナの写真(筆者撮影)

サウスケンジントンに住むマギー・グリーンストックさん(70)はこう語りました。

「母親が亡くなった時、2人の王子はまだ若く、彼らは大きくなってダイアナの正しい行いを続けています。ダイアナは生まれながらに、みんなを愛せる人だったのです」

「彼女は人の気持ちがよく分かりました。ダイアナがウィリアム王子とヘンリー王子をホームレスのシェルターに連れて行ったのは、そういう環境に置かれている人がいることを知ってほしかったのだと思います」

「ダイアナは将来の国王の母親として世界で何が起きているのか2人の王子を教育し、立派に育て上げました。私はケンジントン宮殿のすぐ近くに住んでいるので、20年前もここに来ました。花束は膝の高さまで積み上がっていました」

「彼女が亡くなって20年が経ち、人々が彼女について何を思うのか、メッセージや写真、花束を見て感じようと今日、ここに来ました。そして自分の記憶をたどるためにもね」

王子とシェルター訪問

今年5月、ウィリアム王子が23年前にヘンリー王子と一緒にお忍びでダイアナに連れて来られたロンドンのホームレス支援団体・聖ビンセンツ・センターを訪れました。同センターではこれまでに10万人以上のホームレスの自立を支援しています。

1994年、ダイアナと同センターを訪れたウィリアム王子は12歳。当時、撮影された写真を見ると、真っ赤なポロシャツを着て、ホームレスのおじいちゃんに寄りかかられて恥ずかしそうに笑っています。9歳のヘンリー王子はダイアナの膝の上にちょこんと座っています。

英民放ITVのドキュメンタリー番組『ダイアナ、僕たちのお母さん 彼女の人生と残したもの』で、ダイアナと2人の王子と会ったホームレスの1人は「ウィリアム王子はとても自然でした。一緒に大衆酒場パブに行く仲間のようにね。ダイアナはロイヤルファミリーの孤独な闘士でした」と話しました。

ある日、ダイアナは路上でホームレスの人たちに「大丈夫」と声をかけ、半裸の人には「あなたが私のために特別に服を着てくれるとうれしいわ」と気遣ったそうです。

地雷原歩いたダイアナ

ダイアナはチャールズと別れた5カ月後の1997年1月、アンゴラの地雷原を訪ね、防護バイザーと胴体防護具を着け、ガイドに導かれてその中を歩きます。

ダイアナの勇気ある行動は死後、地雷問題・対人地雷禁止条約として実を結びますが、当時は、反地雷キャンペーン団体を利するロビー活動だと政治家から批判されます。しかし、離婚で王室とは明確な一線を引いたダイアナは気にしませんでした。

英メディアによると、当時、反地雷キャンペーン団体ハロ・トラストに所属し、ガイド役を務めたイギリス人のポール・ヘスロップさんは信管を外した地雷をダイアナに渡して「どうかお願いだから、家に帰った時、これをチャールズのベッドに入れないでね」と冗談を言いました。

緊張をほぐすためでしたが、海外生活が長くなっていたヘスロップさんはダイアナの結婚生活が破綻し、チャールズと離婚したことを知らなかったそうです。

ヘスロップさんは「ダイアナに光っているものには触れないでと話すと、彼女は少し心配そうな顔をしました」「世界で最も有名な人に地雷を踏ませて爆発させた人物にはなりたくありませんでした」と張り詰めた心境を振り返りました。

国連の地雷モニターによると、162カ国が地雷問題・対人地雷禁止条約に批准し、これまでに5100万発の対人地雷を破壊しました。

しかしアフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナ、イエメンなど10カ国の武装組織が対人地雷を使用しています。2015年には死者1672人を含む計6461人が犠牲になり、前年より75%も増えてしまいました。

ダイアナが1997年に歩いたアンゴラの地雷原は2015年には下の写真のように変わっています。

エイズへの理解深める

ダイアナは1987年、ロンドン・ミドルセックス病院にHIV・エイズ患者を専門に治療するユニットをオープンします。ダイアナは世界中のメディアの前でHIV・エイズ患者と手袋を着けずに握手しました。

当時、HIVは接触感染するという先入観と偏見が広がっており、ダイアナの行為はHIV・エイズの啓発活動になりました。ダイアナはこうした立ち居振る舞いがごく自然にできたのです。

公共テレビ局チャンネル4のドキュメンタリー番組『ダイアナ 彼女自身の言葉』で、亡くなる4年前の1993年にケンジントン宮殿で録音された衝撃的なダイアナの肉声テープが公開されました。

「チャールズとのセックスは3週間に一度。ヘンリー王子が生まれて2~3年経つと、それもなくなった」

「私はカミラについてチャールズに尋ねたことがあるの。『なぜ、彼女が私たちの回りにいるの?』。チャールズは答えたわ。『僕は愛人を持ったことがない皇太子になることを拒絶する』、と」

「私は(結婚5年目に)エリザベス女王のところに相談に行った。泣きながら『私は何をすれば良いの?』と尋ねると、エリザベス女王は『私にはあなたが何をすべきか分からない。チャールズには救いがない。それだけよ』と答えた」

チャンネル4の『ダイアナ 彼女自身の言葉』はスキャンダラスな内容でしたが、平均視聴者は350万人。

王子2人の視点から描いたITVの『ダイアナ、僕たちのお母さん 彼女の人生と残したもの』の690万人、BBCの『ダイアナの7日間』の560万人に比べると低調に終わりました。イギリスの視聴者もダイアナのスキャンダル話には辟易しているのです。

毎年恒例のバッキンガム宮殿サマー・オープンにも足を運びました。ウィリアム王子とヘンリー王子が母を偲んで、ダイアナの書き物机や小物入れ、家族の誕生日と結婚記念日が刻まれた銀のカレンダー、ラジオ、エルトン・ジョンやロッド・スチュワート、セリーヌ・ディオンなどダイアナが好んで聴いたカセットテープが公開されていました。

私の人生の一部

前出のイギリス人女性、グリーンストックさんはこう語ります。

「私にとっては(ダイアナの不倫や離婚劇は)スキャンダラスではありません。結婚した時、彼女は19歳ですごく若かった。そして非常に難しい状況に直面しました。彼女は王室の古い慣習に抵抗したのです」

「ダイアナはイギリス人の生き方に影響を与えたのかもしれませんが、それも時代の流れだったと思います。彼女はあくまで彼女以外の何者でもありませんでした。世界中の人々は彼女のことを愛し、尊敬したのです」

「20年というのは非常に長い歳月ですが、私にとってはついこの間、5年前のことのようです。人々はいろいろなことを記憶しています。私は葬列から当時の様子まで、すべてのことを思い出せます。私の人生の一部です」

ウィリアム王子も、キャサリン妃も、ヘンリー王子も世界中の人々との間に垣根をつくりません。次の世代のジョージ王子、シャーロット王女はもっと開かれたロイヤルファミリーを築いて行くでしょう。

この大きな流れが、ダイアナが王室に残した最大のレガシー(遺産)なのです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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