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英シンクタンクは安倍政権の「反中プロパガンダ」にカネで買われたのか?

木村正人在英国際ジャーナリスト
中国系カナダ人の女優で人権活動家のアナスタシア・リンさん(筆者撮影)

月142万円で結ばれた契約

1月29日付のイギリス高級日曜紙サンデー・タイムズは、英シンクタンク「ヘンリー・ジャクソン・ソサイエティ(HJS)」が昨年前半、政治コンサルタント・PR会社(ロビー会社)とともに在英日本国大使館に、月1万5千ポンド(約212万円)で「コミュニケーション戦略」を持ちかけていたと報じました。

同紙によると、戦略の目標は「日本の問題を(サンデー・タイムズ紙やデーリー・テレグラフ紙、ガーディアン紙、エコノミスト紙を含む)イギリスの主要なジャーナリストや政治家のレーダーに引っ掛からせる」ことと「関心を持って関与する(下院外交問題特別委員会のメンバーを含む)ハイレベルの政治家をつくり出す」ことでした。

HJSとロビー会社は「中国の拡大主義が西側の戦略的利益に与える脅威に焦点を当てることになるだろう」と提案していました。さらに「中国の投資がイギリスの抱えるインフラ問題に対する答えになり得るという考え方が特に英財務省内で広がることを防がなければならない」と付け加えていたそうです。

提案書の中で、HJSとロビー会社は英首相官邸の中にも強力なコネがあると自慢しています。最終的にHJSは単独で在英日本大使館と月1万ポンド(約142万円)と実費を請求することで契約を結んだそうです。

中国が原発をマヒさせる

サンデー・タイムズ紙はさらに、保守党のマイケル・リフキンド元外相・国防相が昨年8月にデーリー・テレグラフ紙に寄稿した「もし我々が原発ヒンクリー・ポイントCの建設を中国に任せてしまったら、いかに中国が(南シナ海の)危機に際しイギリスの電力供給を止められるのか」という記事は、HJSが用意した原稿にリフキンドが名前を貸していたと指摘しています。

中国が原発を建設する際にコンピューターシステムにマルウエアを忍び込ませ、いざという時に作動させて原発の機能を停止させてしまうかもしれないという警鐘記事でした。

2002~06年に第一海軍卿(ファースト・シー・ロード)を務めたサー・アラン・ウェスト氏も昨年7月、南シナ海での中国の海洋進出に関連して「台頭する大国が力によって主要な貿易ルートを支配するという考え方は黙認できない」 と寄稿していますが、半分はHJSの調査に基づいていたそうです。

元外相・国防相や第一海軍卿ともあろうものがシンクタンクの下書きした原稿にお墨付きを与えて自分の意見として発表していたことに呆れますが、2人ともHJSと在英日本大使館が契約していることを知らされておらず、HJSの資金集めのために名前を使われたと憤慨しています。

沈黙する在英日本大使館

サンデー・タイムズ紙の記事からだけでは2人の記事が在英日本大使館の意向に基づいて書かれたものかどうかは分かりません。HJSの広報責任者は筆者の問い合わせに次のように答えました。

「ヘンリー・ジャクソン・ソサイエティは包括的な調査と注意深い分析を通じて自由民主主義と人権、国際安全保障の重要性を促進しています。我々は多くの組織や個人と協働しています」

「彼らが我々の調査結果を使ったり、協働したりするのは学術的な厳格さと質、結論に同意しているからです。もし総合的に我々の研究を検証してもらえるなら、ソサイエティの自由を保つ原則や同盟に対する明確で継続的な揺るぎないコミットメントがあることが分かるはずです」

在英日本大使館にも問い合わせてみましたが、今のところ返事はありません。

中国国営新華社通信やロシアの官製メディア、RTやスプートニクは「日本大使館が反中のストーリーをまくためにイギリスのシンクタンクにカネを払っていた」「有料のプロパガンダ」と批判しています。HJSの関係者は匿名を条件に「中国とロシアの悪質なプロパガンダだ」と筆者に漏らしました。

筆者は英王立国際問題研究所(チャタムハウス)、国際戦略研究所(IISS)のほか、HJSの有料会員で、討論会にもよく顔を出しています。HJSが「ネオコン」だという批判は英メディアでも取りざたされたことがあります。

「ナチスのホロコースト(ユダヤ人虐殺)を許したのは自由民主主義陣営が介入をためらったから」というネオコン的な考え方がHJSの活動方針の底流にあるかと言えば、あると思います。親ユダヤ、親イスラエル、人道的介入を支持していると感じることもあります。

HJSの公式回答通り「自由民主主義と人権、国際安全保障」が活動の大きな柱になっているので、リアルポリティックスに傾きがちなチャタムハウスやIISSの議論とは明らかに一線を画するシンクタンクと言えるでしょう。中国やロシアの人権問題や拡張主義について遠慮なく警鐘を鳴らしている団体です。

英中黄金時代の反動

HJSが中国の人権問題や拡張主義に厳しいのは在英日本大使館が契約を結ぶ前からです。2015年10月、中国の人権問題や拡張主義に目をつぶって「英中黄金時代」を打ち出した習近平国家主席の訪英を境に保守党内部でもキャメロン首相とオズボーン財務相(いずれも当時)の中国外交に対する警戒感が一気に強まりました。

アメリカの反対を無視して中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加をキャメロン政権がいち早く表明したことに対する反動が大きかったのです。

チャタムハウスやIISSの討論会でイギリスの外交・安全保障専門家が「中国は信頼に足るパートナーだ」と説明したり、駐英中国大使が「アジアの侵略者は日本だ」と悪しざまに罵ったりするのを聞くたび、筆者は「どうかしている」と首を傾げてきました。

中国の海洋進出に脅かされているフィリピンのロンドン特派員も同じ気持ちだったでしょう。

このため、在英日本大使館が欧州には馴染みの薄い東シナ海や南シナ海での中国の海洋進出に対するシンポジウムを頻繁に開くようになりました。HJSでも昨年3月、香田洋二元自衛艦隊司令官が講演した辺りから在英日本大使館が関与し始めたのかなと感じていました。

強化された戦略的対外発信

第二次安倍晋三政権になってから、靖国神社参拝や慰安婦問題をめぐって領土や歴史に関する戦略的対外発信を強化しようという主張が強まりました。

安倍首相が13 年「国際社会に日本の主張を浸透させるため戦略的な体制をとる必要がある」と述べたことを受け、外務省は 2015 年度予算において「戦後 70 周年の節目の年に当たり『戦略的対外発信』のため約 700 億円が計上され、補正予算計上分 305 億円と合わせれば、対前年度比 500 億円の増」(「戦略的対外発信」と外交実施体制の強化、参議院)となりました。

戦略的対外発信の柱は次の通りです。

(1)ロンドン、ロサンゼルス、サンパウロに「ジャパンハウス」を開設し、戦略的対外発信の拠点にする(15年度予算、35.9 億円)

(2)親日派・知日派の育成(同、77 億円)

(3)海外のシンクタンクや調査機関などを通じ日本や他の国々の動向を調査・分析し、各国毎に適切な形で日本の「正しい姿」を発信する

(4)日本研究支援

16年も500億円増を維持し、17年度概算要求には818億円が計上されました。安倍政権の戦略に基づき対外発信が強化される中でHJSの問題も浮上してきたようです。

外交にはネタ元を明かせない情報収集のため裏で使える報償費(機密費)がありますが、今回は対外情報発信のためシンクタンクと協力しているので表のカネだったと思われます。表のカネなら情報公開の対象になるので、第三者を隠れ蓑にしてHJSと契約するわけにはいかなかったのでしょう。

サンデー・タイムズ紙が報じているような在英日本大使館が裏で大物政治家や軍関係者に中国への警戒を呼びかける記事を書かせるプロパガンダ工作を仕掛けたとまでは言えないような気がします。やり過ぎが良くありませんが、中国マネーに買われている政治家やシンクタンク、記者は決して少なくないでしょう。

気に留める人が少なくなった中国の人権問題

筆者には以前から気になっていることがあります。15年11月に「『私を中国に入れてください』人権派ミス・ワールド・カナダが訴え 世界大会の招待状届かず」という記事をエントリーした時のことです。

世界3大美人コンテストの一つ、ミス・ワールドのカナダ代表に選ばれた中国系カナダ人の女優で人権活動家のアナスタシア・リンさんがHJSのイベントで中国・海南島の三亜市で開かれる世界大会への招待状が届いていないことを明らかにしたのです。

リンさんは祖国・中国の人権状況に関心を持ち、弾圧を受ける気功集団「法輪功」の学習者役を演じるなど、映画やTV出演を通じて中国の人権状況や腐敗の改善を訴えてきました。招待されないというニュースを報じたのは筆者だけでした。しばらくして欧米メディアが報じ、日本メディアも後追いしました。

父を中国公安に拉致されたアンジェラ桂さん(筆者撮影)
父を中国公安に拉致されたアンジェラ桂さん(筆者撮影)

中国の人権問題はあまり報じられなくなったというのが現状だと思います。先日もタイで拉致された香港の書店「銅羅湾書店」の桂民海(本名、桂敏海)さん(52)の娘、アンジェラ桂さんもHJSのイベントで証言しました。

中国やロシアでは政権を批判するようなことを言うと国外に追放されたり、拘束されたり、下手をすると殺されてしまうかも分かりません。国外でも安全が完全に保障されているわけではないのです。

「表現の自由」を守るのは勇気のいることです。サンデー・タイムズ紙の記者はこうしたことが全く気にならないのでしょうか。

アナスタシア・リンさんやアンジェラ桂さんをロンドンに招いて下院内で証言させたHJSの活動を在英日本大使館が支援するのは決して間違っていません。問題は国際法を踏みにじり、人権を堂々と侵害している中国やロシアにあるのではないでしょうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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