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米海軍の水中グライダー捕獲事件 「トランプ・米国」VS「習・中国」の前哨戦が始まった

木村正人在英国際ジャーナリスト
トランプ(左)時代の米中関係は荒れそうだ(写真:ロイター/アフロ)

「一つの中国」のタブー破ったトランプ

中国が軍事要塞化を進める南シナ海の国際水域で海洋調査をしていた米海軍の無人水中グライダーが12月15日、中国海軍に捕獲される事件が起きました。米国防総省は、主権国家は他国の管轄権に属さないという「主権免除」を前面に打ち出し、水中グライダーの即時返還を求めています。しかし中国は今のところ要求を無視しています。

米国のトランプ次期大統領は11日放送の米テレビ番組で、米中関係の出発点となってきた「一つの中国」原則について「どうして我々が縛られなければならないのか」と疑問を呈したばかりです。台湾は中国の一部であるという「一つの中国」政策は、習近平国家主席の核心的利益をなすだけに中国は敏感に反応したようです。

この事件は、トランプ・習時代の米中関係を占う重要な意味を持っています。ユーラシア大陸の地政学を考えると、大国の中国とロシアに手を組まれるほど厄介なことはありません。トランプ氏はロシアのプーチン大統領に宥和的な発言を繰り返す一方で、中国には非常に厳しい発言を繰り返しています。

トランプ氏が「米国の国防費を負担しろ」と日本や韓国などの同盟国に無理難題を押し付け、中国経済圏に対して防波堤を築く環太平洋経済連携協定(TPP)を破棄すれば、アジア太平洋で米国のプレゼンスは間違いなく低下するでしょう。高い関税をふっかけられても十分にお釣りが来るとトランプ大統領の誕生を歓迎していた中国も、核心的利益の台湾問題に手を突っ込まれてはかないません。

トランプ氏は2日、台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統と電話会談しました。朝日新聞によると、1979年の米中国交正常化以来、米国の大統領や次期大統領が台湾総統と電話会談をしたことが公にされるのは初めてだそうです。それに続く「一つの中国原則に縛られない」という発言に、習主席も座視しているわけにはいかなくなったようです。

米政権発足のタイミングで繰り返される一触即発のツバ迫り合い

今回の水中グライダー捕獲と同様の事件は実は過去にもありました。新しい米政権が発足するタイミングで、米中両国は南シナ海で一触即発の鍔(つば)迫り合いを繰り返してきました。中国の狙いは一貫しています。南シナ海や東シナ海から米軍を駆逐することです。

ブッシュ(子)大統領誕生直後の2001年4月には、海南島沖約110キロメートルの国際空域で、米海軍EP-3と中国戦闘機が接触し、中国機が墜落、パイロットが行方不明となる海南島事件が起きています。このときブッシュ大統領が江沢民国家主席にホットラインで電話をかけましたが、13回目でようやくつながったと言われています。

オバマ政権が発足した直後の09年3月にも、南シナ海の公海上で、米海軍の音響測定艦インペッカブルが中国海軍の調査船5隻に照明を当てられたり、進路を妨害されたりする事件が起きています。この件に関し、中国は「自国管轄海域だ」と主張しています。

問題は中国が自国に都合よく国連海洋法条約(UNCLOS)を解釈し、他国に実力行使していることです。南シナ海や東シナ海での中国のやり口をまとめてみました。

これが中国のやり口だ

・満潮時には水没する低潮高地や岩を埋め立てて人工島をつくり、島と同じ領海や排他的経済水域(EEZ)、大陸棚といった海洋権益を一方的に主張する。UNCLOSでは岩には「領海」が認められるが、低潮高地や人工島には何の権利も認められない

・領海内であっても軍用艦船にも無害航行権が認められるのに、中国の領海法は「外国軍用艦船が中国領海内を航行する場合には事前許可を得ること」と定めている

・大陸棚の管轄権は上部水域にも及ぶ

・EEZ内における軍事情報の収集には許可が必要であり、EEZまたは大陸棚上部水域における軍事活動は制限される(米国は軍事情報収集の許可は必要なく、軍事活動も制限されないとの立場)

・2千年を超える歴史が証明する中国の領有権の正統性を主張。沖縄県・尖閣諸島は中国の領土

・領海や EEZ から構成される中国の海洋面積は300 万平方キロメートル。渤海、黄海、東シナ海、南シナ海の全海域を指しているとみられている

・漁船、石油や天然ガスを掘削する石油プラットフォームなど海上構造物、海上保安機関の巡視船まで総動員して既成事実を積み上げる

・国際的な仲裁手続きには従わない。2国間の交渉に持ち込み、経済力や軍事力を背景にゴリ押しする

・圧倒的な軍事的優位が確保されたら実効支配を確立する

南シナ海の戦略的トライアングル

今回、水中グライダー捕獲事件が起きた場所も非常に気になります。米国防総省の発表では、フィリピン・スービック湾北西約50海里の国際水域で、中国が実効支配するスカボロー礁よりずっとフィリピン寄りにあります。

出所:グーグルマイマップで筆者作成
出所:グーグルマイマップで筆者作成

中国軍は、戦略ミサイル原潜の出撃基地・海南島三亜とウッディー島を結ぶ「ノース・ライン」、ウッディー島とファイアリークロス礁(すでに軍用機が離着陸できる3千メートルの滑走路が完成している)を結ぶ「サウス・ライン」を合わせた「南北ライン」をすでに構築しています。

フィリピン西沖のスカボロー礁を埋め立てして滑走路を建設すれば、中国は南シナ海に防空識別圏を設定する土台として「戦略的トライアングル」を完成させることになります。

米国防総省によると、米海軍の海洋観測艦を追尾していた中国海軍の軍艦が先に米海軍の水中グライダーを捕獲しました。米海洋観測艦はすぐさま中国艦に無線連絡を取り、水中グライダーを返してくれと要求しましたが、完全に無視されました。

無人水中グライダーはイルカのように海上に浮かんだり、沈んだりしながら海中を進み、海水の塩分濃度や水温、音が海中を伝わる速度など軍事目的の海洋情報を測定しています。海上に浮かんだ際、尾翼につけたアンテナから情報を衛星や近くの艦船に送信します。

原潜による核抑止力を無力化

自動追尾装置をつければ将来、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を追尾して位置を把握できるようになる可能性があります。このため、仮想敵国の核抑止力を無力化できる21世紀の兵器として空中のドローン(無人航空機)とともに注目を集めています。

中国海軍が米海軍の水中グライダーを捕獲したのは、「一つの中国」原則という中国の核心的利益を踏みにじったトランプ氏への牽制と南シナ海で中国海軍が優位に立っている現状を周辺国にアピールする狙いがありました。中国は南シナ海や東シナ海での制海権を確立するため水中ドローンの開発を進めており、米海軍の先端技術を盗む目的もあったはずです。

今回の水中グライダー捕獲事件は南シナ海の水面下で進む熾烈な主導権争いを浮き彫りにしています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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