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ポーランドの巨匠、ワイダ監督は欧州の「連帯」を求めていた

木村正人在英国際ジャーナリスト
ワイダ監督(右)が死去。左はワレサ氏 (2013年9月資料写真)(写真:ロイター/アフロ)

『灰とダイヤモンド』などで知られるポーランド映画の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督が9日、亡くなられました。90歳でした。

2013年に『ワレサ 連帯の男』でポーランドの民主化を率いた自主管理労組「連帯」とレフ・ワレサ元大統領(73)を改めて取り上げたワイダ監督は、イギリスの欧州連合(EU)離脱決定など欧州統合に逆行する動きをどんな思いで見ていたのでしょうか。

イギリスの国民投票でEU離脱が決まったあと、離脱派の割合が75.6%と地方自治体の中では最も多かった英イングランド東部ボストンを訪れた時のことです。

01年国民調査では外国人コミュニティーの中で一番大きかったのはドイツ人の249人(人口5万5700人)でした。04年のEU拡大で旧東欧諸国やバルト三国が加盟して移民の流入が増え、11年の国勢調査ではポーランドやリトアニア、ラトビアなどからの移民が6800人(同6万4600人)に膨れ上がりました。

かつては港町として栄え、ボストンからの移民は町の名を世界各地に付けました。その中でも米マサチューセッツ州のボストンが有名です。今ではイギリスのボストンは農業の収穫と農産物加工の一大拠点となっており、旧東欧やバルト三国から大量の出稼ぎ移民が流入し、住み着きました。

ボストンにはポーランドやバルト三国の食料専門店がたくさんある(筆者撮影)
ボストンにはポーランドやバルト三国の食料専門店がたくさんある(筆者撮影)

急激な住環境の変化に地元では住民の反発が強まっています。「移民が増えたせいで子供が小学校に入れない」「NHS(国民医療サービス)の病院での待ち時間が長くなった」という不満が目立つようになっています。取材後、労働党の地元議員に教えてもらったポーランド料理屋でポーランド風トンカツを頼みました。

気の良さそうなポーランド人の店員さんが「ポーランドに行ったことがあるの。あなたのポロシャツには連帯(ソリダルノシチ)と書いてあるね」と声をかけてきました。「何度か行ったことがあるよ」と答え、ようやくその時、着ていたポロシャツをどこで買ったか思い出したのです。

12年、『ワレサ』の制作に取り掛かっていたワイダ監督をインタビューした帰り、ポーランド北部のグダニスクにある「連帯」博物館で、ワレサが1980年に当時の共産党政府と「グダニスク合意」に署名した大きなボールペンのオモチャと「連帯」というエンブレムが入ったポロシャツを買ったのです。

ベルリンの壁崩壊後、ポーランドは年率3~5%の経済成長を遂げ、EUの優等生と言われるようになりました。しかし市場主義の導入で、連帯発祥の地、グダニスク造船所では最盛期2万人だった従業員は12年当時で1700人にまで整理されてしまいました。

共産主義体制下の1980年、わずか3カ月で約800万人をまとめて「連帯」を結成し、東欧民主化の扉を開いたワレサは83年にノーベル平和賞を受賞しています。大統領時代は政権内で衝突を繰り返し、国民の支持を失います。00年の大統領選で返り咲きを目指した時の得票率はわずか1.4%という不人気ぶりでした。

21世紀に入って、ワレサはすっかり過去の人となり、その功績をたたえる声はポーランド国内では全く聞かれなくなりました。ワイダ監督は筆者のインタビューに次のように語りました。

「人間の意志が歴史を変えた意義を思い起こす必要があります」「労働者には武器も政治的な後ろ盾もありませんでした。学歴もないワレサが政治に関与し、ポーランド人同士の衝突や無益な流血をできる限り避けました」

「東欧民主化から20年以上がたち、欧州統合への疲れが見えます。映画『ワレサ』はワレサが成し遂げた功績を軽視する風潮へのアンチ・テーゼです。労働者が自由の道を切り開く苦悩を表現したいのです」

ワイダ監督は共産主義体制下、厳しい検閲に譲歩しながらも、表現方法を工夫して祖国を撮り続けてきました。1958年の『灰とダイヤモンド』で、ズビグニエフ・チブルスキー演じる暗殺者マチェクがサングラスをかけているのには隠された意味があります。

第二次大戦後期の44年、ソ連軍の接近に合わせてドイツ軍への反乱を起こしたワルシャワ蜂起で下水道に逃げ込んだポーランド抵抗組織の敗北をワイダ監督は映画『地下水道』(56年)で描きました。ワルシャワ蜂起の生き残りは暗い下水道に立て籠ったため、強い日差しが苦手です。マチェクのサングラスにはワルシャワ蜂起の生き残りというメタファー(暗喩)が込められています。

ワイダ監督は『大理石の男』(77年)で共産主義体制の「労働英雄」に祭り上げられた労働者の矛盾を描きだし、連帯誕生と同時進行形で撮影された『鉄の男』(81年)にはワレサ自身も出演しています。

第二次大戦で2万2000人のポーランド軍将校らがソ連秘密警察に殺されたカチンの森事件で父を亡くしたワイダ監督は映画『カティンの森』(07年)も撮影しています。ワイダ監督はこう語りました。「旧ソ連とロシア政府はカチンの森の殺戮を認めましたが、全ロシア人が認めたわけではありません。ポーランド人はもっと露側に真相解明を働きかけていかなければなりません」

世界金融危機をきっかけに民主主義と自由主義経済への期待が裏切られ、イギリスはEU離脱を選択、アメリカでは差別発言を繰り返す不動産王ドナルド・トランプが共和党指名候補に選ばれました。そして強硬左派、急進左派と名前を変えた共産主義に誘われる若者が増えています。

欧州では、ワレサが先頭に立って突き崩した「ベルリンの壁」後の統合への陶酔感が幻滅へと急激に変化しています。欧州の政治指導者とメディアはファシズムと共産主義が犯した歴史的な過ちを思い起こし、民主主義と資本主義の健全性を取り戻さなければなりません。「EU」や「移民」を批判しているだけでは状況は決して好転しません。

ワイダ監督が追い求めたのは真実と自由です。私たちは決して連帯感を忘れてはいけないと思います。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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