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豪潜水艦落選「虎の子出し惜しみせず、敗北を次に生かせ」元自衛艦隊司令官

木村正人在英国際ジャーナリスト
中国が南シナ海の電力供給のため計画している海上浮動式原発(人民日報ツィッター)

海自幹部「虎の子の技術を出すわけにはいかない」

東シナ海と南シナ海の安全保障を大きく左右するオーストラリアの次期潜水艦事業で、防衛省と三菱重、川重が一体となった日本勢は、仏政府系企業の前に敗れました。産経は「海自幹部が『もともと官邸が押し込んできた話だった。機密情報が中国に漏れる懸念があった』と胸をなで下ろす」と報じ、日経も「海自はもともと『虎の子の技術を出すわけにはいかない』(幹部)と秘匿性が非常に高い潜水艦技術の供与に慎重論が強かった」と伝えました。

海自の通常動力型潜水艦「そうりゅう」(海自HP)
海自の通常動力型潜水艦「そうりゅう」(海自HP)

はっきり言って呆れました。これまでは現実的な安全保障論を主張してきた産経は1面コラム産経抄で「潜水艦は、『輸出品』ではない。性能をさらに向上させ、乗員の高い士気のもと、抑止力を維持するのが本来の仕事である」と書きました。

中国の海洋進出に対抗するには、日米同盟を基軸にオーストラリアと安全保障トライアングルを築き、南シナ海のベトナム、フィリピン、インド洋のインドと緊密なネットワークをつくって、中国に一方的な海洋ルールの変更はできないことを理解させる必要があります。

南シナ海を手始めに東シナ海、インド洋の海洋ルールを誰が決めるのか、という壮大なパワーゲームはまさに現在進行中です。東シナ海の沖縄・尖閣諸島で中国に激しく揺さぶられた日本、南シナ海の海洋権益を中国に踏みにじられてきたベトナム、フィリピンが声を上げたことで、中国との対立を避けてきた米大統領オバマも、中国の戦略がアジアから米国を追い出すことだとようやく理解できたようです。

中国の外相「歴史に鑑み、アジア人民の気持ちを考慮すべきだ」

中国は囲碁のように南シナ海で地歩を固めています。オーストラリアの次期潜水艦事業で、中国の外相、王毅は今年2月、毎年恒例の戦略対話のため訪中した豪外相ビショップを横に置き、「オーストラリアは歴史に鑑み、アジア人民の気持ちを考慮すべきだ」と釘を刺しました。その一方で、中国は南シナ海パラセル(西沙)諸島のウッディー島に地対空ミサイルや射程400キロの対艦巡航ミサイルを配備しています。

今回、海自のディーゼル・エレクトリック方式「そうりゅう」型潜水艦をオーストラリアと共同開発しようと、昨年夏以降、防衛省と三菱重、川重が一丸となってオーストラリア政府に働きかけてきました。パワーゲームでは、中国が喜ぶことではなく、嫌がることをしなければなりません。

なぜ、中国は海自の「そうりゅう」型が採用されるのを嫌がったのでしょう。静粛性能に優れた「そうりゅう」が12隻もオーストラリア海軍に配備されると、まず居場所を探知するのが大変です。さらに日米豪の海洋安全保障トライアングルが強化されると南シナ海で中国が支配力を確立するのが難しくなります。

日本の潜水艦技術がオーストラリア経由で中国に漏れるのなら、中国は横槍を入れてこなかったはずです。

筆者はロンドンで暮らすようになって9年近くになりますが、防衛省・自衛隊の方々は本当に小石を積み上げるようにコツコツと欧州で防衛協力のネットワークを築いてきました。2014年に武器輸出3原則に代わる防衛装備移転3原則を定め、英国やフランス、オーストラリア、インドとも防衛装備・技術協力の関係構築を進めています。

というのも現行憲法下では集団的自衛権を行使することが認められていなかったため、米国以外の国と同盟を結ぶのが不可能だったからです。

調査捕鯨再開の無神経さと日本落選を引っ掛けた筆者のエントリーに「どうして潜水艦が鯨より大切なのか分からない」というコメントがネット上で見られるのは仕方ないとして、産経ばかりか日経にまで海自は潜水艦の技術供与に慎重だというコメントが掲載されたのを見過ごすわけにはいきません。

香田洋二・元自衛艦隊司令官
香田洋二・元自衛艦隊司令官

そこで、香田洋二・元海上自衛隊自衛艦隊司令官に電話を入れて、背景を尋ねてみました。

香田元司令官

「私は直接の関係者ではありませんが横から見た所見としては、最初は海自の一部にそういう意見があったのは確かです。しかし、昨年夏にゴーサインが出てからは官民一丸となってオーストラリアの共同開発相手になろうとやってきました。今の海自には、個人としての慎重論は一部あるとしても、国家意思を受けた担当組織の立場としての慎重論はありません。自衛隊の最高指揮官である総理大臣の方針を実現する業務に関して海自隊員が公然とこれに反対論(産経新聞等の発言)を述べるということは健全なシビリアン・コントロール(文民統制)上もあってはならないことです。海自として許してはならないことであることは明白です。もし発言が事実とすれば海自としてしかるべき措置を取ると考えます」

「静粛性能など日本の潜水艦技術が世界一だというのも、オリンピックで対象潜水艦を全て集めて決めているものではない以上、『入手情報から推測すると世界一と見積もられる』ということであり、過度の自己満足は現に戒められるべきものです。この観点からは、『世界一発言』は単なる慢心に過ぎません。他国と共同作戦を行う場合、最初の1歩はお互いの装備を熟知することです。だから潜水艦の共同開発が必要かつ有効であり、これは単に金儲けの輸出とは異なります」

「そうりゅう型潜水艦には実績があるのに対し、仏政府系造船会社DCNSは(5千トンの原子力潜水艦の動力をディーゼルに変更するという)カタログ販売です。未知数のプラットフォームの上に自国の安全保障を築いていくわけですから、オーストラリアは今後20年、30年そのリスクを背負う判断をしたわけです」

「日本は初めての経験で、本格的に動き出したのが昨年夏以降だったので、その後の奮闘は高く評価すべきですが完全に出遅れました。少し前までは潜水艦の共同開発なんて考えられなかったわけですから。また、春キャンプもしていない新人がいきなり日本シリーズに登板して百戦錬磨の相手と試合することにたとえられますが、日本チームにとって初仕事の事業規模が大きすぎたのも事実です。ただし、中国を除いて国内外から日本が豪の潜水艦事業に手を挙げたことを批判する声は聞かれませんでした。これは大きな変化だと思いました」

「オーストラリア国内では当時の国防相が、国営造船会社がカヌーをつくれるかどうかさえ危ぶんでいると発言して大変な騒ぎになりました。国内の政治情勢が非常に難しくなり、前のめりになれなくなってしまった面もあります」

急転するオーストラリアの国内政治

出典:各種世論調査データをもとに筆者作成
出典:各種世論調査データをもとに筆者作成

オーストラリアの総選挙は来年1月までに実施される予定ですが、今年後半に行われるという見方が出てきています。各種世論調査から自由党・国民党の保守連合と労働党の支持率をみると、ターンブル政権が誕生してから保守連合の優勢が続いていましたが、ここに来て労働党の支持率が急激に回復しています。

次の総選挙で勝つことを考えると首相ターンブルには、オーストラリア国内に約2900人の雇用を創出すると早々と打ち出した仏DCNS以外の選択肢はなかったと言えるでしょう。

出典:豪外務・貿易省データをもとに筆者作成
出典:豪外務・貿易省データをもとに筆者作成

しかも、資源国オーストラリアの最大の得意先は中国なのです。オーストラリアの外務・貿易省データから作った上のグラフをご覧ください。オーストラリアの貿易相手は1位中国、2位日本、3位米国と続きます。

香田元司令官

「現役時代から数えると15回ほどオーストラリアを訪れていますが、潜水艦に関して常に聞かれることが、『オーストラリア最大の貿易相手は中国である。日本との防衛協力を強化することは中国との貿易関係を損なわないか』ということです。中国は、先の大戦でアジアに悲劇をもたらしたのは日本だというロジックで、日本を潜水艦事業の共同開発相手に選ばないようオーストラリアにプレッシャーをかけてきました」

「中国は今回の結果からオーストラリアは中国の言い分を聞き入れたと、外交上の成果として喧伝するでしょう。米国はこれからも南シナ海で『航行の自由』作戦を展開していきます。今の力関係は米国9、中国1ですが、いずれ7対3、6対4にパワーが移行してきた時に、オーストラリアは今回の決定がいかに近視眼的であったか気づくことになるかもしれません」

「南シナ海ではこれまで中国寄りだったインドネシアやマレーシアが、強引な中国への反発を強めています。これからも防衛装備の共同開発の話は出てきます。政府、防衛省、三菱重、川重も今回の落選を徹底的に検証して、次に生かすことが大切です」

連携強める中国とロシア

中国の外相、王毅は4月29日、北京でロシアの外相ラブロフと会談し、「南シナ海の争いは当事国の話し合いで平和的に解決すべきだと考えている」と述べました。2国間なら、力でゴリ押ししてくる中国の方が圧倒的に有利です。「平和的に」というのはその隠れミノです。

米空軍は19日からフィリピンのクラーク空軍基地を拠点にA10攻撃機やヘリコプターが中国の実効支配するスカボロー礁周辺を飛行しました。中国の艦船は3月にスカボロー礁で測量とみられる活動を行っており、中国が埋め立てに着手する恐れがあります。

南シナ海の「戦略的トライアングル」

出典:グーグルマイマップで筆者作成
出典:グーグルマイマップで筆者作成

香田元司令官によると、中国は南シナ海で着々と「戦略的トライアングル」を構築しています。(1)パラセル諸島のウッディー島(2)スプラトリー(南沙)諸島のファイアリークロス礁(3)フィリピン・ルソン島西沖のスカボロー礁を結んだ三角形です。

注意を要するのは中国の戦略ミサイル原潜の動向です。英シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)の「ミリタリー・バランス」によると、中国は戦略ミサイル原潜を4隻配備し、潜水艦発射弾道ミサイルJL-2を核抑止力の柱の1つにしています。

しかしJL-2の射程では南シナ海から米ワシントンをとらえることができません。南シナ海から米軍を追い払えば、中国は南シナ海を経由して戦略ミサイル原潜を自由に展開できます。海南島三亜を拠点に最新型の潜水艦が南シナ海を深く潜航して、台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通って西太平洋に抜けられるようになります。

中国の戦略ミサイル原潜が南シナ海を聖域にして活動範囲を太平洋やインド洋に拡大し、潜水艦発射弾道ミサイルで米ワシントンを狙えるようになれば、どうなるでしょう。核の均衡に大きな変化が生じることで日本が入る「核の傘」に綻びが生じます。

中国は南シナ海での電力供給のため、海上浮動式の原子力発電所の建設計画も進めていると報じられました。「中国は、米国が嫌気をさしてアジアから撤退していくことを狙っています。中国は話しても分かりません。中国にとって都合の良い海洋ルールの解釈を押し付けようとしているのです」と香田元司令官は警鐘を鳴らしています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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