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【パリ無差別テロ】メディアが報じる「ジハーディストの温床」モレンベークの虚像

木村正人在英国際ジャーナリスト
パリ同時多発テロ 容疑者捜索中に銃撃戦(写真:ロイター/アフロ)

ブリュッセル首都圏モレンベークを訪れた

[ベルギー・モレンベーク発]死者132人、負傷者349人を出したパリ同時多発テロの首謀者で、過激派組織「イスラム国(IS)」戦士のモロッコ系ベルギー人、アブデルハミド・アバウド容疑者(27)は、「ジハーディスト(聖戦士)の温床」と指摘されているベルギー・ブリュッセル首都圏モレンベークの出身だ。

アバウドは18日、フランス当局によるパリ北郊サンドニのアジト急襲で殺害されたとの情報もあるが、英BBC放送は「首謀者の消息は不明」と報じている。

犯行に使われたフォルクスワーゲン車をベルギーで借り、パリの現場から姿を消したサラ・アブデスラム(26)、90人近い犠牲者を出したバタクラン劇場近くのカフェで自爆したブラヒム・アブデスラム(31)両容疑者もモレンベークで育った。2人は実の兄弟だ。

グーグルマイマップで筆者作成
グーグルマイマップで筆者作成

ベルギーのミシェル首相は「モレンベークには大きな問題がある」と指摘、過激化したモスク(イスラム教の礼拝所)を閉鎖する考えを示した。

モレンベークはしかし、政治家やメディアが刻印を押すように「ジハーディストの温床」なのか。武器がいとも簡単に手に入る危険な地域なのか。パリから高速鉄道に乗って人口10万人のモレンベークを訪れた。

イスラム女性が目立つモレンベークの街(筆者撮影)
イスラム女性が目立つモレンベークの街(筆者撮影)

街には、スカーフで髪を覆ったイスラム女性が行き交っていた。イスラム教徒専用の食肉店が目立つ。アラビア語で書かれた看板も目につく。少し寂れた感じはするが、体感治安はそれほど悪くない。

これまでの報道ではブラヒムは首謀者アバウドとの接点が指摘されている。アバウドの家族がかつて住んでいた通りとアブデスラム兄弟の家族が今でも暮らしている広場は目と鼻の先だ。2人の年齢を考えると、この距離では知らない方がおかしい。

テロリストはモスクには行かなかった

アブデスラム兄弟を子供の頃から知る近所の人は筆者にこう語る。

「サラも、ブラヒムも子供の頃から知っています。サラは広場でサッカーをして遊んでいました。人懐っこくって、誰にでも話しかける明るい少年でした。仕事についたことがなく、ぶらぶらしていました。だからカネに釣られて悪い道に誘い込まれたんだと思います」

「2人がモスクに行く姿は見かけたことはなく、イスラム教への信仰と今回のテロは何の関係もありません。仕事があれば、こんなことにはなっていなかったはずです」

ブラヒムがモレンベークで経営していたカフェ(同)
ブラヒムがモレンベークで経営していたカフェ(同)

ブラヒムは父親が所有するカフェをモレンベークで経営していた。このカフェは薬物が扱われていたとして今月2日、市役所から閉店を命じられている。カフェでブラヒムとよくカード遊びをしたという知人は「最後に見かけたのは10日前。特に変わった様子はなかった」と語る。

しかし、英BBC放送に知人の1人が「ブラヒムからソ連製の自動小銃AK-47(カラシニコフ)を隠すよう頼まれた」と証言している。

サラ、ブラヒムの兄であるモハンマドさんは事件に関連して一時、拘束されたが、釈放された。テロとは何の関係もなかったからだ。モハンマドさんは2006年からモレンベーク区役所に勤務し、仕事がないサラにお小遣いを渡していたと近所の人は語る。サラとブラヒムは家族や地域から孤立していたわけではない。

手を伸ばせば届くような距離にいても2人がテロリストになるのを家族も地域も防ぐことはできなかった。定職が見つかっていたなら、テロリストにはなっていなかったかもしれない。

過激化リストの中に兄弟は含まれていた

モレンベークの女性区長は「数カ月前に上から下りてきたリストには過激化している恐れがあるとみられる約100人の名前があり、その中にサラとブラヒムの名前もあった」と認める。区役所の仕事は行政サービスが中心だ。モレンベークには22のモスクがあり、区役所は大きなモスクとは頻繁に連絡を取っていたという。

記者会見するモレンベークの女性区長(同)
記者会見するモレンベークの女性区長(同)

兄弟はモスクを通してではなく、「シャリア(イスラム法)4(for)ベルギー」というイスラム過激派団体に出入りするうち過激化し、テロリストに変貌したとみられている。女性区長は「過激化している恐れのある若者の監視は国家や警察の責任で、区役所にはどうしようもない。そもそも、そんなお金も人出もない」と繰り返した。

女性区長によると、モレンベークの失業率は28%で、ベルギー全体の21%に比べて高くなっている。若者の失業率はいずれも50%を超えている。欧州債務危機で、白人でキリスト教徒の若者でも就職するのは容易ではない。イスラム教徒の若者ならなおさらだ。

スカーフを着けているイスラム女性は就職できないと語るハジャールさん(右から2人目、同)
スカーフを着けているイスラム女性は就職できないと語るハジャールさん(右から2人目、同)

女性区長は地域の結束を高める努力をしていると説明するが、実情は少し違うようだ。地域の結束を促進するNGO(非政府組織)で働くイスラム女性のハジャールさん(25)はこう語る。

「イスラム系移民に対する差別はあります。スカーフをかぶっていると採用してくれない仕事があります。役所などの受付や病院で働こうと思ったら、スカーフを脱がなければなりません。生活していくため、嫌々脱いでいるイスラム女性は決して少なくありません」

どれぐらいのイスラム教徒がモレンベークにいるのだろう。約1年半前からこの街で暮らすポーランド人女性のジャスティンさん(28)は6歳の息子を小学校に通わせている。24人学級のうち18人がイスラム教徒の子供たち。残り6人がポーランドやルーマニアなど旧東欧からの移民労働者の子供たちだ。

純粋なベルギー人は1人もいない。イスラム教徒が多いというより、ベルギー人がモレンベークから消えつつあるという方が実情に近い。

ロウソクの火を消すな

英キングス・カレッジ・ロンドン大学過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)の調査(今年1月時点)では、欧州からシリアやイラクの「イスラム国(IS)」に参加した外国人戦士の数(推定)は、人口100万人に対する割合ではベルギーが40人と突出している。

出典:ICSRデータをもとに筆者作成
出典:ICSRデータをもとに筆者作成

また、ベルギーのジハーディズムを研究しているオステイエン氏はブログの中で「ベルギーのムスリム人口はモロッコ系やトルコ系が中心で約64万人。シリアやイラクの過激派組織にベルギーから参加した人数は516人に達している。実に1260人に1人のムスリムが外国人戦士になっている計算だ」と指摘する。

モレンベーク区役所前の広場に集まる市民(同)
モレンベーク区役所前の広場に集まる市民(同)
同

18日夕、モレンベーク区役所前の広場に地元住民や子供たち、他の街からも市民が集まってきた。ロウソクの火を灯して犠牲者の冥福を祈るとともに、地域の結束と平和への誓いを共有するためだ。「政治家もメディアもモレンベークに問題があると強調しますが、ここは住みやすい街です。テロリズムとイスラム系移民を結びつけるのは間違っています」と参加者は皆、口をそろえた。

同

テロリストになったアブデスラム兄弟の自宅でも兄のモハンマドさんが窓の外にロウソクの火を灯した。窓の向こうで人影が動いた。市民社会はテロリズムの前に為す術がないのだろうか。家族の悲しみを映して、はかなく揺れる小さなロウソクの火を私たちは絶対に消してはいけないと思う。

テロリスト兄弟の兄が灯したロウソクの火(筆者撮影)
テロリスト兄弟の兄が灯したロウソクの火(筆者撮影)

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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