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ギリシャ国民投票「否決」 歓喜か、狂気か 世界を破局に導く「感情の政治学」

木村正人在英国際ジャーナリスト

反対61.3% 賛成38.7%

欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)が求める財政・構造改革案の受け入れについて賛否を問うギリシャ国民投票が5日行われ、反対が61.3%と賛成38.7%を上回った。投票率は62.5%だった。

筆者作成
筆者作成

急進左派連合(SYRIZA)のチプラス首相は「ギリシャは勇気ある選択をした」と債権者団の財政・構造改革案を否決した有権者の決断をたたえた。アテネのシンタグマ広場では歓喜の声が上がった。

しかし、これは民主主義の狂気であり、破局の始まりである。

6日、ドイツのメルケル首相はパリでフランスのオランド大統領と会談。欧州中央銀行(ECB)も緊急会合を開き、善後策を協議する。次の山場は20日に迫る34億5700万ユーロのECBへの返済期限である。

メルケル首相もオランド大統領もECBのドラギ総裁も「チプラス首相もSYRIZAも、もう相手にしない」という方針だと筆者はみる。20日の債務がデフォルトすれば、ECBからギリシャの銀行への緊急流動性支援(ELA)は削減される。

ユーロ離脱シナリオ

当面、ECBは890億ユーロのELAの上限を維持する見通しだ。これを受け、ギリシャ金融当局は6日までだった銀行休業をさらに延長、1日の現金自動預払機(ATM)からの引き出し制限を60ユーロから20ユーロに引き下げ、資本増強のため大口預金者(8千ユーロ以上)に30%の損失負担を強いると報じられている。

ギリシャのユーロ離脱シナリオ(筆者作成)
ギリシャのユーロ離脱シナリオ(筆者作成)

単純化したギリシャのユーロ離脱シナリオは上図の通りだ。国民投票で前回総選挙の得票率36.3%をはるかに上回る61.3%の支持を集めて民主的な正当性を強化したSYRIZAはさらに態度を硬化させるだろう。

彼らの真の狙いはメルケル首相が主導する緊縮策の緩和ではなく、ギリシャに民主的な共産主義革命を起こすことなのかもしれない。

メルケル首相もオランド大統領も(1)塗炭の苦しみを味わうことになるギリシャ国民は最終的にSYRIZAに見切りをつけ、親EU政権を選ぶ。それから交渉を仕切り直しても遅くない(2)ギリシャのユーロ離脱という最悪のシナリオになっても、危機バネを利用してユーロの結束を強化できる――と考えているに違いない。

ブチ切れた欧州の民主主義の絆

しかし、ユーロやEUをつなぎとめていた民主主義の絆は5日の国民投票が債権者団案を否決したことで完全にブチ切れた。ベルリンの壁を崩壊させた「希望」の連帯感はどこへ行ったのか。これは理性ではなく、感情の衝突なのだ。

RBS報告書「ギリシャの未来、欧州の未来」のデータをもとに筆者作成
RBS報告書「ギリシャの未来、欧州の未来」のデータをもとに筆者作成

出典:RBS「ギリシャの未来、欧州の未来」

上のグラフは(1)債権者団が債務の22%をカットすることでギリシャと合意した場合のコスト1270億ユーロ(2)ギリシャがユーロを離脱した場合のコスト2270億ユーロ(3)2012年に行われた民間負担と同じ78%の債務削減が公的債務を含めて行われた場合のコスト4390億ユーロ――を比較したものだ。

どう考えても(1)が一番賢明な選択だ。ギリシャが債権者団の財政・構造改革案をのんだあと、ドイツやフランスが主導して大幅な債務再編に応じる。これがベスト・シナリオだ。しかし、そうはならないところが嫌悪の感情に支配された欧州政治の恐ろしさである。

SYRIZAを率いるチプラス首相と、メルケル首相やオランド大統領ら債権国の相互不信は「ポンイト・オブ・ノー・リターン(もはやあとへ引けない段階)」を越えてしまった。

ギリシャ債務危機を検証した『グリコノミクス』の著者で、筆者と顔なじみの元英政府エコノミスト、ビッキー・プライス女史に尋ねてみた。プライス女史はギリシャ出身だ。

ビッキー・プライス女史(筆者作成)
ビッキー・プライス女史(筆者作成)

――IMFがギリシャには次の3年間で600億ユーロの債務減免が必要と言っていますが

「ギリシャの債務再編が必要なのは明白です。ギリシャには差し迫ったIMFやECBへの短期債務を返済していくため、さらなる資金が必要です。そのあとで縮小し続けてきた経済に成長の道筋をつけるのが最善策です」

「2014年の第4四半期、ギリシャ経済はひどいダメージを受けています。銀行休業、貿易は深刻な影響を受け、ギリシャ経済の柱である観光業にも悪影響が出ています」

感情的な罵り合い

筆者は2013年11月、新潮新書から『EU崩壊』を上梓した。07年7月からロンドンを拠点に欧州債務危機を取材しているが、いつかこの日が訪れることを確信するようになった。

シンクタンクのディスカッションをウォッチしていて、いつもは「先の大戦の荒廃から欧州は復興した。どんな苦労があっても欧州統合の歩みを止めてはならない」と最後に議論はまとまっていた。

しかし感情的な罵り合いに発展することが多くなり、英国はEUからの離脱を平然と口にするようになった。知的レベルが高い研究者でさえこうなのだから、一般大衆に冷静な判断を求めるのは土台無理というものだ。

同じEU加盟国とは言え、どうして他の国の人たちの年金や育児手当まで自分たちが負担しなければならないのか。あまりに単純すぎる問いかけへの答えを今のところ誰も持ち合わせていない。EUという超国家の実験室は好景気のときはうまく機能するのだが、景気後退期には残酷な逆回転を始める。

希望は恐怖と屈辱を克服できるか

グローバリゼーションは自らの居場所を奪われた人たちの不安をかき立てる根源となっている。フランスの国際政治学者ドミニク・モイジ氏は著書『「感情」の地政学 恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか』の中で、人間には「恐れ」「希望」、そして「屈辱」の三つの基本的感情があると指摘している。

フランスの国際政治学者ドミニク・モイジ氏(筆者撮影)
フランスの国際政治学者ドミニク・モイジ氏(筆者撮影)

欧州はイスラム系移民をはじめとする移民労働者や不法難民ら異分子への「恐怖」と、ギリシャやスペインなどユーロ圏の重債務国は、ドイツなど債権国から強いられる「屈辱」に支配されている。ギリシャと欧州の未来は楽観できない。必要なのは「希望」だ。しかし欧州のどこを見渡しても、その2文字は見当たらない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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