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中国首相が「歴史の責任」に言及、戦後70年の安倍談話を牽制か

木村正人在英国際ジャーナリスト

「歴史の責任」とは何を意味するのか

中国の李克強首相が15日、全国人民代表大会(全人代=国会)の閉幕後、北京の人民大会堂で記者会見し、日中間の歴史問題に触れた。

「中日関係の根源は、先の戦争や歴史に対して正確な認識を持ち続けられるかどうかにある」

「国家指導者は先人がつくった業績を継承するだけでなく、先人の犯罪行為がもたらした歴史の責任も負わなければならない

「日本の指導者が歴史を直視すれば、中日関係の改善・発展の新たな契機になり、両国の経済関係の発展にも良好な環境をおのずとつくり出せる」(時事通信)

「痛ましい歴史の悲劇を心に刻み、歴史を繰り返させず、第二次大戦勝利の成果と戦後の国際秩序、国際法を守り、人類の平和を永続させることが目的だ」(抗日戦争勝利70年に合せて実施する軍事パレードなどについて、産経新聞)

「あの戦争(抗日戦争)が根本的な原因だ。当時の日本の軍国主義が中国国民に侵略戦争を押しつけ、巨大な災難をもたらした。最終的には日本の民衆も被害者だ」(尖閣をめぐり日中関係が冷却化したことについて、産経新聞)

「国家指導者は(略)先人の犯罪行為がもたらした歴史の責任も負わなければならない」という「歴史の責任」が「法的責任」を含むのか、「道義的責任」なのか、それとも戦後50年の村山談話を踏襲することを指すのかはっきりしないだけに注意が必要だ。

戦争の罪と責任を負うのは軍国主義者

習近平国家主席は「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」の昨年12月13日、旧日本軍の南京占領時の犠牲者を追悼する式典でこう演説している。

「歴史を顧みない態度と侵略戦争を美化する一切の言論に断固反対しなければならない」

「南京大虐殺の事実を否定しようとしても、30万の犠牲者と13億の中国人民、平和と正義を愛する世界の人々が許さない」

「少数の軍国主義者が侵略戦争を起こしたことによって、その民族を敵視すべきではない。戦争の罪と責任を背負うのは少数の軍国主義者であり、国民ではない

「恨みや憎しみをつないでいくためではない。中日の人民は代々の友好を続け、人類の平和にともに貢献するべきだ

南京事件をめぐっては、2010年の日中有識者による歴史共同研究委員会の報告書で、日本側は「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある」と主張、中国共産党の言い分と対立している。

旧日本軍の戦争犯罪に寛大だった中国共産党

中国共産党は戦後、台湾(蒋介石の国民政府)との正統性争いもあり、旧日本軍の戦争犯罪者を実に寛大に処置した。

勾留者1067人のうち受刑者はわずか45人(刑期13~20年)、死亡者40人。1956年に1017人が起訴免除になり、釈放され、64年に最後の3人が日本に帰国している。

約1千人を処刑した連合軍の戦犯法廷と大きな違いを見せた。もちろん中国共産党には、勾留者に対し「認罪学習」を行い、対日工作の布石を作っておく狙いがあったのだが。

日本への寛大な対応は、日中の国交を回復させるための1972年の日中共同声明にも受け継がれる。

「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する

「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」

中国共産党による戦犯法廷と同様、「日本国民も一部の軍国主義者が主導した侵略戦争の犠牲者であり、賠償の重荷を負わせない」と中国は再び寛大な態度を示した。「報怨以徳」と対日賠償請求権を放棄した国民政府の蒋介石の向こうを張ったともいわれる。

江沢民主席の登場で終わった蜜月

当時、中国は日本の経済力を必要としていた。1989年の天安門事件、92年の天皇の中国ご訪問で日中関係は成熟期に入ったように見えたが、江沢民の登場で状況は一変する。

94年に 「愛国主義教育実施要綱」が制定され、翌95年の 「教育法」で「国家は教育を受ける者に愛国主義、集団主義、社会主義の教育を行い、理想、道徳、規律、法制、国防、民族団結の教育を行わなければならない」と定めた。

98年11月に来日した江沢民国家主席は日本の過去を徹底的に批判し、日中蜜月時代の終わりを告げる。

日中首脳会談「率直に言って、列強の中で日本は中国に対して最も重大な被害を与えた国だった」

「日本の軍国主義が中国人民に災難をもたらし、侵略戦争を起こした。言論の自由は理解するが、日本政府が真剣に総括し、国民を啓蒙して欲しい」

宮中晩餐会「近代史上、日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国人民とアジアの他の国々の人民に大きな災難をもたらし、日本人民も深くその害を受けた」

「『前事を忘れず、後事の戒めとする』という。われわれはこの痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」

記者会見日本では一部の人たち、それも高い地位にいる人が常に歴史をわい曲し侵略を美化している

「日本が歴史に対し責任を取る態度で、間違った言論と行動を抑制し、正しい歴史観で若い世代を教育することを求める」

江主席が日本の過去を掘りくじ返して厳しく非難したことで、日本国内の反発も一気に強まった。

旧日本軍慰安婦をめぐる河野談話(93年)、戦後50年の村山談話(95年)を発端に、日本国内では95年12月から産経新聞紙上で「教科書が教えない歴史」の歴史が始まり、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されるなど、「自虐史観」を批判する世論が次第に広がっていく。

安倍首相はそうした運動の先頭に立ってきた有力政治家の1人だ。

「政冷経熱」から「氷河期」に

2001年以降の小泉純一郎首相による靖国神社参拝で日中関係は「政冷経熱」時代を迎え、10年に尖閣付近で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件、12年の尖閣国有化、13年に中国が一方的に東シナ海に防空識別圏(ADIZ)を設けたことで日中関係は「氷河期」に入った。

14年11月に北京で行われた安倍首相と習主席の日中首脳会談の前に、日中両国は何とか4項目で意見の一致をみた。

(1)日中間の4つの基本文書の諸原則と精神を遵守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていく

(2)歴史を直視し、未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた

(3)尖閣など東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識。(略)不測の事態の発生を回避する

(4)政治・外交・安保対話を徐々に再開し、政治的相互信頼関係の構築に努める

日中蜜月時代と違って、日本は中国にとってそれほど重要な国ではなくなった。独立行政法人・経済産業研究所によると、中国の輸入に占める日本のシェアは、1998年の20%から9.8%まで低下。輸出でも日本は16.1%から7.4%に落ちてきている。

「過去の総括」をぶち壊しにするな

習主席の眼中にあるのは安倍首相ではなく、米国のオバマ大統領だ。東シナ海や南シナ海であからさまに米国のリーダーシップを揺るがし始めた中国に対して、米国は「このまま中国が経済成長を続ければ、経済力でも軍事力でも追い抜かれる」と危機感を強めている。

日米安保だけでなく、環太平洋経済連携協定(TPP)に日本を組み入れ、地理経済学上も中国を封じ込める意図を米国は明確にし始めている。米国は開放市場というシステムを利用して中国がナンバーワンになるのを許すつもりはまったくないのだ。

「戦後秩序を否定する日本」「軍国主義を復活させる安倍首相」をしきりに強調することで南シナ海や東シナ海での傍若無人な振る舞いを糊塗し、中国が主導するアジアの新しい秩序を米国にのませようとした習主席の思惑は今のところ裏目に出ている。

安倍首相は4月下旬にインドネシアで開かれるアジア・アフリカ会議の60周年記念首脳会議で演説し、戦後70年を迎えた日本が未来志向で近隣諸国と関係強化を目指す姿勢を表明するという。

中国経済圏か、自由と法の支配が確立された日米経済圏かという囲い込みの狼煙になるかもしれない。中国共産党支配の継続を最優先課題にする習主席の中国と日本が蜜月時代に戻ることを期待するのは地政学的にも地理経済学的にも難しい。

すべては中国の出方にかかっている。とは言え、安倍首相は日中関係の歴史を踏まえ、日中の先人たちが慎重に積み上げてきた「過去の総括」を個人的な心情からぶち壊しにする愚は避けるのが賢明だ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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